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 付き合っちゃえば、と軽々しく言うひとをゆめは何度か見てきた。

 教室の片隅で息を殺しているときだったり、仕方なしに乗った電車のなかであったりと場所は様々だったけれどそこには共通のものがあった。

 からかい。嘲り。相手の心を突き回してやろうという意地の悪い感情。

 それらはゆめの心にざらざらとした不快感をもたらすとともに、からかわれた相手の胸の痛みまでも感じさせる。

 いつもであれば、そのはずだった。

 けれど今日はちがう。


(感情が伝わって来ないって、こんなに楽なのね)


 笑うキドの感情はゆめに流れ込まない。それは彼が獏という人外の存在だからなのか、それとも違う要因があるのかはわからない。

 わかるのはキドが明るく笑っていることと、彼の声がふざけたように弾んでいることだけ。

 ゆめははじめての感覚に驚きと不思議な気持ちを抱きながら味わっていた。


(ふつうのひとはみんな、こうやって表情と声だけでやり取りしてるのかな。それってすごく……頼りない)


 他者の感情が流れ込むことが普通のゆめには、感情を伴わない言動はひどく儚く思えた。


(キドさんは表情がはっきりしてるから、きっと感情もわかりやすいほうなのよね、これでも)


 互いの感情を手探りしながらの会話が新鮮で、無責任な発言だとわかっていながらゆめはちらりとヒアイを盗み見た。


 不機嫌な横顔。肌は白いが病弱な白さではなく、彫刻のような美しさがある。高い鼻も切長の目も精巧な作りで人の目を惹きつけるけれど、その美はけして女性的ではない。

 グラスを持つ節くれ立った指、筋張ったのどや嚥下とともに上下する喉仏の動きなど、異性を意識させるだけの魅力にあふれている。


(どんな感情を持っているのかすこしもわからないけど、でも、どこから見てもかっこいい……)


 あまりにも見目が良すぎて、男女交際どころかひとと深く付き合うことすら避けてきたゆめでさえうっかりヒアイと並んだ自分を思い描こうだなんて考えてしまう。

 冷たく整った美貌のヒアイの姿は簡単に思い浮かぶのに、そのとなりに平凡どころか地味なゆめが並ぶ姿はあまりにも釣り合いが取れなくて、想像すらもうまくいかない。


(あり得なさすぎて笑っちゃうな)


 ふふ、とゆめがひとりで笑ったとき、グラスを置いたヒアイがふむ、とひとつ頷いた。


「それ良いな。お前、付き合え」

「おっ」

「ええっ!?」


 好奇心丸出しの声をあげたキドと驚くゆめに構わず、ヒアイがふと顔をあげた。つられたゆめが彼の視線を追えば、酒瓶でいっぱいの店の壁に時計がある。種々様々なラベルに溶け込んでしまいそうな文字盤のうえの針が示すのは十一時。


(もうこんな時間……)


 ゆめの頭に昨夜のひかりのことばがふと蘇る。

 「次に約束やぶったら、バイト辞めてもらうから」と言っていたのは本気だったのだろうか、と不安がにじむ。

 

(ううん、わたしのアルバイトにあれこれ言ったとしても、勝手に辞めさせるんてひかりちゃんにはできないはず。このひとたちだってひかりちゃんが言うような怖いひとじゃないし……)


 言い聞かせるように胸の内でつぶやいたゆめは、寝ていた男女の客がもぞもぞと身動きをはじめたのを、視界の端ちとらえたり

 ほぼ同時に起きあがったふたりはふああ、と大あくび。互いに照れたように見つめてあってから、カウンターを振り向く。、


「ごめん、キドさん。また寝てたみたいだ」

「このお店に来るとなんだかついつい寝ちゃうのよね。居心地が良いからかしら」


 恥ずかしげに笑いながらふたりが言うと、キドはくすくすと笑いだす。


「気持ち良さそうに寝てましたよ〜。コンセプトは誰もがくつろげる隠れ家みたいなお店なんですけど、ベッドのなかくらいリラックスできるレベルになっちゃったかな?」

「あはは! そうかも。すこし寝たらすっきりしたし、居心地の良いお店にまだまだ居たいから飲み直そうかな」

「はい、よろこんで」


 追加の注文にすかさず答えたキドに、客は「商売上手だねえ」と楽しげだ。

 客たちから伝わってくる感情もことばの通り歓喜やそれに類するものばかりで、なおかつ穏やかさを保っているおかげでゆめも穏やかに傍観者でいられた。


「楽しい時間を提供するのが僕の仕事ですから」


 にこにこと笑うキドは感情こそ伝わってこないものの楽しげで、ゆめは「天職っていうものなのかな」とほほえましい気持ちになる。

 そんなゆめの耳元でヒアイがぼそり。


「楽しく酔わせて見る夢を喰うためだけどな」


 ぎょっとしてゆめが振り向いたときには、ヒアイはすでに席を離れて扉に向かっていた。

 その背を追いかけそうになって、ゆめはカウンターに視線を戻す。


「ん? ああ、お勘定ならあいつが後でまとめて払うよ」

「え、でも……」

「いーのいーの。付き合う手間賃とでも思って。それよりほら、置いてかれるよ?」


 キドに言われて振り向けば、ヒアイの背中が扉の向こうの暗がりへ消えて行くところだった。

 

「あっ! あの、それじゃあ、ごちそうさまでした!」

「うん。よかったらまた来てよ。これ、店のカード」


 去り際に渡されたカードには店の電話番号と営業時間が記されていた。

 咄嗟に受けとったカードをポケットに押し込んだゆめは、何度も頭を下げながら小走りに戸口へ向かう。

 キドがひらりと手を振り、男女の客が微笑んで見守っているのを視界におさめながら、ゆめは閉まりかけた扉の隙間に滑り込んだ。その耳にするりと飛び込んだ声はキドのもの。


「良い夢を」


 ぱたん、と閉じた扉の向こうに気を取られて立ち尽くすゆめの耳に低い声が届く。


「時間は」

「え?」


 上から聞こえた声に顔をあげれば、地上にあがったヒアイが半地下の底にいるゆめを見下ろしていた。

 慌てて階段を駆け上がったところで「あれ、どうしてわたしこのひとに着いて行ってるんだろう?」とゆめの頭に疑問が浮かぶ。


「時間に問題がないなら、付き合ってくれ」

「へっ!?」


 浮かんだ疑問は顔にのぼった熱にあっけなく追いやられた。

 ゆめが驚きのままに見上げた先で、ヒアイはゆるく唇の端をあげる。


「付き合ってくれ、()()()()に」


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