六 護衛(二)
今度の護衛は、時間がかなり遅くなった。夜更けといってよい。家老の屋敷に入った郡代は、恐らく何らかの強硬な談判を行っているのだろう。俺が中身を知ることはないし、その必要も全く感じない。今は郡代を守り切って、家を旧禄に戻すことに集中するしかない。
権六の行方も気になるが、今の俺が権六にできることはない。佐切をたまに見舞っているが、今のところは、屋敷を明け渡すなどの沙汰はない。藩としても、書置き一つない出奔であるし、今や藩を割っての権力闘争中であるから、下士一人が行方不明でも、そのうち沙汰すればいいということなのだろうか。
さて、また今日も護衛である。いつもの通り、表通りの様子を確認し、郡代を駕籠に乗せる。郡代は、さすがに長時間の談判で疲れ切った様子だったが、何がしかの成果があったのだろう。どことなく安堵している風にも見える。こういうときに、襲撃があるものではないかと思った。
家老の屋敷と郡代の屋敷は、同じ上士屋敷町の中ではあるが、上士屋敷はそれぞれが広く、雑木林や火除地、広小路も含まれるため、それなりに離れている。この時間では、普通に歩いている人間はいない。飲み屋小路だとしても、もう町木戸が閉まる時間である。お供以外の人間は、襲撃者と思って良いだろう。
しかし不思議なのは、郡代はいつもの供回り以上に、人数を増やそうとしないことだ。駕籠担ぎの人足以外には、供侍二名、用人、そして俺だけだ。前の襲撃は、流れ者のやくざが多く、浪人と連携して襲ってこなかったから防げたが、複数の剣客に取り囲まれたら、とても守り切れない。その懸念は郡代に伝えた。しかし、上意での暗殺を想定するなら、刺客が多数ということはあり得ない。むしろこれから護衛を増やそうとしても、護衛に裏切り者が含まれることが避けられず、より危険性が増す、というのが答えだった。師匠に話をしてみるという俺にも、
「はは、あの男が護衛などするわけがない。しかも、あの男は必要があればわしの首だって取るだろう。わしらとは、『違う』のだ」
いや、何かしらの疑いは抱いてはいるが、そこまで、俺は言ってないぞ・・・。師匠は味方ではないのか。
ともかく駕籠は進み始めた。いつも通り、前後を供侍が守り、駕籠の左右に用人と俺が付く。刺客が複数ではないことを祈りながら、周囲の暗闇の気配を探る。左側が武家屋敷の壁、右側は雑木林になっているので、右側を特に警戒する。
しばらく進んでいく。何も起きず、人足は順調に駕籠を進めている。息を吐くその刹那、右後ろから殺気が放たれる。とっさに切り結び、刺客の勢いを受け流す。どうやら雑木林の枝から飛び降り、勢いをつけて飛び込んできたようだ。軽業師かよ。誤って力で受けたら押し倒されただろう。相手は覆面の侍。と見た次の瞬間、自ら覆面を剥ぎ取ってこちらに投げつけ、横薙ぎの一閃を放ってくる。その刀を避けようとして、俺は驚きで一瞬止まってしまった。
「ご、権六・・・」
驚きから避けきれず、俺は胸の辺りを斬られた。やられたかと思ったが、後ろに大きく飛び退り、手を当ててみると浅手だ。大したことはない。
刺客とは、権六だったのか・・・。
「上意により、室戸様のお命を頂戴いたす。四郎貴様もだ」
「そうだったのか・・・。しかし二代続けて護衛が務まらんのでは、武士の名折れ。上意などお主が言っているだけのこと。俺にとっては、お主は暗殺者だ。返り討ちにしてくれる」
「ふふ、お主はそういう奴じゃのう」
「出奔したと聞いたぞ。いったい何があって上意討ちなどと」
「護衛にお主が付いたことで、生半可な人間では上意討が務まらなくなったのよ。それでわしに声がかかった。多少不本意な方法で強制されたと言えなくもない。しかし、上意とあらば致し方なし。それに」
「それに」
「お主と本気で立ち合いたいと思ったことも確かだ。お主は、お師匠から秘伝を受けたのじゃろう。江戸では暇を見つけては他流の道場で腕を磨いた。秘伝を破る工夫もできているぞ」
「秘伝は」
そんなものじゃない、と言いかけて、師匠との約定を思い出す。秘伝の内容を、誰にも伝えてはならぬ。権六、秘伝はお主が思うような、奥義とか奥伝ではないぞ。
「城谷っ、何をしておる。討て」
郡代がいつの間にか駕籠から降りて叫んでいる。
そんな叫ばなくてもわかっている。権六だろうが、もうやるしかないんだ。
「権六。俺も、本気で立ち合いたいと思っていたよ。さあ、やろうぜ」
お互い手の内を分かりあっている間柄だ。権六は江戸の他流道場で何か身に着けたようなことを言っていたが、俺だって、その間遊んでいたわけじゃない。秘伝は偽物かもしれんが、浪人との真剣立ち合いも経験した。技は互角。ほんの毛先ほどの何かの差が、勝敗を分けるだろう。
初撃、二撃目のような変則的な遣い方ではない。申し合わせたように、双方とも正眼に構えた。暫しの間があり、俺から仕掛けた。鋭く踏み込み、気合を掛けながら上段を打つと見せかけて逆胴を放つ。権六は一歩前に出て受ける。俺は刀を外し逆袈裟、そこから持ち替えて切り上げる連続技。権六は俺の刀を逸らしながら柔らかく後ろに下がり、切り上げを押さえようとする。お互い前進して、極近間合いでの鍔競り合い。暫し押し合いお互い大きく飛び退って間合いを取る。
また双正眼。静であっても動であっても、常に俺と権六は動いていた。どちらからともなく呟く。
「風が・・・」
「強いな・・・」
申し合わせたように双方とも八双の構えに移す。浪人に向かった時は、居合への対処として寝かせるような攻撃重視の構えとしたが、この場合は身体を開き、刀を立てる通常の八双の構え。今度は権六から仕掛けてきた。
大きく前進しながら胴薙ぎから逆胴、上段に取る。俺は刀を弾こうと狙ったが難しく、合わせて大きく下がり、上段からの剣を霞で受ける。権六の刀を外して左に変わり、逆袈裟に斬る。権六は逆袈裟を受けずに更に左に回って躱し、少し下がってまた八双に取る。
俺も一旦八双に取ったが、ここで更に変化した。八双から右足を更に引き、刀を後ろに倒しながら左こぶしを右腰にほぼ付ける。刀は横に寝かせて、正面から見えない位置まで隠す。
「車」の構えを取った。この構えからの変化は少ないが、間合が読みにくいうえに、横薙ぎ、面打ちでの強力な斬撃が出せるのが特徴である。浪人との斬り合いで、間合の見えにくさは真剣では大きな有利を生み出すことを強く認識した俺は、このタイミングで変化させたのだ。
権六は、八双から動かずに少し首をかしげた。
「それが秘伝か。見切ったぞ」
権六が距離を詰めてくる。車の強力な斬撃を受けまいと、懐まで飛び込んでくる。野太い気合と共に、八双からの袈裟掛け。しかし車は誘いである。俺は合わせて下がり、権六の刀に向けて横薙ぎの一閃で刀を逸らし、振りかぶって裂帛のん気合と共に上段を襲う。権六は弾かれた刀を反動で旋回させ、下段から切り上げてくる。相討となる直前、俺の刀は権六の肩付近を斬り裂いて、権六は後ろに飛び退った。浅かったか。
権六は何も言わず、刀を納め、あとじさっていく。
「まて、権六。貴様」
声を掛けた途端に雑木林の方に向きを変え、敏捷に逃げ、闇に溶けた。追おうと思えば追えたのかも知れないが、これで良かったと思う気持ちもあった。権六はたった一人に近い、友だった。たかが家のために、友を殺すなんてことは、ない方がいいに決まっている。
「逃げられたか。しかし傷は負わせたようじゃな。ようやった」
「はっ。しかし権六は並の手練ではありませぬ。再度の襲撃もあり得ます。その前に、疾く屋敷へ」
半ば無意識に、俺は用人と交代して左側に立った。右手の雑木林から強い風が吹き付けている。もしそちら側から再度襲撃しようとすれば、権六の傷から流れる血の匂いですぐにわかるだろう。もう一度襲撃するなら必ず屋敷側からだ、しかもあの軽業を考えれば、壁の上からというのも十分あり得る。と言葉で伝えるならそうなる。しかしその時は権六との立ち合いの消耗が激しく、そこまで頭が回っていたわけではない。
駕籠がまた動き出した。二町も進んだところで、何かが俺に襲来を告げた。屋敷の壁から影が現れ、一直線に駕籠に向かう。俺はそれを目で見る前から、身体が動き出し、居合を遣った。さんざん稽古した、後の先。駕籠を襲おうと振りかぶる権六を、居合により速力を増した俺の刀が、横一閃、権六の腰の辺りを斬り裂いた。勢いで数歩進んだが、振りかぶった刀が振り下ろされることはなく、致命傷となったことがわかった。権六は刀を落とし、膝をついて倒れた。俺は権六に走り寄る。
「権六・・・すまぬ」
「何を・・・武士の一分を懸けて、戦った。わしは、ほんの少し、お主に及ばなかった。それだけよ」
「なんで、こんなことに。こんなことのために」
血が広がっていく。俺は、こんなことのために、親しい友を殺すために、これまで剣の稽古をしてきたというのか。俺は、おれ、は。
「鈴蘭」
「え、なんだ。何と言った、おい」
「・・・」
唐突に言葉を発した権六は、気付けば既に事切れていた。
郡代が駕籠を降りて、近づいてくる。
「佐渡賀谷か・・・お主の同門だったな。最期に何か申したようじゃが」
「いえ・・・それがこの風でよく聞き取れず。敵対したとはいえ、友の最期であるのに・・・。申し訳ないことをしてしまい申した」
「そうか。佐渡賀谷は江戸下屋敷を出奔し、行方不明になっておったが、よもや刺客として現れるとはな。何か聞いておったか」
「まさか。錯乱し出奔したとは師匠から聞きましたが、何かの間違いかと思っておりました。それ以上のことは何も。上意とはまことなのでしょうか」
「分からん。何者かが上意を枉げているのか、それとも本当に上意なのか。いずれにしても、暗殺するしかない上意などに、わしは屈するつもりはない。ところで、佐渡賀谷を倒したあの剣が、秘伝の技なのか」
俺は曖昧に笑って、かぶりを振った。何故、郡代は権六のことを、それから秘伝のことを知っているのか。いや、権六も何故か秘伝のことを知っていた。俺は誰にも言っていない。だとすると、師匠、なのか・・・。
まさか師匠こそがこの黒幕であるのではないかという、恐ろしい想像に慄然としながら、郡代の屋敷までの道のりが長く、足が重い。上士屋敷の壁は、かように長かっただろうか。
談判: 話をすること。この場合は何かを糾弾し、認めさせようとするものか。
火除地: 火災の際の延焼を防ぐための空地
正眼: 中段の構え。相手の眼に切っ先を向ける
逆胴: 向かって左から右への胴斬り
逆袈裟: 向かって左上から右下への切り下げ、袈裟斬りの反対
霞: 刃を上にして右手が前、左手が後ろ、頭の上を防御する型