二転三転、転がり落ちた先
「それで……旦那、何か策はあるんですかい? 旦那がここにいるってのは既にプレシア派閥の耳に入ってるでしょう。そろそろ……仕掛けてくるかもしれませんぜ?」
オヤジの話を聞き流しながら頭を回す。
プレシア。知ってる名前だ。王都のスラムでその名前を知らないのはガキかモグリくらいなもんだろう。
王都の色街を纏め上げているトップ。出自や経歴、能力までは掴んでいないが、その身一つで色街の顔役にのし上がった女傑と聞いている。無能ではあり得ない所業だ。
やつはその立場をうまいこと利用して貴族連中と顔を繋いでいる。籠絡した貴族を操ることで自勢力へ物資の融通や金銭の支援を行わせ、敵対する勢力へは国の武力を差し向けることもあるとか。
国子飼いの衛兵はわりと無能揃いだが、かといってまるっきり脅威ではないかと言われればそれは違う。国家権力の背後には勇者がいるからだ。
国の衛兵に対して行き過ぎた暴力を働けば不穏分子と見なされる。スラムの調査に向かった衛兵が消息を絶ったとあれば国も重い腰を上げて調査という名の制圧に乗り出すだろう。
故に衛兵に目をつけられた勢力は何かしらの代償を支払わなければならない。金か、物か、あるいは人か。
自身の勢力に有利な環境を敷き、敵対する勢力のパワーをいつでも削ぎ落とせる立場にある裁定者。それがプレシアだ。安易に関わるべきではない人物リストのトップに載っているのはこの女だろう。
そして、シクスは、そんなやつに目をつけられているらしい。
なんで? 意味がわからん。
「旦那? どうしたんですか?」
「……少し考え事をしていた。どう対応したものかとな」
それっぽい返事をしつつ思考を巡らせる。なぜシクスが厄介な女に目をつけられたのか。
俺は闇市という無法地帯で頭角を現しつつも、他の勢力を脅かす素振りは一切見せなかった。喧嘩を売る理由がないからだ。
他の勢力との権力争いに熱を上げるつもりはないし、ましてやスラムの頂点に立ってやろうなんて野心は抱いていない。
俺はただ闇市でモノを転がして儲けを得て気に入ったものを買い漁っていただけだ。舐められないように虚勢を張ったことは何度もあるが、そんなのは今さら騒ぎ立てることじゃない。
だったらなぜ。堂々巡りだ。
そもそも俺はスラムの色街を利用したことなんてないぞ。面倒な連中がシメてる縄張りに近寄ろうとは思わん。立ち入ったことすら――
待てよ? あったな。そういえばあった。
少し前、エンデが不況の折、俺はスラムの色街に足を運んだ。
いやしかし……あれは経営戦略をすっぱ抜いて流用するためであって、縄張りを荒らす目的なんてなかったぞ。
滞在時間も一時間あったかどうかだ。その程度で目を付けられるか……?
……案外、目障りかもしれない。施設を利用することなく立ち去るあたり不自然だ。
目的が不明瞭というのは不気味すぎる。或いは、分かりやすい敵意よりもタチが悪く映るかもしれん。
色街のやつらが俺に向けてきた猜疑の目を思い返す。あれは完全に招かれざる客を見る目だった。
あの時は何もしなければ問題ないだろうと高を括っていたが、まさかそれが悪手だったとはな……。
「旦那? 本当に……大丈夫ですかい?」
不審がって声を掛けてきたオヤジへと視線を戻す。そういえば、あの時もこのオヤジが同伴してたな。
『……ついにここいら一帯もシメるんすか?』
あの時はくだらない冗談だと思って聞き流していたが……もしや周りに聞かれていたか? だとすると話が変わってくる。
俺はその言葉を否定していない。遠回しな宣戦布告と捉えられてもなんらおかしくない状況だ。
まずったな……。俺は意味有りげな笑みを浮かべた。
動揺を念入りに押し殺し、周りに聞こえるよう【無響】を解除してから平静を装った声で言う。
「フッ……言ったろ? 事を荒立てる気はない、と。俺は平和主義者なんでね」
俺は争いを望んでいないことを重ねてアピールした。
シクス人格を失うのは惜しい。闇市にはまだまだ使い道があるのだ。こんな初歩的なミスでおいしい立場を失ったとなれば目も当てられない。
迅速に撤退しよう。ほとぼりが冷めるまで距離を置けば向こうも矛を収めるだろう。
そう思ってさり気なく立ち去ろうとしたところ――
「そういうことなら、こちらとしても嬉しいわねぇ。私たちも……できることなら貴方とは事を構えたくないから」
人を落ち着かせるような……聞きようによっては陰気を孕んだ虚ろな声が響く。
【鎮静】。頭の中をクリアにした俺は勿体ぶるような所作でゆっくりと振り向いた。
あまりにも場違いだ。それが、第一印象。
波打つワインレッドの長髪を靡かせ、どうぞ襲ってくださいと言わんばかりに肩を露出したドレスを纏った女が艶然と微笑んでいた。
武器の一つも所持しておらず、煙草用のパイプで片手を塞いだ姿はあまりにも無防備に映るが、それは自身で身を守る必要が薄い故だろう。
側に控える護衛の女が一人。後方に控える男の護衛が四人。その全てがエンデの冒険者に負けず劣らずの猛者であることは明白だった。
やりあえば負ける。当然の結論を導き出した俺は友好的な笑みを浮かべて応えた。
「これはプレシア嬢。わざわざご足労いただき恐縮の至り。初めましての挨拶は必要かな?」
軽口を交え、それとなく両手を広げて無手を印象付ける。俺は早急に交戦の意思が無いことを示さねばならなかった。
かといって野次馬連中が多くいる中で堂々と白旗を揚げるわけにもいかない。まずは生き残ることを考えなければならないのに、生き残ったあとのことまで視野に入れなければならない窮屈さよ。
クソが。俺が何をしたというんだ……少しばかり闇市で名を売って非合法品で荒稼ぎしてただけだろ……。
俺の気さくな挨拶が一定の効力を発揮したのか、プレシアと護衛の連中は殺気立つことなく対話に応じた。
「挨拶はいらないんじゃないかしら? 元より私たちは友誼を結ぶような仲でもないでしょう」
おっと、しかしよろしくない空気だ。俺は肩を竦めて茶目っ気を演出した。
「これは手厳しい。こちらとしては睨み合う関係よりも手を取り合う関係を築きたいのだがね」
歩み寄りの姿勢だ。それが解決の糸口である。
もちろんそんな提案を向こうが受け入れるとは思っていない。これはパフォーマンスだ。シクスが縄張りを侵そうとしている、などという誤解が解ければそれでいい。
そんな俺の内心を察せない野次馬どもが好き勝手言っている。
「なんだ? やり合わねぇのか?」
「旦那、もしかしてビビってる……?」
「ばっかだなオイ! ありゃ遠回しな挑発だぜ! 協力を拒んだらどうなるか分かってんだろ? ってやつよ!」
ふざけんなよオイ! 木っ端連中がはしゃいでんじゃねぇよ! 俺は平和主義者だって言ってんだろッ!
野次馬の戯言を真に受けた護衛が顔を顰める。やめてくれよ……。
俺はこんなにも気さくな性格を演じているのに何故か退路が塞がれていく。断頭台の階段を無理やり登らされているような気分だ。
「貴方の取り巻きは……ああ言ってるけど?」
様子見を兼ねた牽制の一言。だが一つ仕損じればそれが開戦の狼煙となることは明白だった。変わらず軽妙な調子で言う。
「闇市の連中は煽り上手でね。売人の血でも騒いでるんだろう。不愉快なら黙らせるが」
「あら怖い。そうして敵対する者は粛清してきたのかしら?」
「空恐ろしい発想をする。俺はただ沈黙は金という真理を説こうとしただけだというのに」
「二度と口を利けなくなってそうね」
「気を利かせるようにするのさ。特に淑女の前では、ね」
戦意を探るような軽口に冗談で応じる。シクスの人格がかなりブレているが気にしている余裕はなかった。
【偽面】を使うことで磨いた即応力を遺憾なく発揮して白旗をチラつかせる。けして周りにはバレないようにこっそりと。
「それに、プレシア嬢ならば知っているだろう。俺が力に訴えるような野蛮な真似を好まないことくらいは」
シクスは財力と審美眼、そしてカリスマでのし上がった男だ。一大勢力であるこいつらなら俺の経歴を余さず把握しているだろう。
武力行使は本分ではないという面を押し出せば誤解が解けるという確信があった。
【六感透徹】は既に発動している。
「まあ、そうね」
プレシアはわざとらしい笑みを消し、鬱陶しそうにため息を吐き出した。
「はぁ……本当に、手間でしょうがないわぁ……悪いわねぇ、こんな茶番に付き合わせちゃって……」
物憂げな様子で視線を外したプレシアが煙草入りのパイプを口に含む。
恐らく、これがこの女の素の顔なのだろう。かったるそうに煙を吐き出したプレシアが茫洋とした視線を宙に投げ掛け、うわ言のように呟く。
「こっちとしても通さなきゃならない筋みたいなのがあってねぇ……ほら、ケジメってやつ? 喧嘩売られたらやり返さなきゃ駄目だろー的なねぇ。私は言ったのよぉ? 向こうは絶対にそんなつもりはないって。でも、いかんせん大所帯になるとそれじゃ聞かなくてねぇ……こうして出向いたってわけ。ま、貴方ならそのくらいお見通しだったんでしょうけど」
ほう。ほう?
これはこれは。俺は威勢を取り戻した。
「随分と早いネタバラシじゃないか。もう少し付き合ってやってもよかったんだがな」
「冗談じゃない。腹の探り合いなんて貴族相手だけで十分でしょお……たとえ演技だとしてもね」
「違いない」
俺たちはやれやれと言わんばかりに肩を竦め合った。同時、先程までの剣呑な雰囲気を霧散させる。
「……なんだ? どういうことだ?」
「敵対してるんじゃなかったのか?」
「俺の仕入れた情報と違うぞ……」
要はこういうことだろう。
シクスが色街にちょっかいをかけたと勘違いしたプレシア勢力の下っ端が騒ぎ出した。
スラムのトップがすごすご引き下がったらメンツが保てなくなるので喧嘩を買ったフリをした。
衆人環視の中で対峙し、両者ともに敵意が無いことを証明し合えば茶番終了。
ここまでやれば心置きなく従来通りの不干渉スタイルを継続することができる。
俺の勘はそう答えを出した。やつの吐いた言葉に嘘はない。
プレシアは血気盛んな部下を納得させるための理由を欲していただけだ。シクスから不干渉の言質を取れば下っ端を黙らせることができる。わざわざ騒ぎを大きくしたのはこの舞台に俺を登らせるためだろう。
まったく、ヒヤヒヤさせやがって……。俺を巻き込むんじゃねぇよ。身内の暴走を止めるのはトップの仕事だろうが。俺はほんの少しの嫌味を込めて言った。
「大所帯を抱え込むのも難儀なものだな。要らぬ苦慮まで抱え込みそうだ」
「手厳しいこと。貴方も分かってるでしょう? ……生きるのには繋がりが必要なの。できるだけ強固で、盤石な繋がりがね。私たちは、それを脅かされたくないだけなのよ」
スラムで爪弾きにされた者の行く末は想像に難くない。
逆を言えば、大勢力の傘下に入れば最低限の身の安全は保障される。
プレシア派閥はスラムの中でも最大勢力だ。もしも派閥が崩れたらそれなりの混乱が巻き起こることになる。そうならないために一芝居打つ必要があったのだろう。
いやいや……いくらなんでもシクス過大評価されすぎじゃねえ? こんな大勢力を個人で潰せるのなんてアウグストくらいだぞ。多分。
「それに……今回のことで分かったわ。私たちは、貴方とも繋がりを築いておくべきだってねぇ」
内心で呆れているとプレシアが単身で距離を詰めてきた。
護衛は元の位置から動いていない。信頼を示すため、か?
「シクス。私たちと同盟を組まない?」
「どういう風の吹き回しだ?」
「どうもこうもないわ。不干渉でいるよりは協力体制を敷いたほうがお互いにとって有益だし、何より楽じゃない。こんな騒ぎが二回も三回もあったら気が気じゃないもの」
紫煙を燻らせたプレシアが自然な所作で右腕を差し出してくる。
武器の一つも携行していない無防備な姿だ。やろうと思えば一瞬で首を掻き切れる距離。
真意を探るために顔を見る。まだ三十と少しだろうに、その容貌には一組織を纏め上げる者としての貫禄があった。
食えない人物であることは確かである。俺は落ち着き払った声で問うた。
「同盟、か。それは俺に利をもたらすのか?」
「能う限りの便宜を図るわ。情報を仕入れる早さなら自信がある」
国の中枢を担う貴族連中とも繋がりがあるプレシアならば国が抱えた秘事をすっぱ抜くことも可能だろう。説得力は十分だ。
しかし……いよいよ分からなくなってきたぞ。
そんな貴重なネタを引き合いに出してまでシクスと同盟を組もうとする理由が謎だ。
やつは嘘をついていない。俺の勘がそう告げている。
だが、それは全てをさらけ出していることと同義ではない。
「大層な札を切るじゃないか。それで、プレシア嬢は見返りとして俺に何を望む」
「言ったでしょう? 貴方と敵対するのは気が気じゃない。茶番とは言え、今回みたいな騒動は懲り懲りよ。寿命が十年は縮んだわ……」
「こんな平和主義者を捕まえて随分な物言いじゃないか」
「驚いたわ……それ、本気で言ってたのならジョークのセンスは壊滅的ね。それで……平和主義者の貴方は」
俺を見上げていたプレシアはこれ見よがしに視線を下げた。差し出されたままの手がそこにある。
「私たちと友誼を結んでくれるのかしら?」
一秒、二秒、三秒。
絶妙な間を置いてから俺は意味ありげに笑みを浮かべた。同時に思う。
マジで? いいんすか? どう話が転がったらこんな着地点にたどり着くんだよ!
スラム最大派閥との同盟。これが成れば計り知れない恩恵に与れるぞ……。情報はもちろん、物資面で融通が利くようになる。
やりようによってはいいお得意様になってくれるかもしれん。禁制品の卸先が増えるかもな……。
それに……ここまでデカい後ろ盾を得たのなら、俺はもっと大胆に事を起こせる。
今まではかなり制限を設けていたからな。過剰に市場を乱さないよう、売り買いする禁制品の数も常識の範囲に収めてきた。
今回の同盟が成れば他の連中の顔色をうかがう必要もなくなるかもしれん。
いいね。いい流れだ。得しかねぇぞおい!
いやはや、これも積年の演技の賜物かね? 要所要所でそれっぽい態度を織り交ぜるだけでお相手さんが勝手に評価してくれるんだから訳無ぇな?
この同盟を足掛かりにしよう。闇市のみならず、色街さえも俺の収入源にできたのならば言う事なしだ。
俺は余裕を見せつける所作で右手を差し出した。プレシアと握手を交わす寸前――風切り音――護衛の女が動く。無防備なプレシアを庇うように割り込み、飛来した短剣を手甲で弾く。金属同士が奏でる硬質な残響が溶けてなくなった時、よくやく襲撃されたのだと気付いた。
ほんの一瞬の出来事だった。すっかり警戒を解いていた俺はまるで反応できなかった。
この立ち会いに茶々を入れる命知らずなどいるわけない。そう思い込んでいたのだ。
襲撃を敢行した命知らずの笑い声が宵闇を裂いて響く。
「はっはァ! 相変わらずつまんねぇ嘘で飾ってんなぁ……プレシアよぉ……!」
勢いはあるのに、どこか粘ついた印象が拭えない声。
それを聞いた瞬間、プレシアの顔が鬱陶しげに歪んだ。引き絞るように叫ぶ。
「ライザル……ッ!」
それは王都のスラムで最も危険視されている男の名前だった。
振り返る。夜の闇から漏れ出るように一人の男が姿を現した。
暗色の短髪。こけた頰に三白眼。間違いない。スラムの武力集団の頭目、ライザル。安易に関わるべきではないリスト最上位――その剣呑な瞳が俺を捉えた。
「シクスさんよぉ……」
【鎮静】。クリアになった頭で考える。こいつは……何をしに来た?
……恐らく、同盟の阻止だ。俺とプレシアが組んだら割りを食うことになるのはライザル派閥……勢力図に開きが出るのを見過ごせなかった……そういう、ことか?
情報が少なすぎて憶測にしかならない。俺にできることは虚勢を張ることだけだった。話の腰を折られた不愉快をあらわにするように鼻を鳴らして応える。
「何か用か?」
精一杯ドスを利かせて尋ねると、ライザルはおどけたように両腕を上げて無抵抗の意思を示した
「おーおー、おっかねぇ顔すんなよなぁ……。俺はただ忠告しに来ただけだぜ? まぁ……アンタには必要ねぇかもしれねぇが……一応な」
「忠告だと?」
「ああ。まー、アンタなら薄々察してるとは思うが」
ライザルが人差し指をプレシアに向けた。煽るように口の端を吊り上げて言う。
「その女……アンタを殺そうとしてるぜ?」
…………。…………? えっ?




