華の王都の洗礼
「随分と……早かったですね」
華の王都。
中央に聳える王城の正門から真っ直ぐに伸びる大通りは祭事もかくやの喧騒に満ちていた。
瀟洒な服装を纏った人々が軽く挨拶などしながら行き交い、さすらいの吟遊詩人が鼻唄混じりに楽器の弦を弾き、それに負けじと商人が威勢の良い声を張り上げ、専用通路を走る馬車馬の蹄鉄がそれらを塗り潰していく。
慣れない者が立ち寄れば小一時間で目を回しそうな程の人熱れの波は、なんのことはない王都の日常であった。
大通りの喧騒が僅かに届く程度に落ち着いた路地裏にて、驚愕とも賛辞とも取れるような言葉を掛けられたノーマンが重いため息を吐き出す。
「……相当の無茶をさせられたからな。正直、二度と御免だ」
王都で情報収集を担っている冒険者ギルド所属の男が目を見開く。屈強な猛者が音を上げるほどに過酷な道中だったのか、と。
冒険者ギルドが精鋭四人の派遣を決定してから五日が経過している。実際に出立したのは四日前という話だ。
エンデは辺境の地にある。王都まで馬車を乗り継ぎ、最速を目指したとしても十日以上は費やすことになる。
馬を使い潰す勢いで走らせ、宿場町で新たな馬を買い付ける強引な旅程を組めば大幅な時間短縮になるが、それでも四日で辿り着くのは至難の技だ。馬にも人にも限界がある。四人での旅となれば不可能に近い偉業であった。
ならば、どのようにして無理を通したのか。
怪我を理由に一線を退いた男であるが、それでも冒険者の血が流れている。首をもたげた好奇心の赴くままに尋ねた。
「どんな手を使ったのか聞いても?」
「ああ……とんできた」
「……はい?」
聞き間違いかと首を捻る男。
ノーマンは淡々と、諦めたような声音で答えた。
「跳ぶんだよ。人力で。アウグストさんのことは……知ってるだろ? こう、肩に担がれて……それで、アウグストさんが、何度も、何度も、跳ぶんだ」
「…………」
「目立つわけにはいかねぇから……夜中に、街道から外れたところで、ひたすら跳ぶんだ。走るよりもその方が早いってんでな。担がれてるだけなら楽だと思うか? とんでもねぇ」
「…………」
「馬車の揺れでケツを痛めるとか、そんな程度じゃねぇぞ。腹ン中を何度も掻き回されるような気分だ。吐きそうになるから飯を抜かなきゃならねぇ。実際、連れは吐いた」
ノーマンが親指で指し示した先には顔を蒼白にしたメイがいた。杖の石突を地に付け、抱きすくめるように体重を預ける様は不調を全身で訴えるかのようだった。
「……一日、休んだほうがいいのでは?」
「いや……私は、大丈夫……お荷物になるわけには……いかないから……」
一際大きな深呼吸をしたメイは杖を握る両手に力を込めてだれていた身体を伸ばした。体裁を取り繕うように問う。
「それで、私たちの探してるモノは……本当にここのスラムの連中が持ってるの? ここまで来て無駄足を踏んだだけってなるのは勘弁願いたいわ」
問われた男が表情を引き締める。王都で活動する男の仕事は不測の事態に備えた情報の収集であり、成果を冒険者ギルドへと提出することだ。
「ほとんど、間違いないかと」
「その根拠は?」
「ここ数日……スラムがどうもキナ臭い。ライザル派閥は外への遠征組を呼び戻して戦力を集中させてるし、プレシア派閥は貴族と頻繁に連絡を取ってる。それに外からモノが運ばれてくる頻度が増えたんだ。スラムがここまで活発な動きを見せるのは……普通じゃない。エンデ近郊で盗まれた積み荷もあるだろうってのが俺の見解だ」
「少々、不明瞭な点が多いですね」
壁に背を預け、黙って話を聞いていたミラがそこで初めて口を挟んだ。
「順に答えてください。一つ、奪われたモノの正体は判明しましたか?」
「いや……そこまでは。下手に嗅ぎ回ると消されかねないんです。慎重を期す必要がありました」
「二つ、現時点で最も黒に近い派閥は?」
「……分からない、っすね。国からすっぱ抜いた情報をもとにプレシア派閥が動いた可能性もあるし、何かしらの噂を聞きつけたライザル派閥が手駒を差し向けたって可能性もあります」
「スラム内でそれらしい噂は流れてないのですか?」
「馬鹿正直に口にするやつらなんていませんからね。そういうやつはすぐに消されますし、そもそも情報を仕入れることもできません。ただ……強力な網を持っているやつらはある程度の事情を知ってるみたいで、符丁代わりに『例の件』と頻りに口にしています」
「……なるほど」
人の口に戸は立てられない。それが愚か者の口ならば尚更だ。
誰に漏れても構わないよう、特定の言葉を符丁にして機密性を上げるのはギルドでも用いる手法であった。かつて『空縫い』が盗まれた折、『竜殺し』という言葉を借りたように。
「暴くのは、だいぶ骨が折れそうですね」
「ええ……俺では、そこが限界でした。力及ばず、申し訳ない」
「責めていませんので謝罪は不要です。三つ、次が最後です」
冷淡な口調に圧されて萎縮する男にミラが問う。ほんの少し目を細め。
「シクスという男の動向は?」
ルーブスから要警戒を促された人物は三人いる。うち二人の動きは、不明瞭な部分が大半を占めるものの一応は把握できた。
しかし、最も油断ならない可能性があると釘を刺されたシクスという人物の現勢が掴めていない。確認を取っておくのは至極当然であった。
「それが、ですね……」
ばつが悪そうに語調を落とした男が一つ呼吸を置いてから続ける。
「……何一つ、分からない状態です。どこにいるのかも、何をしているのかも」
「何一つ、だと? シクスって野郎は闇市を支配してるんじゃないのか? 何かしらの動きは見せるはずだろ」
思わずといった具合に口を挟んだノーマンに対し、男はただ無気力に首を横に振った。
「そもそも、シクスって男は派閥を形成してるわけじゃないんですよ」
「どういうことだ?」
「喩えとして正しいかは分かりませんが……エンデでいう『聖女』オリビア様みたいな感じですかね。莫大な貢献と求心力で、支配とは違う流れで闇市のくせ者連中を従えているというか……」
「……実質的な支配者じゃないから我関せずを貫いていると?」
「もとより、普段からどこで何をしているか誰も把握できていないんですよ。あれは……あれこそが神出鬼没ってやつだ。霞か雲でも追いかけている気分になる……。ふらっと現れては貴族以上に金を落として、頼めばとんでもない禁制品を仕入れてきたりするのに、その動向を誰一人掴めていない……俺もその一人だ……あれだけ派手に動いてるのに、八方手を尽くしても尻尾を掴めないんだ……斥候としての自信をなくすぜ……全く」
吐き捨てる男の姿を見た三人が顔を見合わせて認識を更新する。やはり一番油断ならないのはシクスという男であろう、と。
一線を退いたとはいえ、目の前の男は魔物を相手どって死線を越えてきた練達だ。加えて、ギルドからの信頼が厚くなければ諜報の任を帯びることはない。
そんな男が無力に苛まれるほどの存在とはいかばかりか。
どれほど警戒しても、警戒しすぎるということはないだろう。そう気を引き締め直したノーマンが続けた。
「話を整理しよう。裏を返せば、だ。シクスの野郎が未だに姿を見せねぇってことは、やつは盗難事件とは無関係ってことで話を進めてもいいんじゃねぇか?」
「そりゃ悪手だ。これだけは言っておくが、楽観視は……絶対にしない方がいい」
強い語調を取り戻した男が顰め面で強く念を押す。
「本当に、どこで、何をしてるか、誰一人として掴めてないんだ。今に至るまで、誰もだぞ? 全くの無名だったやつが、まるでスラムの作法を一から十まで熟知してるみたいに振る舞って、闇市を潤した……放置しておくのが最適とされてた混沌の市場を、やつはたった一人で纏め上げやがったんだ……!」
常軌を逸したシクスという存在を語る男の言葉に狂気的な熱が宿る。
「闇市の商人に、愚図な輩は一人としていねぇ。いたら潰されるんだから当然だ。全員が何かしらの自衛手段やら特殊な伝手やらを持っていて、ただ己の欲を満たすためだけに違法な商品をゴザに並べる狂人集団……それが実態だ。それを……ッ!」
わなわなと震える両手を、男は怖気を払うように握った。
「儲けるためなら、五にも満たないガキを蹴り飛ばすような連中を……やつは纏め上げたんだ……! 損得勘定だけが行動指針といえるようなやつらを、一人残らず……ッ! 他の派閥に微塵も靡かなかった連中が、シクスという男を旦那旦那と呼んで憚らない……。業突く張りで貪欲な亡者どもが……決して群れなかった飢えた獣どもが、自ら進んで尻尾を振る……異常なんだよ……誰もが見解を一致させたんだ……あいつの側に付けば間違いないと……!」
「……そこまでのやつなのか」
「……おまけに、やつは厄介な呪装を買い漁ってるらしい。俺の推測でしかないが、神出鬼没の種もソレなんじゃないかと思ってる。国が真っ先に回収を命じる『隠者の外套』のような……そうじゃないと、説明がつかねぇ。いま、この瞬間、ふらっと目の前に現れてもおかしくない……あいつは、そういうやつなんだ」
荒唐無稽な話だ。そう切って捨てるのは簡単だった。
しかし、真に迫り過ぎている男の声と仕草がその場の三人から否定の言葉を奪い去った。
「……状況は分かりました」
建物に背を預けていたミラが姿勢を正した。調子を確かめるように踵を鳴らす。
「王都の全員が敵であると想定して動く。その方針に変わりはありません。情報提供、助かりました。あとは私たちが引き継ぎます」
「そうですか……ご武運を、祈ります」
死地に向かう輩への言葉もかくやの一言を受け、三人が神妙な頷きを返す。余裕を感じさせる堂々とした所作で振り返ったのは心配をかけまいとするせめてもの気遣いからであった。
三人が薄暗い路地裏から光差す大通りへ向かう。喧騒が耳に届きはじめたところでメイが指示を仰いだ。
「まずは、どう動きましょうか」
「お前は休んでおけ。下調べはこっちで済ませておく」
「でも……」
「言い換えるぞ。休むのに最適な宿を探しておけ。なるべく目立たないところがいい。だが変な連中に目を付けられない場所を選べ。できるな?」
「……はい」
明らかに体調を気遣われてあてがわれた仕事だったが、虚勢を張っても迷惑をかけるだけだと判断したメイは素直に応じた。
俯くメイを一瞥したミラが平坦な声で言う。
「気概は買います。ですが、まずは自分にできる最善をこなしましょう。宿の確保と、余裕があれば【伝心】でギルドに現状報告をお願いします」
「はい。……その、ありがとうございます」
「いえ。……逸る気持ちは分かりますが、そもそも私たちは貴女を足手まといなんて思っていません。余計な気負いは動きを鈍らせます。平常心を心掛けて事に当たりましょう」
「ミラさん……! はいっ!」
「よーし、んじゃアウグストさんを迎えに行きますかね」
首尾よく方針が決まったところで三人が路地裏を進む。足取りは軽く、多少の緊張こそあれ、そこに気負いはない。支え合う仲間がいる心強さの表れであった。
その仲間の一人であるアウグストは路地裏の入口で待機し、尾行されないための見張りをしていた。単純に彼の恵体が路地裏に入らなかったという理由もある。
そして、彼が待つはずの路地裏の出口が見えてきた頃――
「…………待て。……アウグストさんが……いない……警戒しろっ!」
路地裏を塞ぐように立っていたアウグストがいなくなっている。
先頭に立つノーマンがその事実にいち早く気付き後続へ注意を促した。
「敵襲、ですか!?」
「不明だ! だがその想定で動く! 自衛を抜かるなよ! ミラさん、背後の警戒を頼――」
ノーマンが言い掛けたその時、大通りから尋常ではない騒ぎの声が巻き起こった。
戦場で培った判断力が遺憾なく発揮される。
「打って出る! 得物はまだ抜くな! 陣形維持! 警戒を怠るなよ! 行くぞッ!」
異常事態であると判断したノーマンが指示を飛ばす。指揮系統は彼に委ねられていた。事前に決められていたことなので異を唱える者はいない。
一呼吸の間に臨戦態勢を整えた三人が路地裏から飛び出す。熱気と喧騒に塗れた大通りで彼らが目にしたものは――
「うおおおぉぉぉ!! アイツすっげぇぞ!! 三人相手でもびくともしねぇ!!」
「次は五人だ! 五人でやれよー!」
「ああ勇ましき益荒男よ! かの者を見よ! その揺るぎなきは大地に根付いて千年を経た大樹の如き!」
歓声と野次と即興の歌の先。そこには規格外の大きさの酒樽と、それを挟んで向かい合う男たちの姿があった。
総勢五人の男が、対面の男の腕を倒してやろうと力を込め顔を赤くしている。それを迎え撃つ男――アウグストは余裕の表情だ。彼がちょいと力を入れて腕を倒すだけで五人の男がたたらを踏んで倒れ伏した。
「弱い……弱いぞッ! もっと腕の立つ漢はいないのかッ! 次はァ……十人で来い……!」
「誰かあいつを倒せー!」
「ほら、お前やれよ!」
「十人って、もう腕相撲のしようがないだろぉー!」
「まぁまぁ、面白い余興ですこと!」
大衆に囲まれて歓声を浴びるアウグストを見た三人が揃って脱力する。
ノーマンが片手で顔を覆い、これ以上ない程に大きなため息を吐いた。
「目立つ行動は控えてくださいって……俺、言いましたよね……何してんすか、アウグストさん……?」
「……目に焼き付けておくといいでしょう。足手まといとは……ああいうののことを指す言葉です」
「は……はは……なんというか……豪胆、ですね……」
大の男十人を相手にして一歩も動じず、勝利の呵々大笑を上げるアウグストの姿は途轍もない頼もしさを感じさせるものであった。
だが、隠密行動に絶望的に向かないアウグストという男の本質を改めて思い知った三人は、頼もしさ以上の不安に苛まれ、心の澱を吐き出すように揃ってため息を吐き出した。




