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 繰り返し夢に見る両親と暮らした家での最後の記憶は、何度となくゆめを暗い感情の渦の底へ叩き落としもするし、祖父母に差し伸べられた手を思い出すことで絶望の淵からすくい上げもする。

 けれど、ここひと月は記憶にある温もりは遠かった。


「ゆめ~、起きてるー?」


 元気な声とともにパーティション代わりの布の端から顔を見せたのはひかりだ。ゆめのふたつ年上の従姉である星宮ひかりが、部屋を仕切る布と棚の間をすり抜けてやってきた。


「おはよう、ひかりちゃん」

「おはよ、ゆめ。目玉焼き作っといたよ。ゆめ、好きだもんね」


 にこっと笑ったひかりは表情を取り繕うのが嫌いだ、と豪語するだけあって笑顔のとおりの親愛の感情を抱いている。

 そんな従姉の裏表のなさに、ゆめの顔も自然と笑みの形になった。


「ありがとう。洗い物はわたしがしておくから、ひかりちゃん、今日は早めに出勤だったよね? 自分の用意が終わったら先に出てね」

「うん、頼んだ!」


 言うが早いか、服や髪の毛を整えたひかりは荷物を下げてバタバタと玄関に向かう。

 後ろを追うようにゆったりと自分のスペースから出て来たゆめは、共同スペースに置かれたちいさな座卓の前に腰を下ろす。

 狭いアパートの一室で箸を手にしたゆめからは、玄関に腰かけたひかりの背中が見えた。


「ゆめ、あんまり遅い時間のバイト入れないよう、今日こそ店長に言うんだよ! ゆめみたいなかわいい子が夜中にひとりで歩いてたら危ないんだからね!」


 届いたひかりの声にこもるのは純粋な心配。だからゆめはいろんな思いを飲み込んで「うん、相談してみるね」とだけ答える。

 ゆめの返事に満足したのか、ひかりは「いってきますっ」のひと言を残して出かけていった。

 ひとり残された部屋のなか、ゆめは卵黄までしっかり火が通った目玉焼きをつつく。

 ひかりは黄身まで火を通す派だけれど、ゆめが好きなのは本当は半熟の目玉焼き。ほかにも味噌汁の具は青菜と豆腐だと言うひかりに対してゆめは油揚げの入った味噌汁が好き。キムチは酸味の弱い物を好むし、ケーキよりもクッキーが好きなゆめだけれど。


(ひかりちゃんは良かれと思って作ってくれるし、買ってきてくれているのだもの)


 食材はひかりが仕事帰りにまとめて買って帰る。大学生になったばかりのゆめが新しい暮らしに慣れるまでは、と言う彼女からはゆめを思う気持ちしか感じられないから無下にはできない。

 朝食も、自分のついでだと純粋な好意で作ってくれているのがわかっていてないがしろにするわけにもいかず、今日もゆめはパサつく黄身を持て余す。


「目玉焼きくらい、自分で作るのに」


 そう、ひかりの前で言えば良いのだとゆめ自身もわかっている。

 けれど伝えたときにひかりの胸に浮かぶ感情を思い描けば、そんなことは言えなかった。

 ちいさくため息をついたゆめは、朝食を押し込むようにして食べ終えると手早く片付けを終えて身支度を整える。

 大学の講義が一限目から入っているため、あまりゆったりしていられない。

 飾り気のない衣服に身を包み、長い髪をひとくくりにまとめてゆめは部屋を後にする。


「おばあちゃん、おじいちゃん行ってきます」


 出がけに声をかけるのは、ゆめのスペースにある机のうえの写真。ふたつ並んだ遺影は何も答えず、ゆめは静けさに背を向けて歩き出した。



 〜〜〜



 ゆめは家路を急いでいた。

 大学での講義を終えアルバイトもこなした後外に出てみればあたりはすっかり暗く、まばゆいばかりの街の光が建物の間の影を濃く深くする。

 

(夜勤のひとからのお休みの連絡を受けたのがわたしだからって、そのひとの代わりに出てほしいなんて……)


 ゆめが働く駅ビルの書店は、急な休みにも対応するとアルバイト募集の福利厚生欄に書いてあった。けれど、開いた穴を埋めるのは連絡を受け取った者だという暗黙のルールなど聞かされていない。


(孫の急な熱だって言ってたけど、でもわたしが「わかりました」って伝えたら歓喜がにじんでた。あれって、やっぱり仮病だったりするのかな)


 ちらりと疑う気持ちがもたげて、ゆめは首を振った。


(休みが取れてほっとしただけかもしれないじゃない。疑わない、疑わない)


 ゆめの能力は半端だ。

 感情を感じ取るといっても、その感情がどんな事柄に結び付くのかまではわからない。ただ、そのひとの抱える感情のなかで大きなものを感じるだけ。

 半端な能力で疑心を抱き、ひとを信じられなくなることをゆめは恐れていた。


(でも、今日は遅くなっちゃった。ひかりちゃん、ぜったい怒ってるよね) 


 ひかりの言いつけでゆめの契約時間は夜七時までのはずが抜けた夜勤のひとの分も勤務をし、レジ閉めや閉店作業などもあって時刻はすでに十一時近い。勤務をはじめてまだ一週間、慣れない作業に加えて新しい作業を教わっていたせいもあって時間をとられてしまった。

 店を出て電源を入れたスマホの待ち受けには、ひかりからの通知がいくつも並んでいた。


「『今から帰ります』、と」


 信号待ちの時間に一言だけ送って、ゆめはスマホをかばんにしまう。

 直後、かばん越しにぶるりと振動を感じたけれど、ゆめはそのまま歩き出した。

 

(信号が変わっちゃったから、あとで読もう。ごめんねひかりちゃん)


 ゆめはひかりを嫌っているわけではない。ただ、彼女の親切がときおりゆめの自由を奪うのが苦痛だった。

 同時に、ひかりの親切を苦痛に感じることに申し訳なさも感じていた。

 裏表のないひかりのそばは、ゆめにとって気が休まるときが多いのも真実なのだ。だから彼女を嫌いにはなれずにいた。


(ああ、街のひとがみんなひかりちゃんみたいなら良かったのに)


 ゆめはチリチリと痛む胸を押さえる。

 行き交うひとの数は昼間ほどではないものの、むしろ騒がしさを増した街がゆめは苦手だった。

 歓喜に羨望、自暴自棄に愉悦。

 仕事や学業といった意識を向ける先から解放されるせいか、夜の街は感情の強さも増す。入り乱れる種々様々な感情がゆめの心を苛む。

 このままひとの流れに乗っていれば、溢れる感情に流されて自分を見失いそうだ、とゆめはひと波の端へ端へと歩を進めていった。

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