秋末のひぐらし
時期を外して地上に出たひぐらしのお話です。
そこには光が無く、暗く、それでいて圧迫がある、普通の生物であればもがいて脱出したくなる場所だった。
もうどれ程の時をこの場所で過ごしているのか?
人間だったら自問するところだが、彼にそんな感覚は無かった。
疑問も何も浮かばず、ただ本能に従って、木の根の樹液を吸い続けるのが毎日の日課であった。
これまでどう過ごして来たのか殆ど記憶が無い。
覚えている事と言えば、光のある場所で、そしてジメジメした空気の中で、本能の赴くまま、ただ必死に、力の限りを尽くして木を下り、地面に潜った事だけだ。
そこからは何も変化はない。
あるとすれば、殻を何度か脱ぎ捨てた事だけだ。
ずっとただ木の根に口吻を刺し、樹液を吸い続けるのが毎日の生活であった。
本人は知らない事ではあるが、実はこれまで何度も危機に見舞われそうになった事があった。
特に一度、地中に過ごす哺乳生物がすぐ近くまで迫った事があるのだが、何故かその哺乳類は接近したと同時に突然いなくなってしまった。
理由は分からない。
けれども、彼は最大の危機を運良く逃れる事が出来た。
また暫く時間が経った。
彼はずっと本能に従って生きていたつもりだった。
それで満足であった。
だが本当は何かが狂っていたのだが、全く気付く事は無かった。
本能は問題無いと言っている。
だから何かが狂っていてもそれで良かったのだ。
ある日の事だった。
突然上に上がりたいと言う欲求が生まれた。
彼はその欲求に従った。
かつて苦労して下った道をまた上がりたいと思った。
そう思った瞬間、彼は自分の中に新しい物が生まれている感触を感じた。
彼はこれまでずっと過ごして来た地中から、暫くぶりに光のある地上へと出た。
少し違和感を感じた。
以前感じた光とは違う感覚だ。
何処かしら、暗い感じだった。
だが問題はない。
本能はそう言っていた。
そのままかつて下った道とは反対方向に、力の限りを尽くして登った。
ここら辺か?
本能に従って止まった。
そして彼は欲した。
暗いところにいたい。
彼は淡く赤みがかった光が消えるのを待った。
暗がりが当たりを満たした。
彼は自分の中に生まれた新しい物を出す事にした。
自分の古い物を脱ぎ去り、新しい物を出すだけ。
難しい事では無い。
地面の中にいた時に何回もした事だ。
だが、今回は何かが違う。
えらく体力を消耗するのだ。
腹を激しく動かし、呼吸し、古い殻を破ろとした。
中々古い殻から出れない。
一旦休みを取る。
休み終えてからまた力を入れ、古い殻からの脱出を試みる。
何度か体力を振り絞り、上体を逸らし、やっと脱皮が完了した。
成虫になれたのだ。
だが体は思うように動けなかった。
暫くこのまま休もう。
彼はまた本能に従った。
周りは全くの暗闇かと言うとそうでは無かった。
実は所々明るかった。
何故、明るい場所があるのか、彼には理解出来なかったが、どうでも良い事だった。
今いる場所が暗ければ問題はない。
どれくらい時が経ったのか分からない。
だが周りが明るくなり始めた。
それと共に、体が上手く動くようになった。
羽根を広げた。
目一杯に広げた。
そして飛んだ。
地下にいた時よりも早く動けるようになった。
そして自分が生まれた木を離れ、目についた場所へ飛んだ。
一種の開放感のようなものに浸った。
だが彼にはその感覚を理解する事は出来なかった。
取り敢えず、目についた場所に飛ぶ。
それが本能に従う彼の本分であった。
しかし、何かがおかしかった。
思ったように力が出ないのだ。
本能で感じる飛び方と、実際の動きにズレが生じていたのだ。
やがて目についた枝に止まった。
そして地下にいた時と同様、樹液を吸おうとした。
そこで異変に気付いた。
中々樹液が出て来ない。
変だ?
彼は何度か口吻を刺したが樹液が出て来ない。
諦めて場所を変えることにして、別の枝に飛んだ。
ここも樹液が出て来ない。
彼は諦めきれず、しつこく口吻を刺した。
運が良かったのか。
やっと樹液が少しづつ出て来た。
彼はホッとしてその場で暫く樹液を吸い続けた。
日は落ちそして再び昇り何日か過ぎた。
彼はまだ生きていた。
樹液が中々出て来ない木を周り、何とか吸い出し、懸命に生きていた。
そんな努力が実ったのか、やっと鳴く事が出来る程の体力と大きさになった。
「カナカナカナカナカナ・・・・・」
光が赤くなる頃、鳴いてみた。
なぜ鳴こうと思ったのかは分からない。
けれども鳴く事によって仲間を見つけたいと思った。
「カナカナカナカナカナ・・・・・」
反応は何も無かった。
遠くで鳥が飛んでいるのが見えたが、他には飛んでいるものは全く無かった。
そうこうしているうちにまた辺りは暗くなった。
日が昇った。
彼は何度目か分からない苦労をしてまた樹液を吸った。
樹液を吸いながらまた鳴いた。
「カナカナカナカナカナカナ・・・・・」
仲間は来ない。
何もやって来なかった。
「カナカナカナカナカナ・・・・・」
辺りは仲間どころか、他の生き物も見当たらない。
否。
木の下の方が少し騒がしかった。
あの生物は何だ?
危険なのか?
少し警戒したが、やって来る様子はない。
やがて気にしない事にした。
また日が落ちそして昇った。
「カナカナカナカナカナカナ・・・・・」
今日も光が赤くなると同時に鳴いた。
しかし反応がない。
やがて辺りは白くなり鳴くのをやめた。
本能が鳴くなと言っているからだ。
それにしても下が何やら騒がしい。
昨日よりもうるさい。
しかし、こちらに迫る訳でも無い。
あまり騒がしいようだったら場所を移ろう。
やがて辺りは紅色になって来た。
再び鳴いた。
「カナカナカナカナカナカナ・・・・・」
反応は無い。
もう一度鳴く。
「カナカナカナカナカナカナ・・・・・」
仲間らしき者は全くやってこない。
しかし、木の下は日の出の頃より更に騒がしい。
かなり煩わしい。
そう思っているうちに暗闇となった。
日が昇った。
そしていつものように鳴こうとした。
しかし、木の下が更に騒がしく感じた。
嫌だ。
煩わしい。
彼はその場を離れる事にし、そして飛んだ。
想像しい音が下でしたが、気にせずなるべく遠くへ、音が聞こえない木の枝まで飛んだ。
暫く休むと、彼はまた樹液を吸おうと口吻を伸ばした。
今度の場所は最悪だった。
樹液が全く出て来ない。
少し場所を移動したが、ここも出て来ない
飛んで場所を移動した。
しかし出て来ない。
暫くずっと樹液を探したが見つからなかった。
やがて辺りが暗くなり始めた。
彼は思い出したように鳴き始めた。
「カナカナカナカナ・カ・・・カ・・・カ・・・・・」
いつものように鳴け無かった。
体力ももはや限界のようであった。
木にしがみつく事も難しいように感じる。
体が動かなくなって来た。
息が上手く出来ない。
何もかもが止まって来ているように感じる。
空から白い物が降って来た。
あれはなんだろうか?
理解の範疇外のものを見たその瞬間、彼はゆっくりと木から落ちた。
翌日、うっすらとした雪が地面に落ちた枯葉に乗っていた。
木々からは葉はすっかり落ち、葉のない枝だけが伸びている。
陽はさしていたが高さは低く、前日に降った雪のせいか、ほんのうっすらとした霧が地面を覆っていた。
秋は終わり、冬が始まったのだ。
先日、道端に蝉の死骸を見つけて妄想してみました。
アニメを見て思いついた話では決してありません・・・本当だよ。