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 キドの顔がひどく近い。互いの肌の熱が感じられるほどの距離にあっても、彼の姿は美しく整っている。

 獏という生き物の特徴なのか抜けるように白い肌は、かたや黒髪の冷たさを感じさせる美貌のヒアイと、かたや茶髪の親しみやすい笑みを浮かべたキドとをよく似て見せた。


(感情を読めなければ、違って見えるのかな)

 

 ゆめは張り詰めた意識の片隅で考える。

 彼らの目鼻立ちは似ていない。ただ、作り物のように白い肌とガラス玉めいた硬質な瞳、そしてほとんど感じ取れない感情の薄さに気づいてしまえば、ふたりは同じ作り手によって作られた精巧な人形に見えた。

 しかし、いくら人形めいていても秀麗な異性が顔を寄せていることに、ゆめは動揺を隠せない。


(近いんですけど……!)


 熱気が感じられる距離に顔を寄せられることなど、祖母が生きているうちにもそうそうなかった。むしろ、他人と距離を取りたがるゆめに対して祖母はいつもすこし身を引いて接していたし、ひかりでさえいくらか気を遣って飛びついてくることはないというのに。

 記憶にある限り経験したことのない距離感にゆめは動かなかった。いや、動けなかった。

 ひどく疲れて眠気に襲われたときのように体が重くて、自由がきかない。唯一、自分の意志で動かせる口で静止を叫べば互いのくちびるが触れてしまうのではないかと思われて、声も出せない。

 ただただ赤面するゆめをキドは楽しそうに見つめている。楽しそうな表情をしているのに、キドから伝わる感情はひどく淡くてゆめは恥ずかしがるべきか恐れ慄くべきかわからなくなってしまう。

 そこへ。


「遊んでる場合か」


 低い声とともに落とされたヒアイの手のひらが、キドの額を押し退けた。


「いてっ。ヒアイ、ひど〜い」


 赤くなった額を押さえてくちを尖らせるキドを放って、ヒアイの節くれだった手がゆめの目元を覆い隠す。

 視界を奪われたのは一瞬。ヒアイが手を退けたときには、ゆめを襲う眠気はきれいさっぱり失せていた。

 自由になった手で、ゆめは自分の顔に触れる。


(声は冷たいし感情もわからないけど、でも、手はあったかいんだ……)


 眠気とともに去った温もりにゆめの頬がじわりと熱を持っていた。


「なになに、ヒアイってば独占欲強かったっけ〜?」

「そんなんじゃねえ。それより、酒」


 からかうキドを冷ややかに切り捨てて、ヒアイはカウンターに頬杖をつく。キドは「はいは〜い」と笑顔でいくつかの瓶を手にとった。

 シェーカーに氷を入れ、砂時計のように中央部分のくびれた細長いメジャーカップで酒をはかって入れる。蓋をしたシェーカーを軽快に振って、脚の長いグラスに注がれたのはやわらかいグリーンの液体。上層にいくほど緑色がやわらぎ、表面を覆うクリーム色にチョコレートを削り落とし、ミントを添えれば完成だ。


「チョコレートグラスホッパー。さて、お嬢さんは?」


 流れるような所作に見入っていたゆめは、声をかけられてしどろもどろになる。


「え? えっと、わたしお酒はまだ……」

「ありゃ、未成年か。じゃあフレッシュジュースにしとこうね」


 ゆめが答えると、供されたグラスに手を伸ばそうとしていたヒアイの動きが止まる。それには構わず、キドはいくつかの果物と氷をジューサーに放り込んであっという間においしそうなジュースを作りあげた。

 止める間もなく目の前に置かれたグラスを前に、ゆめはパチパチと瞬きをする。


「どうぞ、飲んでみて」


 促されたゆめは恐る恐るグラスにくちをつけて、目をまん丸に見開いた。


「おいしい……」

「素直でかわいいねえ」


 はじめてくちにした本物の果物のフレッシュジュースはおいしかった。祖父母に連れられて行った喫茶店のジュースもおいしかったけれど、それとはまったく違う。フルーツの新鮮な旨味と香りが一杯のグラスにぎゅっと詰まって、舌の上ではじけるようだった。

 無言でひと口、もうひと口とジュースを味わうゆめを見てキドがくすくす笑う。


「それにしてもヒアイってば、いっけないんだー。未成年をバーに連れ込むなんてぇ」


 キドが笑い混じりに言うと、固まっていたヒアイがうなるような声をあげた。


「お前……年は」

「え、十九です」


 ジュースに気を取られていたゆめは、突然の質問にうっかり素直に答える。


「名前」

「ほ、星宮ゆめ」

「ひとり暮らしか」

「いえ、親戚の部屋に間借りしてます、が……?」


 唐突な質問攻めに、ゆめはつられて答えてしまう。その間、ヒアイはカウンターを睨みつけたまま動かない。


「ゆめちゃんかあ、獏受けする名前だねえ」

「はあ……」


 獏受けとは何なのか。褒められているのか否か判断がつかずあいまいな返事をするゆめを気にすることもなく、キドは続ける。


「それにしても、十九歳なら条例的にはセーフだけど、遅くまで帰らないと保護者に探されちゃったりするかな。遊び歩いてるタイプじゃなさそうだし」


 首を傾げたキドのことばに、ゆめの脳裏をひかりの顔がよぎった。くちを開きかけたゆめは唇をきゅっと引き結び、ゆるゆると首を横に振る。


「……いいえ。保護者じゃないし、アルバイトで遅くなるって連絡はしてるから問題ないです」


 ひかりは保護者ではない。ゆめの親権を持っていた祖父母が亡くなったあと、ゆめの親権は宙に浮いていた。ひかりの父である叔父が手を挙げてくれてはいるが、自分のせいで亀裂の入った家族が壊れるのが恐ろしくて、ゆめは叔父の申し出を保留にしている。

 不意に表情を固くしたゆめを見下ろしたヒアイは「ふうん」と言う。表面上は興味なさげで、感情もゆめが感じ取れるほどに動いてはいない。

 けれど付き合いの長いキドは、ヒアイが心底安堵していることに気がついてこっそりと肩を震わせる。


 ヒアイはキドをじろりとにらみ、仕切り直すように咳払いをひとつ。


「なら、聞かせてもらおうか。あんたは人間だが、俺のことを見破った。そのくせ獏を知らないときてる。どうして俺が人間じゃないとわかった?」


 抑揚に乏しい低い声と、未だに探れない感情がゆめに不安を抱かせるけれど。


(ここに連れてこられたのは無理やりだけど、わたしが未成年だって知ってジュースを出してくれたし。あのお客さんたちも寝てるだけみたいだし、それに、このひとたちならもしかしたら……)


 ゆめの心にあったのは、期待。

 自らを獏と名乗る男たちは不審だけれど、だからこそゆめの話を信じてくれるのではないか、と思ったのだ。

 拒絶が怖くてひかりには打ち明けられず、ひとりで抱え続ける苦しい秘密を誰かに聞いてほしかった。感情が流れ込まない、ふつうのひとたちのようなやり取りをもっとしてみたいという気持ちもあった。

 

(おばあちゃんやおじいちゃんみたいに受け入れて、心を重ねて抱きしめてほしいなんて思わないけど。せめて知って、拒絶しないひとがこの世にいるんだって思いたいから)


 もしもかつてゆめの母親がそうしたように拒絶されたとしても、知り合いとも呼べないほどの相手なら傷も浅い。

 そう自分に言い聞かせて、ゆめは口を開く。


「わたしは……他人の気持ちが感じ取れるんです」

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