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八 仇討

 道場の門をくぐり、母屋に向かおうとすると、忍源之丞が現れた。

「待っておったぞ、四郎。道場に行こう」


 夕暮れの道場は薄暗く、夜中とは異なる気味悪さがある。あるいはこれから聞こうとする話の、暗示なのだろうか。

 俺は単刀直入に言う。

「お師匠、郡代と結託して、俺と権六を殺し合わせましたな」

「はっはっは。何を突然。んなアホなことがあろうか」

「権六は、佐切に全てを伝えておりましたぞ」

「・・・。馬鹿な権六め。なんつって。まあ仕方ないわな。そうよ、わしが室戸をけしかけて、我が道場で龍虎と称された、お主らを殺し合わせた。権六や室戸に、秘伝のことを教えたのもわしよ。権六にはもう少し強くなってもらう必要があったからな。それから、権六の前に襲ったやくざ者と浪人も、わしが手配したものよ。面白い物語が作りたくてな」


「物語とは・・・。そうだ、居合は何だったのです」

「居合は、役に立っただろう」

「予測したというのですか」

「まあそんなところだ。で、どうする。わしと立ち合うか」

「・・・そうですな。権六と俺、それから佐切をおもちゃのように扱ったお師匠様は、許せぬ。真剣での立ち合いを所望いたす」

「いいじゃろう。来い」


 お互い間合いを取って抜刀し、正眼に構える。師匠が相手だ、後手に回ったら負ける。鋭く踏み込むと見せて右に回り、右に回って袈裟斬りから返す刀で斬り上げる。師匠は袈裟斬りを下がって躱し、斬り上げた刀を弾き、上段を襲う。俺は霞で受けて左に回って逆袈裟へ斬撃を送るが、師匠は頭の横で軽く受ける。刀を巻き取ろうとする動きに応じ、刀を引き、俺は一旦後退した。


「ふふ。やはり人を斬った後は、一味違うな」

 怒りで我を忘れるものかと思ったが、思っていた以上に俺は冷静で、怒りとか恨みを忘れたわけではないが、その感情の向こうに自分がいるような、力が入り過ぎるでもなく、お互いの動きや技がよく見えている。たった数回とはいえ、真剣での命のやり取りと、人を斬った経験が、俺の心の在り方の何かを変えたのだろう。


「人を疑うことを知ったからかも知れませぬな」

「上手いことを言いおるの」


 その後も刀を打ち合うが、これが本当に真剣勝負なのか。真剣を遣ってはいるが、型稽古なのではと思ってしまうほど、滑らかなやり取り。静かな道場に、息遣いと金属音が続く。

 漸く、局面が少し変わってきた。師匠は正眼から八双に取る。一拍遅れて、俺も八双に取った。師匠はそこから車に変わった。これは。

「見ておられましたか」

「ふん」


 権六との立ち合いのとき、権六は八双、俺は車に構えた。それを見ていたのだろうか。今度はそれで師匠は俺を斬るつもりか。なめるなよ。

 俺も続いて右足を大きく引き、車に取る。師匠が鋭く踏み込み、横薙ぎの斬撃を送ってくる。目いっぱい左足を引き、横薙ぎを躱した瞬間、上段に変わった俺の刀は、師匠の頭を襲い、斬り割った、かに見えた。


「いや、本当に腕を上げたな。四郎。まさに免許皆伝よ。わしは、去ぬる。どうも、うまくいかなんだな」

 今まで刀を打ち合っていた道場から、師匠の姿が消えた。煙のように、などとというが、煙すらなく、突如として姿が全く見えなくなった。気付けば息の上がった俺一人しかいない、静かな夕暮れの道場である。


「待てっ。いったいどういうことだ。どこに逃げた。忍源之丞っ」

 俺はあまりのことに動転した。人が消えるなんてことがあるものか。でも声が聞こえる。幻術とやらなのか。そんなものが本当にあるのか・・・。


「はは、その名はどこぞで野垂れ死んだ兵法者の名よ。わしはその名を借りていたに過ぎぬ。だいぶ長い間借りておったがな」

「きっ、貴様は何者なんだっ」

「まあ何でもええやないか。そうや、お主のもう一人の仇、室戸は明日の朝、一人で遠乗りに出かけるぞ」

「何だって」

「じゃあの」


 忍源之丞と名乗っていた何者かは、呑気な声で別れを告げて、今度こそ気配そのものが全く失せて、忍などという道場主は、最初からいなかったのではないかと思うくらいの、静寂が流れた。

 ひょっとして、俺一人が幻覚を相手に斬り合ってたのかと思うくらいである。しかし身体には浅く斬られた跡、刀にも打ち合った跡が残っている。何がどうなったというのか、しばらく立ちすくんでいた。



 翌朝。俺は夜明け前に家を出て、忍源之丞と名乗っていた何者かが言った、郡代の遠乗りが通ると思われる付近に、埋伏した。佐切が作ってくれた握り飯を頬張っていると、日が昇ってきた。それから四半刻も過ぎたころだろうか、規則的な馬の走る音が聞こえてきた。

 俺は、稽古を思い出していた。悔しいが、この技も、この時のために俺に稽古させたのだろう。馬の走る音を聞きながら、飛び出す頃合を見計らう。今だっ。


 馬は悲しげな声を上げて、前に倒れ、騎乗している人間を振り落とす。死んだら死んだときだと思ったが、どうやら室戸は死ななかったようだ。運のお強いことよ。と口の中で罵り、そのあとで、あえてのんびりと呼びかけた。

「室戸様。こんなところで奇遇ですな」

 室戸は足を挫いたようで、しきりとさすっているが、大きな怪我ではなさそうだ。

「おお、城谷か。わしの馬が怪我したようで、倒れてしまっての。助けてくれ」

「それは大変でござるな」

 室戸を助け起こす。

「ときに、城谷はかような所で何をしておるか。わしは近郷の屋敷に戻ろうとしておったところじゃが」

「室戸様をお待ちしておりました」

「は、それはどういう風の吹き回しじゃ」

「返答によっては、お命を頂戴いたす」

「佐渡賀谷のことか」

「忍源之丞と名乗った者のこともでござる」


 突然慌てた様子で、郡代は咳払いする。

「おいおい・・・そこまで分かっているのか」

 溜息をついて、お手上げのつもりか、妙に芝居がかって両手を上げる。

「わしは忍にそそのかされた。親父のできなかった家老就任と藩政の改革を成し遂げてみる気はないか、とな。まだ親父が死んで間もない頃、もう二十年も前の話よ。わしはまだ若かった。使命感、自分でなくては成し遂げられるはずがないという強い想い、しかし力が足りないという渇きがあった。彼奴が言うには、代償は家中の若侍の命がけの献身と、その命だと言い、わしはそれを約定した。そこから十年くらい、わしは悪戦苦闘したにも拘らず、大して前進が見られなかった。時を経て、もうそんな約定など終わったものと思っておった」


 そこで一旦話を切って、郡代はその日に想いを馳せているのか、遠い目をする。

「気づいたら、忍は城下に腰を落ち着けていて、そこそこ道場が流行っていた。わしも、もうさほど若いとは言えん歳になってな、焦って、欲がでた。それで、忍の言う通りに踊って見せて、ほれ、この通りじゃ」

 また両手を上げる。もういい。


 黙って俺は抜刀した。右手に持った刀をだらりとさげた。

「お、わしを斬るか。斬れば今度こそ、藩は本当に終わるぞ」

「脅しのおつもりですか。室戸様が死のうと、何も変わりますまい」

 郡代の顔色が変わった。低いドスの効いた声で言う。

「そんなことはあり得ぬ。わしは、単なる権力欲で藩政を握りたいと願うわけでは断じてない。今の重職を占める者どもは、揃いも揃って愚か者どもよ。わしがいなければ、簡単に商人どもに何もかも売り渡して、売り渡した後には何も残らぬじゃろう。だから、わしは」

「佐渡賀谷の命でそれを購おうとしたとおっしゃるか」


 少し、郡代が下を向き、語気が弱くなった。

「佐渡賀谷とは分からなんだが、結果としてそうなった。そうしたかったわけではない。たかだか一人の命とは思っておらぬ。他に手段を見つけることができなかったのは、我が不明じゃ」


 また元の語気に戻って言う。

「しかし、さらにこのままわしが死ねば、佐渡賀谷一人の命を無駄にしただけでは済まぬぞ。最悪の場合は国替や改易さえあり得る。家中の者はことごとく苦しみ、あるいは路頭に迷わねばならぬ。この時代、新規の召し抱えなど万に一つの僥倖じゃろう」


 俺は刀を納めず、一歩前に出て言った

「そうはならぬこと、お誓いいただけるか」

「十年前ならば、あるいは。しかし今更、そのようなことを誓えることではない。とは言え、我が死力を以て務めることは誓おう。武士に二言はない」


 郡代にして、誓えないと言わしめる状況なのか・・・。俺はたかが無役の一藩士とはいえ、戦国以来、先祖から連綿とこの藩の禄を食んできた。さすがに暗澹とならざるを得ない。抜き身を下げたまま、黙ったままの俺を、郡代は不審そうに見ている。

 俺は刀を納めた。


「室戸様。俺ごときがと思われるかも知れませぬが、藩を、お願い申す。先祖代々、お仕えしてきた藩であれば、やはり愛着はござる」

「おい、城谷、お前はどうするのだ」

「この藩での城谷四郎は死にました。跡取りのない城谷家は、佐渡賀谷家と同様、取り潰しでござろう。室戸様、ご無礼の段お許しくだされ。さらば」




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