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二 出府

 俺は毎日のように道場に通っている。城下の剣術道場だ。師匠のおし源之丞は各国の放浪の果て、この藩に流れ着いたと言われているが、本当のところはよく知らない。何となく上方言葉を話すように思える。親父と旧知らしく、馬が合ったのか、その縁で俺も権六も子供のころから通っている。

 自慢じゃないが、今では俺と権六は忍道場の龍虎と言われている。かつては佐切も通っていて、五歳も離れた兄をもたじろがせる剣の鋭さがあったが、さすがに近頃は道場通いを止めたようだ。


 道場の朝は早い。いつも通り、重い木刀を使った素振りが始まった。エイ、エイと掛け声を絞り出しながら、汗を流す。その後、普通の木刀に持ち替え型稽古、その後組太刀の稽古に進んでいく。型稽古というのは、一人で遣う決まった技を繰り出す動きを稽古するもの、組太刀というのは、二人で一組になり、打方うちかた仕方つかいかたに分かれ、型の決まった打ち合いを行うものだ。

 中級者以上の組太刀は、型をそのまま遣うのではなく、打方、仕方双方が阿吽の呼吸で変化を付ける。間合いだったり、太刀筋だったり、受け方だったり、この変化によってお互い対応力を身に着けていく。

 師匠は、俺の親父と同年輩と思っていたが、組太刀を行うと、要所要所でとんでもない鋭さの太刀筋を見せ、木刀を巻き取られたり、受け損なって打たれたりする。今日も危うく木刀を落としそうになった。逆襲してやろうと、無声の気合から変化を付けるが、すぐに読まれ、最小限の動きでそれを封じられた。結局ほとんどの場合、型以上の動きができない。全く、歳を偽っているとしか思えない。もしくは化け物なのか。

 次には権六と組んだ。お互い大きな変化を付けるが、阿吽の呼吸を合わせて乱れることがない。激しく打ち合っても、ほとんどお互いの予想を外れることがなく、怪我をするような打ち込みはほぼない。とは言え、やはりヒヤリとする打ち込み、受けというのは必ずある。ここから工夫をさらに重ねていくのだ。


 その後、非番の者や出仕前の年齢の者、そして俺のような無役や部屋住みの者は、出仕する諸先輩を見送ったあと、竹刀での乱取りとなる。この道場では他より重い竹刀を使い、真剣での勝負を思わせる踏み込みと切り落としを是として稽古しており、他道場よりも荒いと言われている。今日は権六が非番でないため、俺は手持無沙汰になった。師匠は乱取りに入ることはほとんどなく、若い向こう見ずな連中に稽古をつけてやる時もあるが、正直相手にならない。これなら突然鋭い剣を放ってくる佐切の方が、よっぽど稽古になる。もちろん、佐切は来ていないし、総合力で言えば、若い連中の方が高いことは分かっているが。

 常であれば、一人で木刀を振っているか、見所けんぞで師匠の話し相手になったりしているが、今日は師匠の部屋に呼ばれた。気合があちこちで交差する道場を後にし、母屋に行くと、薄茶が出された。


「権六と四郎、お互い切磋琢磨し、よう腕を上げたの」

「まだまだ、お師匠の足元に及びますまい」

 率直な感想である。太刀筋だけなら勝ることもあろうが、組太刀で立ち合ってみて、かいま見えるのは彼我の間の深い溝だ。


「そなたらの剣は、素直で、人を疑うことを知らぬ。そしてその剣が、容易に人を殺すことも、殺されることも。じゃからこそ、儂の剣に届かぬように見えようだけ。だが要は経験のみの差であって、技量の差ではない。いずれ分かるわ」

「お師匠のおっしゃりようだと、いずれ俺や権六は人を殺し、その時になったら皆伝となる、ということでありましょうか」

「そうかも知れぬなぁ。そうであって欲しいとまでは思わぬが、兵法者であれば、いずれそうなるのだろう」

「秘伝があるやに聞いておりますが。人を殺したら、その秘伝がおのずと理解できるというものではありますまい」

「秘伝など、あってなきがごとしのものよ。あると思えばある、ないと思えばない」

「はあ」

 四郎は気の抜けた返事をした。秘伝を授かったとて、使うわけでもなし。剣は好きだが、それを活かしてなんて、戦国の世でもあるまいし。


「ふん。気の抜けたことだ。おお、そう言えば、権六の勤番が決まったそうな。一年は江戸詰ということじゃ」

「お、なんと。お耳の早い。本人はもう知っているのでしょうか」

「今日、勘定奉行から伝えられるということじゃ」

 どっからそんな話を拾ってくるものか。さすが道場主、上士の子弟もいないことはないから、そのあたりからなのだろうか。

 それにしても、権六のやつ、勤番とは羨ましい。俺だって江戸に一度くらい行ってみたい。悪さをして減石、閉門なんて藩士もいないではないが、聞くところでは大抵の藩士は楽しそうに在府の様子を語ってくる。まあ、無役の俺には縁遠いが。


 夕刻、太鼓が鳴って、城勤めの侍が大手門を下がってくる。家に向かう道で待っていると、権六が浮かない顔で歩いてきた。

「おう、遅かったな。暗い顔してどうした」

 権六は眉を上げると、何かに思い当たったようだ。

「わざわざここまで出てくるとは、お師匠に聞いたのだな。俺が次の勤番になったこと」

「ああ。よく分かったな。まあ、ちょっと一杯いこうや」


 赤ちょうちんに入る。町人が多い店だが、上がりがあって、侍なら一応そこに通される。密談というわけにはいかないが、そこなら静かに話せる。

「全く地獄耳のお師匠だよ。俺が出仕することになった時だって、親父から聞く前に、お師匠から聞かされたんだぜ。信じられん。道場に通ってくる、上士の子弟から仕入れるのだろうか」

「いや、どうも上士と直接付き合いがあるみたいだ。番頭とか、中老の屋敷で見かけたという者がいた」

「ふーん。お偉方に通じられるほど、流行っている道場とも思えんがね」

 などと他愛もない話。

 しかし来年には勤番か。これと言って権六の他に友もいない俺としては、いい歳してなんだか不安だ。


「佐切が心配だ。世話は辰平の爺さんがいるからいいとして、ああ~心配だ」

「少しは自分の心配もしろよ。どれだけ妹好きなんだ」

「だってなあ、心配だろう。あんなかわいい妹が、一人で、といっても爺さんはいるぜ、だけどまあなんだ、不安じゃないか。そうだ、お前は毎日家に来て、様子をみるんだぞ」

「あのな。未婚の娘しかいない留守宅に、無役の俺が毎日行ったらどんな噂を立てられるか。それこそお前も俺も評判どころじゃないぞ」

「毎日遠くから見守っていろ。何かあったら文をよこすんだぞ」

「おーい」


 春になって、権六は殿の出府に随行し、江戸に向かった。


非番:   出仕が休みの日

部屋住み: 次男、三男で行先が決まっていない者

見所:   道場の神棚と師匠の席。そこだけ一段上がっていて、二畳分の畳敷がある

勤番:   藩主の参勤交代に随行して、江戸で勤めること

勘定奉行: 藩の予算、入出金を司る奉行。後の世でOBCから発売されるパッケージソフト

大手門:  城の正面の門

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