変わる運命、変わらぬ運命
髪色は似ている。瞳の色もそっくりだ。
しかし、言ってしまえばそれだけである。ありふれた特徴だ。そこらを歩いているやつを十人集めれば似た特徴を持つやつが二人か三人は見つかる。決定的な証拠にはなり得ない。
だというのに。
二人は――既に確信しているみたいに距離を縮めた。恐る恐る、しかし強く引かれるように。
「聞いても、いい?」
「……なん、でしょうか」
互いの距離感を測るような物言いは、万が一を恐れるがゆえの予防線のように見えた。
ごくりと。唾を、或いは込み上げるものを無理やり飲み下すように喉を鳴らした女将が震える声で尋ねた。
「君の、名前は……ブラウ、だったりする?」
違う。あいつはそんな名前じゃない。
だが……それは繋がりの否定を意味しない。
俺はさっき女将の名前を聞いた。名前はあまり呼ばれたくないということで、ずっと女将と呼んでいたから忘れていた名前だ。
どっかで聞いたことがあるような名前で、混同するのを避けるために……そして俺のことをオッサン呼ばわりしたことの意趣返しとして、俺はあいつをツナと呼んでいた。
あいつの名前は。
「いや……俺の名前は、ティナっていいます」
偶然と片付けるには出来すぎていやしないだろうか。
オリビアの方を向く。目配せだけでは気付かない可能性があったからだ。そして小さい頷きが返ってくる。……万が一って懸念は、いらないようだ。
「ティナ……っ! ねぇ、どうして」
感極まったのか。まつ毛を震わせ、瞳を潤ませた女将が、目を合わせるように腰を屈めて問い掛ける。
「誰に……その名前を、付けてもらったの……?」
「……揺り籠に、名前が書いてあったんだ。古い揺り籠で、もしかしたら、親の名前かもしれないって……言われたけど……」
生意気さを象徴する吊り目が歪む。鼻頭に皺を寄せ、すんと鼻を鳴らした……ティナが言った。
「それが、唯一の繋がりだったから」
「……っ! あぁっ!」
女将の目からボロボロと涙が零れ落ちた。積年の思いを吐き出すように。
震えた膝が折れ、半ば抱きつくように肩に手を置く。端正な顔を子どものようにくしゃくしゃにして、女将は嗚咽混じりに言った。
「ティーナ、わたし、ティーナよ……っ!」
何事かと人が集まってきたのを気にも留めず――いや、気にする余裕もなく、ただ喚き散らすように女将は続けた。
「古い揺り籠で……買い替えようねって約束したのに……でも、買い替える前にあの人が……っ! ごめん、ごめんね……嫌だったでしょ……? 女の子みたいな名前で……」
「そんなことねぇよ! そんなこと、思ったことないッ!」
「何もしてあげられなかった……辛い思いも、たくさんさせちゃったでしょう……?」
「そんなこと、ねぇよぉ……。仲間もいたし、助けてくれる人が、いたんだ」
空白の時間を埋めるように紡がれた言葉は、子を心配する親のものであり、親を心配させまいとする子のそれであった。
涙で顔を濡らした二人が、家族の熱を確かめるように顔を寄せ合う。
「ねぇ……一つだけ、お願いしてもいい?」
「……なにを?」
「資格がない、なんてこと……分かってるけど、それでも……もう一度だけ……」
かじかむように震えた手でティナの顔を撫でた女将が哀願するように呟いた。
「もう一度だけ……私の子を、両腕で……抱いてあげたいの」
女将が抱えた罪を赦せるのは、永い時間か、もしくは実の子どもくらいだろう。
「資格がない、なんて言わないでくれよ」
膝をつき、拒まれることを恐れてか、凍えるように震えていた女将に……ティナは勢いよく抱き着いた。
「……母さん」
「う、あぁ……っ! あああぁぉ……っ!!」
ひし、と我が子を腕に抱いた女将は、積もり積もった呵責の念を吐露しながら叫んだ。その度にティナが背と頭を撫でつける。
まったく。これじゃどっちが親なんだか分からねぇな?
「……良かった。本当に、良かったですね」
「あぁ……そうだな」
(おいオリビア、猫かぶり忘れてんぞ)
「んあっ!? そ、そうですね……っ!」
やれやれ。どうやらこっちは前途多難なようだな? まったく、雰囲気に任せて手でも握ってやりゃちっとはマシになっただろうにヘタれやがって。
「……さぁ、作業に戻りましょうか」
「えぇ、そうですね」
集まってきた商人連中が各々の持ち場へと戻っていく。見物は無粋だと悟ったのだろう。やつらはそういうところで選択を誤らない。人の意を汲むのが上手くなければ商いで功を立てるなんて夢のまた夢だからな。
俺も去るか。そう思って踵を返し、しばらく進んだところにアンジュの姿があった。こちらをからかうような柔らかい笑みを浮かべている。
「……あんだよ」
「いえ。これも狙い通りだったのかなーって思って」
「んなわけあるか。さすがにただの偶然だっつの」
「そうですか。まぁ……そうですよね」
俺は神でもなんでもない。はぐれた親と子を劇的に巡り合わせるなんて芸当を狙って起こすなんて不可能だ。そんな出来すぎた筋書きを用意するなんて……人の手に余る。
「だったら、これも運命ですかね」
「…………」
「親子の願いが同じで……それが切っ掛けで再会を果たした。そんな物語みたいな出来事が、どこかの誰かさんが狙ってやったんじゃなかったら、それは運命なのかなって」
「そう思いたいってんなら勝手に思ってりゃいい」
「そうします」
アンジュはどこか達観したような顔で含み笑いを浮かべた。
チッ、こいつめ。ますますいっそうガキらしさが損なわれてやがる。こいつが商人どもの手練手管を学んだら手がつけられなくなりそうだな。
「……わたしたちも頑張りますよ。もらった機会を無駄にしないように」
「そうかい」
「それに……描かなきゃいけない漫画のネタも増えましたしね?」
「……ん? どうしてそこで漫画の話が出てくるんだ?」
ガキどもが発行している『クズ勇者のその日暮らし』とかいうクソのような漫画は、俺の偉業を解せないガキどもが俺の活躍っぷりを面白おかしくアレンジして作り上げたものだ。
まこと腹立たしいことこの上ないのだが、その売上が俺の懐に入ってくるという事実に免じて目溢ししてやっている。俺以外のやつがやられたらキレるぞあんなの。俺が寛容だから許されたのだ。そこは履き違えないでもらいたいね。
それはいい。問題は何故いまクソ漫画の話が出てきたのかである。
アンジュは目を瞬かせて首を傾げた。
「えっ……? 漫画のこと、ティナから聞いてないの?」
「は? 何を?」
「あの話が作られた理由とか」
「理由だぁ? もちろん聞いたぞ。こんな面白いやつはネタにして描き表さなきゃ勿体ねぇとか抜かしやがったがな。あのクソガキめ」
俺は唾と一緒に怒りの念を吐き捨てた。人さまを馬鹿にしやがってツナめ。もし金にならなかったら百回は泣かせているところだ。
「ふふっ……そう、言われたんですか?」
「あ? なに笑ってやがる」
「いや……素直じゃないなあって思って」
クスクスと口を覆って笑みを漏らしたアンジュが一つ深い呼吸を置いて表情を整えた。真剣な顔。真っ直ぐな瞳で俺を見据えて。
「フォルティさんは……勇者様は、わたしたちだけじゃなく、この街も守ってくれました」
【無響】は展開してある。話が聞かれることはない。
「でも、それを知ってるのはほんの一部の人だけ。勇者様は……頑なに自分の功績を広めようとしない」
「その方が俺にとって都合がいいからだ」
「分かってますよ。でも、報われないじゃないですか」
「報われようとしてやってることじゃねぇ。気にしたことなんてねぇよ」
「それでも、ですよ。恩を正面から伝えられないのは……もどかしいんです」
恩は踏み倒せと教えただろうに。どこまでも甘いやつらだ。
「溶岩の竜の真相を捻じ曲げた偽の記事を書いてくれってギルドから伝えられた時……ティナはすっごい怒ったんですよ? すごい立派な体格の男の人に対して殴り掛かるような勢いで突っかかって。ヒヤヒヤしちゃった」
「…………」
「でも、それが勇者様からの直々の依頼だって知ったら……力なく拳を下げたの。恩返しもさせてくれねぇのかーって」
「金なら貰ってるだろ」
「そういうことじゃないって分かってるでしょ」
さぁな。あいにくと、命を助けられるって感覚が分からないものでね。
俺は軽く肩を竦めた。
「だから、あの漫画はわたしたちなりの恩返しなんです」
「主役の首がポンポン飛んでるんだが?」
「そうでもしないとカモフラージュにならないじゃないですか。こんな勇者なんていないって思わせることが第一条件だったんです」
「…………」
「普段はふざけてて、有り得ないような悪巧みをしてて、そうして作り話だって信じ込ませてから……勇者様がわたしたちにしてくれたことを、描くんです」
「…………」
「絶対に忘れないように。誰にも言えなかったら、そのうち忘れちゃうじゃないですか。それくらいは許してくださいよ」
「好きにしろ」
「えへへ。お墨付き、もらいましたよ?」
ガキどもめ。余計な真似をしやがって。そんな生ぬるい三流芝居がウケるだなんて思い上がるんじゃねぇよ。
もしも売上が減って俺の取り分が減ったら……その時は徹底的にどやして打ち切りにしてやる。覚悟しておけ。
にやにやと締まらない顔のアンジュに背を向け、再び道の往来で抱き合っている二人の元へ向かう。
野次馬が多くなってきた。放っておくのもそろそろバツが悪いだろう。いつまでもわんわんと泣かせておくわけにもいかんしな。俺は二人に声を掛けようとして――
「ぐすっ……ううっ……よがっだ……よがっだですね……がんどうできでず……」
おっとミラさん。俺は大きく距離を離してから二人に近付いた。すすすと音もなく付いてきたミラさんがずびずびになりながら言う。
「オリビアざんが、またよがらぬこどをかんがえでいるやからにりようざれてるのかとおもっだら……うう……こんな……ごんなのなぐにきまってるじゃないでずかぁ……」
「…………」
どうすっかなぁ、これ。
俺が立ち止まると、ミラさんも俺の横でピタリと立ち止まった。スッと涙を引っ込めて言う。
「ところでなのですが」
平坦な声。
「孤児院経営にあたっての運営資金や物資は新聞社並びに有志の商人たちが捻出する。そう伺っておりますが、間違いはありませんね?」
「…………」
「ニコラス氏? 私は貴方に問うています」
「ええ、まあ……そうですね」
ミラさんが俺の前に立つ。俺は宿の方に身体を向けた。着工の様子が気になったのである。そしてミラさんに回り込まれた。射抜くような視線とはよく言ったもので、その目付きは剛腕の狩人によって放たれた空を裂く鏃のようだった。
「お尋ねしたいのですが」
抉りこむような角度で俺を見上げるミラさんがこてりと首を傾げた。
「貴方が『聖女』オリビアの威を振りかざして民から、そして商人から集めた金銭は……どうなされたのですか?」
………………いや。いやね? まぁーなんだ。新聞社の売上ってめちゃくちゃ高かったんだよね。それをガキどもはさぁ、後生大事に溜め込んでたわけで。そこで思っちゃったんだよね。
あれ? これ、初期投資とかいらなくね?
ガキどもと商人たちだけでやっていけるんじゃね?
俺が集めた金、使う必要なくね?
って。
「ギルドの調べでは……ニコラス氏、貴方個人が抱えている使途不明金は――金貨二百枚超を計上しております。支出面の透明性を、提示していただけますか?」
…………ふぅー。俺は襟を正した。呼吸を整える。大丈夫、落ち着け。【鎮静】。よし落ち着いた。
まだだ。俺は己に言い聞かせた。まだ巻き返せる。ここからなら、まだ――
「金貨、二百枚!? おい、おまっ、何してんだ! いつの間にそんな……行動を起こすなら絶対にアタシを通せって言っておいただろッ!」
「ばっ! お前……!」
「おや。おやおや。オリビア……さん。もしかしてつい三日前にニコラス氏が商人の方々から寄進を募っていたのを……ご存知ない?」
「はぁ!? 知らねぇぞそんな話ッ!」
忘れてた。そうだ、その日は帰ったら女将の身の上話を聞かされて……事後報告するつもりだったのをすっかり忘れてた。
……んー、これ、まずいな……?
「ニコラス氏。貴方は寄進に対する返礼として贈答したツボと水は『聖女』の祝福が施されたものであると喧伝していましたね?」
「…………」
「その件を……祝福を施した当の本人が関知していないのは……些か不自然であるように見受けられますが」
「…………」
「私の勘違いなら……いいのですが」
カツ、カツと靴音が鳴る。音を消さないのは威嚇のためだろう。体温を感じるほどの至近距離で、小さな狩人は目を開いて俺を見上げていた。
「貴方は『聖女』の名を利用し、粗悪品とただの水を売りつけて金銭を獲得し……この件に乗じてその事実を有耶無耶にしようとしているのではないですか?」
俺は周囲を見回した。
クロードが眠たげな細目で睨んでくる。
オリビアが顔を覆って天を仰いでいる。
ツナが『こいつ、マジか』と言いたげな目で見てくる。
女将が泣き腫らした目で事態を飲み込めずに瞬きしている。
アンジュはしきりに羽ペンを走らせていた。
――なるほど。なるほどね?
【敏捷透徹】。俺は衆目を振り切るように路地裏へ向かって走り出した――。




