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桜舞う校門の前、にぎわうひとの姿のなかにぽっかり開いた空間があった。
『関東大学』と刻まれた門の前。入学式、の看板を横に数人ずつが笑顔を弾けさせては写真を撮り次の数人と入れ替わる。
親子連れの目立つ喜びの空間で、ゆめの背中を押したのは祖母だった。
「ほら、ゆめちゃんの番よ。門のところに立って立って」
はしゃぐ祖母の声は歓喜と祝福に満ち溢れて、ゆめの背中を押す。
入学式のいまこのときは喜びや希望といった明るい感情ばかりが感じられて、人ごみの苦手なゆめも笑顔を作ることができた。
ゆめの大学入学を何よりも喜んでくれた祖母の温かな感情を一身に浴びながら、一枚。
「撮りますよ。おふたりで並んでください」
ゆめが場所をあけようとしたところへ、次に並んでいた親子連れが祖母に声をかけた。
「おばあちゃん、撮ってもらおう」
いつもは控えめなゆめがその申し出を断らなかったのは、相手の機嫌を損ねたくなかったのに加えて、周囲に満ちる明るい感情の影響もあったのだろう。
孫のめずらしく弾んだ声に「あら」と目を丸くした祖母が門の前に立つ。
ゆめと祖母、ふたり並んだ笑顔の写真。
(これが最後の写真になるなんて)
ゆめはひとりきりの部屋で祖母と写った写真を眺めていた。
平日の昼とあって、ひかりは仕事に出かけて姿がない。大学生のゆめは午前の講義だけの日で、昼食を摂りに帰ってきたのだ。
祖母の写真を手に、ゆめはため息をつく。
「おばあちゃん、ひかりちゃんにすごく怒られちゃった」
ちいさくつぶやいて思い返すのは、昨夜のこと。
おかしな男から必死に逃げ帰ったゆめを迎えたのは眉をつりあげたひかりだった。
「いま何時だと思ってるの!? 何度も言ったでしょ、ここはゆめが住んでた田舎街とは違うの。昼と夜とで出歩くひとが変わっちゃうんだから、ゆめみたいな子がぶらぶらしてたら怖い目に合うんだからね!」
開口一番、決めつけるように言われたゆめはむっとした。
(わたしだってわかってるもの。もう十九歳なんだから、そんな子どもを相手にしてるように言わなくたってわかるのに)
不満はあったけれど、ひかりが向けてくる感情は大きな安堵といくらかの心配だったため反論の言葉を飲み込んだ。
けれど謝るのはなにか違う気がして黙り込んだゆめに、ひかりは言ったのだ。
「次にあたしとの約束やぶったら、バイトやめてもらうから」
「えっ!」
「ゆめの学費はおばあちゃんが用意してくれてるんだし、家賃ももともとはあたしひとりで払ってたんだから、ゆめは無理して稼がなくても問題ないでしょ」
「そんな……」
あんまりな発言に驚くゆめを置いて、ひかりは話は終わったとばかりに自分のスペースに引き上げてしまう。
そして、ひと晩経ってもひかりの意志は変わらず、ゆめがなにを言っても取り付く島もない。そのままひかりは仕事に出てしまったのだった。
「この部屋を借りてるのはひかりちゃんだし、ひかりちゃんがわたしの保護者がわりになってくれようと思ってくれてるのもわかってる。だけど……」
ひかりの言動が親切心からくるものだとはわかっている。けれど、ゆめは彼女に叔母の、ひかりの母親の姿を重ねてしまう。
ゆめが暮らした祖母の家を失くしたそのひとと重ねられていると知れば、ひかりは怒るだろう。ただでさえそのことで母親と連絡を絶っているひかりなのだから、ゆめが「叔母さんそっくりだね」とでも言おうものなら、この部屋からも追い出されてゆめはいよいよ行き場をなくすかもしれない。
そうなれば、保証人のあてもない未成年のゆめは祖父母の遺影だけを抱えて路頭に迷ってしまう。
「大学は出るって、おばあちゃんとの約束だものね。卒業までは我慢しなくちゃ」
無理に笑顔をつくったゆめは、後ろ髪を引かれながらも祖母の写真に「バイト、行ってきます」と声をかけて立ち上がった。
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風邪を引いたといっても、ひとによって症状は千差万別。高熱にうなされる者もいれば鼻やのどの不調を訴える程度の者もいるだろう。
症状が違えば治るまでの時間も変わる。そして、昨日風邪を引いたというパートの女性の孫は今日も具合が悪いらしい。
(だからって、なんで今日もわたしが……)
終業時間近くなって鳴った電話にゆめが出たのは、たまたまだった。
たまたま電話の近くに居て、たまたま他の店員は接客をしていた。そして、電話に出るだけならば新人でもできるからと積極的に電話を取るよう言われていたこともあって、ゆめは迷わず受話器を取った。
すみません、と聞こえた瞬間に嫌な予感はしていたのだ。
声ににじむ恐縮とわずかな期待が、厄介ごとの気配をさせていた。
そして案の定「今日も孫の具合が悪いので休みます」と言う旨の伝達を頼まれて、ゆめは断れなかった。
その結果、空いたシフトを埋めることになり、アルバイト先を出たときにはとっぷりと日が暮れていた。
職場を出てちらり、と開いたスマホにはひかりからの連絡はない。
夜まで仕事をすることが決まった時点でゆめが送ったおおよその帰宅時間を知らせるメッセージに、既読はついたけれど返事はなかった。
(ひかりちゃん、怒ってるんだろうな……)
帰路を進む足取りは重い。
加えて、夜の街並みをゆく人びとの感情の強さもまたゆめの気持ちを重くする。
無意識の人ごみの端へ端へと進むうち、気づけばゆめは暗い路地に出ていた。
「こんなとこ、あったんだ……」
背の高いビルの合間に、忘れられたようにぽつんとあったちいさな広場。
ビルを建てるには狭すぎたのか、取り残された空き地に木を植え、申し訳程度の遊具としてブランコを設置したような場所だった。
明かりはちいさな街灯がひとつきり。繁華街も遠いこの場所に暗くなってわざわざ立ち寄る者もおらず、ひんやりとした静けさがゆめには心地よい。
ゆめが吸い寄せられるようにふらりと広場に足を踏み入れたとき。
「お前、きのうの女だな」
低い声とともに暗がりから現れたのは昨夜、ゆめがビルの狭間で出会った男だった。