Steal・1 あなたが欲しいの
怒った顔も可愛いよ、とこのタイミングで言ったらきっと殴られるだろう。
しかも拳じゃなくて銃の尻とかで。
ちなみに、このタイミングってのは、苺が俺の胸に銃口を押し当ててるタイミングのこと。
イカした状況って言うよりは、イカレた状況だろう?
ははっ、軽口は俺の趣味みたいなもの。
だけどまぁ、時と場合によっては封印することも、やぶさかではない。
痛いのはあまり好きじゃないんだ。
「前置きなしで言うわ」苺は真っ直ぐに俺の目を見た。「どういうつもりなの? 何がしたいの? 怪盗ファントムヘイズ、いえ、ブラッドオレンジ」
ああ、ヤバイ。
ヤバイ、ヤバイ。
ピンチという意味ではない。
面白くて我慢できないという意味。
自然に口角が緩んでしまう。
ああ、面白い。
実に面白い。
だから苺が好きだ。
俺は笑った。
声に出して笑った。
楽しい。
本当に楽しい。
「あなたイカレてるの!?」
苺が引きつったような歪な表情を見せた。
「ああイカレてるとも。当然じゃないか。秋口苺。俺がイカレてねぇなら、一体どこの誰がイカレてんだ? いや素晴らしい。よくぞ見抜いたとでも言おうか。ははっ、テンティの正体が分かったんだな?」
「ええ」
「正解に辿り着いた秋口苺ちゃんには、特別賞をプレゼントってね」
「何が特別賞よ。ふざけんな。よくも騙したわね。最初から全部、あなたが仕組んでいたのね。でも何のために? 動機だけが分からないわ。あなたは何がしたいの? 理解できない」
「ははっ。ゆっくり説明してやろうか?」
「ええ。局の取調室でね」
◆
1日前。
「いつから日本の捜査機関は犯罪者に頼るようになったんだ?」
日本情報局内にある拘置所で、俺は少し笑いながら言った。
ここは独房で、畳を四枚並べただけの広さしかない。
その上、畳一枚分は洋式便所と洗面台に占拠されているので、生活空間は畳三枚分だ。
まぁ悪くない。
シンプルで好きだ、こういう部屋。
特に好きな部分は、出ようと思えばいつでも出られるところ。
「情報局が創設された時からよ。情報を得るために司法取引が必須だもの」
俺の独房の中に、その女性はハイヒールで入ってきた。
畳の上にハイヒールで立っているのだ。
畳が可哀想だ。
代われるものなら代わってやりたいね。
女性は黒くて長い髪の毛に、整った顔立ち。
黒のパンツスーツで、ジャケットのボタンは全部外している。
年齢は20代後半といったところ。
控えめに表現して、かなりの美人。
ヒールで踏まれたいと思うのも無理はない。
「彼氏いるのか? 刑事さん」
俺は座ったまま、笑顔を浮かべて言った。
ニコニコしている方がモテるので、俺は美人と話す時は笑顔を浮かべるようにしている。
といっても、エメラルドグリーンの舎房着じゃ、俺の魅力は半減って感じだが。
「刑事じゃなくて捜査官よ」
女性は肩を竦めた。
その肩から伸びる左手に、何かしらのファイルを持っている。
「そうかい。それで彼氏は?」
「いないわ。仮にいたとしても、あなたには関係ない」
そいつは実に残念だが、まぁ仕方ない。
俺は犯罪者で、彼女は捜査官だ。
そもそも結ばれちゃいけない間柄なのだ。
まぁ俺の方は気にしないが。
「じゃあ捜査官殿、とりあえず自己紹介でもしてくれよ」
「日本情報局、情報部対内課、特別犯罪捜査班の秋口苺。怪盗ファントム・ヘイズを逮捕したことで一目置かれるようになったわ」
女性――秋口苺は、右手で内ポケットから二つ折りの身分証を出す。
そして身分証をパカッと開いて中身を俺に見せた。
「苺ちゃんね。ずいぶん可愛い名前だ。捜査官っぽくねぇ」
俺は肩を竦めた。
「私もそう思うわ。でも名前と捜査は無関係。次はあなたの番よ、ファントム」
苺は身分証を内ポケットに仕舞った。
「俺?」
「そう。本名は?」
「忘れちまった」
もちろん嘘だ。
自分の名前を忘れるアホはあまり多くない。
「逮捕したのにあなたの素性が分からなくて困ってるの。思い出してもらえないかしら?」
「無理だな。そもそも、最初から本名なんて存在してねぇかも」
世の中には戸籍のないガキもいる。
俺は違うが。
苺が深い溜息を吐く。
「じゃあいいわ。それより答えを聞かせてファントム。私の提案を受けるの? それとも受けないの?」
「ファントムじゃなくて、ヘイズって呼べ。元々、俺のコードネームはヘイズだ。どっかの誰かが勝手にファントムなんて付けやがったみたいだけどな」
「あら? いいじゃないファントム」
「ヘイズだ」
「そう。じゃあヘイズ、私に協力するの? しないの?」
「俺はこのまま刑務所に行きたいんだが?」
「ええ。知ってる。そうでしょうとも。そうでしょうともね。怪盗ファントム・ヘイズともあろう者が、あっさり捕まるはずがない。だとしたら、わざと捕まったということになる」
「苺ちゃんの腕が良かったんだろ」
俺はヘラヘラと笑顔を浮かべた。
女を口説く時の笑顔じゃなくて、はぐらかす時の笑顔だ。
意識して使い分けている。
「私の腕がいいのは知ってるの。でも、あなたはわざと捕まった。理由は何かしら? 当てましょうか?」
「当たるとは思えないな」
「そう? じゃあ、当てたら私を手伝ってくれる?」
「当たればな」
分かるはずがない。普通の奴は俺の思考を理解できない。
「自分のスキルでプリズンブレイクできるか試したかったんでしょ? 映画みたいに」
苺は勝ち誇ったような表情で言った。
俺は言葉に詰まった。
鏡を見たらきっと俺の目は点になってるね。
前置きも何もなく、いきなり確信を突かれた。
常人には理解できない、と思ったすぐあとに言い当てられたのだ。
そりゃ驚くさ。
「ええ。ヘイズならできるかもしれないわね。分かるわ。もう外の世界に敵はいなくなってしまった。そう感じたんでしょう? あなたはお金が欲しくて何かを盗むわけじゃない。自分のスキルがどこまで通用するのか試しているだけ。あとはスリルも少々」
俺は黙っていた。
「だからこそ、あなたは途中から予告状なんてふざけた物を出すようになった」
俺は予告状にもちゃんとヘイズと署名していた。
最初の方は、だけどな。
なぜか途中から怪盗ファントム・ヘイズと署名するハメになった。
誰だよマジでファントムとか付けた奴。
微妙にダサくねぇか?
まぁ、名付けたのは知ってる奴だけども。
「まぁ、それでも捕まえられない警察は無能としか言いようがないわね。実際のところ、あなたが手加減してくれなかったら、私でも捕まえられなかったかもしれない」
「謙遜がお上手で」と俺。
苺は少し複雑な表情を浮かべてから続ける。
「さて、敵が弱すぎて退屈になったあなたは、とりあえず刑務所にでも入ってみようかと思い始めた。そうね、私の予測だと、二ヶ月は刑務所暮らしを満喫して、それから華麗にドロン! 怪盗ファントム・ヘイズ、あっさりプリズンブレイク。また世間で騒がれる。でしょ?」
「思ったより面白いな、苺ちゃんは」
苺の言ったことは一つを除いて全て正しい。
なるほど、プリズンブレイクよりも苺に協力した方が面白いかもしれない。
正直、面白ければ何でもいいんだ。
「そうでしょ? 私、人の心が読めるのよ」
「へぇ。行動心理学? それとも微表情?」
「あとは演繹的推理も」
「詐欺師もそういうの使うだろ?」
「一緒にしないで。まぁ、私はそういうのが得意なの。正解だったでしょ?」
「ああ。思ったよりずっと優秀だ」
少なくとも、俺は苺に興味を持った。
もちろん、容姿が綺麗だから最初からそれなりの興味はあったのだが。
でもそれは単純に寝たいというだけであって、苺を知りたいという意味ではなかった。
「じゃあ手伝ってくれるわね? 詐欺師ブラッドオレンジの捜査を」