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七 佐切

 佐渡賀谷家は、権六の親父・お袋殿は、五、六年前の流行り病で亡くなっており、権六はまだ嫁を迎えていなかったから、佐切しかいなかった。権六は上意と言ったが、江戸藩邸にいる殿の意向も、家老からの指示も伝わってくることはなかった。結局、郡代を襲って返り討ちになったとして、佐渡賀谷家は断絶、佐切は勝手次第との沙汰が下された。

 俺は佐渡賀谷家の親戚として、室戸屋敷から権六の遺体を引き取った。佐切と共に、形だけではあるが権六の葬儀を済ませた。佐切とは、ほとんど口を聞かなかった。というか、聞けなかった。

 権六の遺体には切り傷があり、病死でないことは分かり切っている。そもそも江戸屋敷から出奔したという話は佐切も聞いているわけで、どうなってこうなったのか、何となくは分かっているのかも知れない。俺が斬ったということまで、分かっているのかどうか。どう思っているのか。話すのも、聞くのも怖かった。


 しかし、権六の最期の言葉は「鈴蘭」。佐切に聞け、もしくは佐切の面倒をきちんとしろということだろう。屋敷の明け渡しまではまだ五日ほどある。それまでに話をして、佐切の身の振りも決めねばならぬ。


 鈴蘭。まだ季節が少し早いが、屋敷の脇に咲いているのを摘み、匂いをかいでみる。小さな花。こじんまりとした、清楚で、香りの強い花。根には強い毒があるという。子供だった俺は、そんな毒のことなど知らなかったが、佐切の花だと思っていた。

 佐切は、子供のころから小柄で、俊敏で、気が強いが時たま病弱だった。外で遊んでいるときは男顔負けというところがあったが、家で寝ていることも結構あったように思う。そんなときは、手近にあった鈴蘭を摘んでは、彼女に渡していた。身近にあったからか、彼女の印象に合っていると思ったのか、彼女が喜んだことがあったからなのか、よく覚えていない。

 そんな様子を見ていた権六は、鈴蘭で誓いを立てたなどと囃すことがあった。しかしそれは俺たちしか知らないこと。郡代や用人、供侍を警戒したのだろう。


 さて、摘んだ鈴蘭を紙に包んで、佐渡賀谷の家に行く。佐切は相変わらず何も言わずに、部屋に上げてくれた。簡素な台に、権六の戒名の書かれた真新しい位牌が置かれて、線香と水が供えられている。俺も線香を上げて、手を合わせた。たった数日前、俺が命を奪ったのだと思うと、今権六に言えることは何もないのだ、と改めて思った。


 佐切に向き直り、鈴蘭を渡す。佐切は、やはり何も言わずに受け取り、権六のものと思しき茶碗に水を入れ、そこに活けた。

 俺は何と言っていいのか分からず、いろいろ迷って変な間があった後で、言った。

「佐切、これが権六からの最期の言葉だった。奴は、『鈴蘭』と言い残したよ」


 佐切は、暗い声で独り言のように答える。

「そう。やっぱり、そういうことになったんだね」

「俺を恨んでいるか。いや、そりゃそうだよな。たった一人の兄貴を奪ったのだからな」

「いや、私だって武家の娘だから、こういう日が来ることは覚悟していました。それに、兄上から話は聞きました。数日前の夜中に、うちに来ましたから」

「そうだったのか・・・。不本意なやり方で強制されたと言っていたが、何か聞いたのか」

「私にもそのようにしか言いませんでした。恐らく、何か不祥事をでっち上げられ、妹にも累が及ぶなどと脅されたのでしょう。愚かな兄上」

「そう、言うな。権六は、常に佐切を心配していた。江戸勤番が決まった日も、自分のことよりも佐切の心配ばかりをしていたのだ」

「そんなことだから、こういう結果になるのですよ・・・」

「・・・」


 暫く間があった。

「そう。でもそういうことだけで、あんな大それた事をして返り討ちになったわけじゃありません。兄上は、四郎様と本気で立ち合う機会を欲していました。徐々に開く技の差を気にして、江戸では随分といろいろな道場を回ったみたいで、暇があれば稽古していたようです。四郎様が秘伝を授けられたと聞いて、それを打ち破る工夫を本当に行っていたと言っていました」

「そうか・・・ん。秘伝を授けられたというのは、誰から聞いた話だったのだろうな。師匠と俺しか知らん話を、権六も郡代も知っていた」

「さあ。そこまでは聞いておりません。ただ・・・」

「ただ、なんだ」

「上意討を命じたのは殿や家老様ではなく、郡代様ではないかと言っていました」

「何だって。いや、そんなことが。自分を襲わせるなんて」

「『不本意な強制』の中身は分かりませんが、指示の内容は、上意として郡代を襲い、まずは城谷を必ず討ち取れ、その後に郡代を殺害せよ、というものだったそうです」


 確かに、郡代は襲撃の時期や、刺客が一人であることを知っていたようだ。権六が最期の言葉も気にしていた。何気なく見過ごしてきたことだが、郡代はかなり怪しい。

「そういうことだったのか・・・自分を襲わせ、撃退することで藩内により強く正当性を誇示できる。日和見の重臣を自派に付けるのにもってこいだったというわけか。しかし・・・俺が負けたら己も殺されてしまうぞ」


「上意討ちを伝えに来たのは、お師匠様だったそうです」

「まさか・・・確かに道場にいない時があったが、江戸と往復できるほどでは・・・なかったと、思うが」

「私も耳を疑いました。しかしお師匠様と郡代様が結託しているなら、四郎様が兄上に勝つことは分かっていたはずです。」

「そこまでの差はなかった」

 と言いながら、最期の決着は、秘伝として稽古された居合だったことに気づく。師匠は、そこまで読んでいたのか。だから、あんな稽古を。いや、そうするともう一つの技は、そのために遣えということなのか。


「佐切」

「はい」

「幼き頃の約束、覚えているか。俺の嫁になってくれるという」

「そんな約束してません」

「そうだな」


 そう、俺は別段佐切とそんな約束をした記憶はないのだが、長じてからも、権六は佐切を城谷に嫁がせるというようなことを普通に言い、佐切もそれを聞いても平然としていた。だから、それは佐切として受け入れているものだとばかり思っていた。


「でも・・・いいよ」

 突然、子供の頃の口調に戻って言った。言い訳のように言う。

「もう家族は誰もいない。この家からも出ないといけないし」

「でも、俺は、権六を斬ってしまった。お前の兄を」

「仕方のない、運命だったんだよ。兄上も、この上意討に大義がないことを分かっていて、そして四郎様に勝てないことを分かっていて、でも武士の一分を貫いた。四郎様も、望んで兄上を殺したわけじゃない。わかってる」

「そうか。済まない」


 そう言ってくれることが、嬉しかった。報われたような、気がした。しかし、まだ一つ、いや二つ、仕事が残っている。

「ありがとう。少しだけ、待っていてくれるか。やらなくてはならないことが二つある。その後で藩を出て、江戸に行こう」


 いつもの口調に戻って佐切が言った。

「分かりました。旅支度をして、待っています。気を付けて、四郎様」




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