早死にしますよ
「えっ、早っ!」
「ちゃんと身体洗ったんですか……?」
「お前らが遅えんだっつの。早飯早風呂芸のうちってな。おら行くぞ」
冒険者ギルド前で待つこと暫し。身綺麗にしてきたチビ二人と合流したので目的を果たすためにギルドへ入る。
スイングドアを抜ければいつもと変わらない喧騒と鼻をつく酒精の香りが俺たちを出迎えた。馬鹿どもが馬鹿騒ぎしながら豪快にジョッキを傾けている。不景気の影響は既に影も形もない。
「盛り上がってるなぁ。席空いてないね」
「最近まで塞ぎ込んでたからね。その反動かも」
ギルドに併設された酒場はそこまで人気があるわけではない。飯の値段や質はそれなり止まりだ。サービスも良くない。
それでも金を受け取ってすぐにメシにありつけるという手軽さや、どれだけ騒いでも出入り禁止の処分を下されない居心地の良さに惹かれて席につくやつは一定数いる。
それに、ギルド内の酒場が冒険者の素行チェックの役割を担っているというのは有名な話だ。裏を返せば、ここはギルドにアピールする場にもなるということ。
酒に酔って暴れ出した馬鹿を粛々と制圧すれば一目置かれるし、会話の端々で己の力量を示すことができれば出世の足掛かりにもなる。
単純に情報収集にもなるしな。ひょんなことから実力者と顔を繋げることもある。
メシの質は劣るし、気が滅入るほどうるさいが、それを加味しても有益な点が勝るのでこうして人が屯する。うまいシステムを考えるもんだ。
「満席ならしょうがねぇ。さっさと報告して外行くぞ」
「そうですね」
「最近野菜のスープが美味しいお店を見つけたんでそこ行きましょうよ」
「野菜スープだぁ? お前なぁ、ニュイ……食うなら肉だろ。そんなん食ってても力つかねぇぞ。肉食え肉」
「……早死にしますよ?」
馬鹿め。俺ぁついさっき死んできたばっかりだ。その指摘は見当違いも甚だしい。
雑談しつつ受付へ向かう。事務作業どころではない劣悪な環境でも眉一つ寄せないいつもの受付嬢のもとへ。
「おかえりなさいませ」
「ただいま戻りましたー」
「討伐確認お願いします」
毎度変わらぬ律儀な一言に対し、二人はいくらか丸みのある口調で返した。チビどももだいぶ打ち解けてきたのだろう。初々しさや甘えといったナメられる要素が取れてきたように見える。
「それでは確認します」
ニュイから袋を受け取った受付嬢が中身を検めていく。
魔石は大きさや色、形状と照らし合わせることで魔物の種類がわかるようになっている。刻まれた式によって性質が変わるのだろう。
魔力溜まりとは、吸い上げた魔力に式を刻んで敵性生物を生み出す環境である。その際に核として生まれるのが魔石だ。だから魔物から魔石を引っ剥がせば肉体が維持できなくなって霧散するし、ちょいと加工して式を捻じ曲げることで保冷や照明といった魔道具の触媒になる。
非常に便利な代物だが……ゆえに現時点では替えが効かない。それが問題だ。この辺りはイカれエルフどもと相談になるかね。
「……確認しました。一つ尋ねたいのですが、討伐の内訳を教えてもらうことは可能ですか?」
「えっ……? えーと……僕が大体八割くらいで……」
「私が二です」
「俺はゼロな。監督役だから当然だろ?」
ネチネチとした嫌味を聞かされるのは御免なので機先を制しておく。
俺のことを見てほんの少し目を細めた受付嬢は、特に何も言うことなくチビどもに視線を戻した。
「そうですか。であれば――」
居住まいを正した受付嬢が軽く笑みを浮かべる。
「ルークさん、ニュイさん。ギルドはお二人に鉄級の地位を授与する用意が出来ています。鉄級以上の冒険者の推薦があれば、専用の講習を受講した後に昇格が可能です」
鉄級への昇格。その話を聞いた二人が大きく目を見開いた。
受付台に詰め寄ったルークが興奮を隠そうともしない様子で尋ねる。
「ほっ……本当ですかっ!?」
「お二人とも品行方正、謹厳実直。力仕事でも音を上げず、手を抜かないと好評ですよ。実績も十分です」
魔物討伐だけが重視されると勘違いした駆け出しはギルドの目がないところだと手を抜きがちだ。そしてそういう情報はほぼ例外なくすっぱ抜かれて共有されている。
俺の喧嘩売られ商売の履歴が事細かく保管されていたことからほぼ間違いない。いざという時に信を寄せてもいいやつなのか見極める必要があるんだろうな。
「あとは推薦人ですね。お二人が昇級した後、問題を起こせば推薦人の顔に泥を塗ることになります。活躍を収めれば逆も然り。推薦人は慎重に打診してくださいね?」
忠告を聞き終わるやいなやチビ二人はバッと振り返って俺を見た。ルークもニュイも期待に満ちたアホ面を晒している。浮かれてやがるなぁ……まあ年相応か。俺は頭を掻きながら言った。
「まぁ、いいんじゃねぇの? 推薦くらいしてやるよ」
「ッし!」
「やったね!」
喜色満面の二人が周囲の目も気にせずハイタッチを交わす。そうして盛り上がれば乗ってくるのが周りの馬鹿どもだ。
酒を入れて赤ら顔になった連中が揃って野次を飛ばす。
「おいおい鉄錆の推薦なんかでいいのかぁ〜? 箔を付けてぇなら俺にしとけよなぁ〜! 鉄級から利用できるイイ店を教えてやんぞ?」
「アタシらの推薦ってことにしときなよ! 悪いようにはしないからさぁ!」
「石級のチビを卒業したんならこの酒飲んでみろよ! トぶぞぉ〜?」
「いやぁー、あはは……遠慮しておきます」
ダルい絡みを愛想笑いで受け流すルーク。どうやら細かな処世術も身につけているらしい。いちいち取り合ってたら馬鹿を見るからな。それが正解だ。
「エイトさん。私たち、格では並ぶことになっちゃいますよ。いいんですか? エイトさんは急いで昇格しなくて」
「なんの問題があるってんだ。できるやつぁ上へ行けばいい。そこが限界だってやつはその椅子に腰を下ろす。それだけだろ」
「……やる気ないなぁ。いいんですか、シスリーさん。何か言ってあげてくださいよ」
ニュイは俺の態度にやたらと突っかかってくる。きっとルークが原因だろうな。恐らくは黒ローブもか。
その二人はよく俺に絡んでくる。鉄錆と揶揄される冒険者エイトにだ。つられて評判が下がるのを危惧してるんだろう。そんな輩にルークが懐いてるって状況が気に食わないってのもあるか。模範になるくらいに努力しろと発破をかけたいのかもしれん。
だがそれは無理な相談だ。俺はうだつの上がらない鉄級のエイト。昇級なんて眼中にない。
そのスタンスはこの受付嬢にネチネチと文句を言われ続けても曲げなかった。もちろん今後も曲げる気はない。
ニュイに話を振られた受付嬢が『そうですね……』と前置きして口元に片手を添えた。俺の顔をチラと見てから露骨に視線を外す。
「…………まぁ、いいんじゃないでしょうか」
そして、何故か、俺の擁護をし始めた。
「昇格に乗り気でないというのは士気の欠如と見做されがちですが、己の力量を弁えているとも取れます。銅級に上がれば討伐任務の比重が増しますし、そうなれば自分の役割を果たせなくなると……そう判断しているのであれば、ギルドからは特段に申し上げることはありません。現にこうして優秀な後進を育成しているわけですし……」
おいおい。なんだこりゃ……? 冗談にしては笑えねぇぞ。
ルークとニュイが呆気にとられた表情をしている。てっきり小言が始まると思っていたのだろう。俺もだ。この女が俺を擁護したことなど……ちょっと記憶にない。
どういうことだ……。チッ、使うか。【六感透徹】。
……これは……なるほど……分かったぞ。
こいつ、もう俺になんの期待もしてないな?
言うだけ無駄。ならば言うのはやめにした。薬草あさりではなく石級の世話をしているなら、もうそれでいい。なるほど、単純明快な結論じゃないか。
俺は溶岩の竜騒動の折、恥も外聞もなく避難を選択した。冒険者ギルドに諸々の手続きをしにいった時の反応は今でも覚えてる。驚愕と失望が入り混じったあの表情は本心からのものだろう。そこで見限られたな?
ギルドの中核……ルーブスやノーマンなんかはまだ俺への警戒を解いていないかもしれんが……そいつらの懸念がいち受付嬢であるこいつ……シスリーとやらまで降りてきているとは考えにくい。
要は、こいつの中で鉄級のエイトという存在は終わったのだ。石級の時の目覚ましい活躍を打ち消して余りある素行不良にいよいよもって期待を捨てた。そんなところか。
なるほど。こりゃあ都合がいい。敵が一人消えた形になるな。鬱陶しい小言を聞く必要もなくなりそうだ……くくっ。ちょろいちょろい。
「シスリーさん……? 後進の育成って言っても、エイトさんはただ付いてきてるだけうぷっ」
おっと余計なこと吹き込むんじゃねぇよ。俺はニュイの口を塞いだ。
手をつねってくるニュイを無視して都合の良い状況作りを推し進める。
「そうよ! まさにその通りよ! 向き不向きってやつだな! それがようやく分かったみたいだなぁ〜? やるじゃねぇの」
「っ……ええ……恐縮です……」
俺が一歩ずいと前に出ると、シスリーとやらが俯いて身体を引いた。ふむ、壁を感じるな。顔も見たくないってか?
よしよし。ここはあえて押さずにいこう。さっと帰ってこの評価を定着させるとしますかね。
「そんじゃ帰るか。よし、昇格祝いだ。感謝の気持ちを込めて俺に奢れよお前ら」
「えぇ……逆じゃないですか?」
「そのうち黒ローブに奢ってもらえるんだからいいだろ。おら行くぞ」
「あっ、エイトさん……お待ち下さい」
身を翻して飯屋に向かおうとしたところ、シスリーとやらに呼び止められる。なんなんよ。
「一応、推薦するにあたっての根拠を頂いても宜しいでしょうか。その、規則ですので……」
「あぁ、そういう……。まーなんだ、同格、同年代に比べりゃできてるほうだろ。心構えも体力もそれなりだ。とっとと上げてこき使ってやったほうがいい。文句があるやつにゃ模擬戦で相手をやらしとけ。そうすりゃ黙る。以上」
「エイトさん……僕たちのことをそこまで評価してくれて……!」
「いや模擬戦で金級にしごかれてるんだろ? それで動けないならへっぽこだ。できて当然だっつの」
「……そこは素直に褒めてくださいよぉー」
「甘えんな」
不満げに顔を顰めたルークは、次の瞬間には渋い表情を霧散させ、
「あっ、模擬戦といえば!」
【六感透徹】を発動していたからだろう。
「指導してもらったミラさんにもお礼を言いたいんですけど」
その瞬間、ギルド内の空気が
「直近で模擬戦を取り次いでもらうことってできますか?」
ピンと、張り詰めたのを肌で感じた。
気付いた者はいるかどうか。ほんの些細な変化だ。だが、その一言を切っ掛けにして確かに空気が変わった。
一部のテーブルで会話が途切れ、職員が詰めている受付の奥で誰かが息を飲み、シスリーとやらがほんの少し眉を寄せた。
なんだ。どうした。今のはどういう『間』だったんだ?
「今後の、模擬戦ですが」
一つ咳払いしたシスリーとやらが平静を装って答える。
「実は、ルークさんとニュイさんの担当は別の方になる予定でして。詳細は追って説明します」
「あっ……そうなんですね」
「そっかぁ。せめて一矢報いてからがよかったけど、それだといつになるか分からないし……仕方ないね」
「じゃあミラさんに言伝だけお願いできますか? 感謝していますって」
「ええ。承りました」
石級の分際で贅沢を言うのは憚られると思ったのか、ルークとニュイは大人しく引き下がった。その様子を見て、先ほど緊張を発した連中が揃って小さく息を吐き出した。
……やっぱり、なんかあるな? それも特別に機密性が高い案件と見たね。これは暴き甲斐がありそうだ。
唇を湿らせる。さてさて、ギルドはどんな秘密を抱えていらっしゃるのかね。この俺に――勇者に隠し立てが通用すると思うなよ?
【六感透徹】を切る。代わりに発動するのは新たな魔法だ。
補助魔法を使いこなす俺には分かる。声や音ってのは空気の震えだ。距離や障害物によって減衰し、消滅するそれらを余さず拾う。範囲はこの建物全体だ。
振動を拾う範囲を底上げする【聴覚透徹】
あらゆる物に遮られ消えゆく振動を感知する【触覚透徹】
不必要な騒音を狙って打ち消す【無響】
併せて三つ。練り上げる。
ノイズにしかならない喧騒を排し、特定の振動のみを狙って拾う。耳は当然のこと、全身そのものを音を拾う器官へと昇華させる。俺の前には壁など存在しないも同然よ。
【透聴】。拾うキーワードを『ミラ』に設定する。
――――――んでミラさんが模擬戦を――――――――んな未来はこねぇ――――ういやミラさん見ない――――――なんとか、ミラさんのことはうまく誤魔化したな――
捉えた。声を極力まで絞っているあたりビンゴだろう。
酒場の端の席。あいつらは……見覚えがある。シグという人格で治安維持担当の詰め所に潜入した時に顔を合わせた幹部の二人だ。治安維持担当の上澄み……これは間違いないだろう。
拾う音を二人の会話に絞る。
――まだ帰ってくるまでは時間があるからな
――ええ。それまでは私たちが代わりを務めないと
――なんの任務かは知らんが……無事に帰ってきてほしいな
――ミラさんなら大丈夫でしょう。気合い入れましょ。ひと月くらい持ちこたえないと失望されるわよ
……なるほど。なるほどね?
こりゃあ……想像以上に追い風が吹いてるみたいだな?
「チビども。俺は……野暮用を思い出した。ちょっと出掛けてくる」
「えっ? この時間にですか……?」
「僕らの昇格祝いは……?」
「それは日を改めて黒ローブも交えてやりゃいいだろ」
「それはまぁ、確かに……」
「んじゃそういうことで」
「あっ、もう……約束ですよー!」
「あいよ」
背を向けながら軽く手を挙げて答える。俺は足早にギルドを後にした。思わず口角が上がり、こらえきれずに駆け足になる。
『遍在』のミラ、不在……! それもひと月近くときた……!
おいおい! おいおいおいッ! 勝利が約束されてんじゃねぇかオイッ! 一儲けするチャンス到来ってなぁ……!
滾る血潮を彷彿とさせる西日が眩しい。まるで輝かしい前途を祝福するかのようだ。いいね。いい気分だ。俺は速やかに路地裏へと駆け込みいつもの短剣で首を搔き切った。




