一 近郷
その日、無役の城谷四郎は、非番の佐渡賀谷権六とその妹である佐切と、近郷の寺に向かった。城谷家と佐渡賀谷家は親戚であり、その法事の打ち合わせのためである。本筋は城谷家だが、元は郷士だったからか、墓が城下ではなく近郷にあった。
「暑いな」
四郎は権六や佐切に言うともなく言った。
季節は夏から秋に変わろうとしていた。まだ青々しいとはいえ稲穂が重い実りを表し、今年の豊作を思わせた。飢餓の心配はなくなるが、豊作なら豊作で、札差から得られる現金は減って、侍の生活は苦しくなる。
「何とか推算の範囲でやれそうで良かったな」
権六はその厳つい顔に似合わず勘定方だからか、金勘定に細かい。まあ、皆貧乏しているので、金勘定に細かくない侍なんて、扶持の多いごく一部の上士くらいのものだろうが、その中でも細かい。
「権六、しかし、たかだか百石の家と、無役の六十石の家、そう格式ばらなくても良いのではないか」
「やることはやっておかんとならん。貴様とていつ出仕するか分からんのだから、家中の評判ということも気にしなくてはならんぞ」
「そんなものかね。出仕しても俺など剣以外の取り柄もなし、評判なんて関係ないと思うがね」
ふん、と権六は鼻を鳴らす。無役はこれだからと言わんばかりである。無役なのは親父殿の代からで、俺のせいじゃない。ついでに親父殿の代に、百二十石から六十石に減らされたのだ。何があったんだか知らんが。
権六は、無益な話は切り上げて、妹の佐切に話しかける。
「佐切、たまには城下を出るのも良かろう」
「兄上、お気遣いありがとうございます。お蔭さまで気分が晴れました。それに・・・四郎様が一緒ですし、楽しゅうございます。ね、四郎様」
「あ、ああ」
佐切は美人で気も強いが、少し病弱なところがある。先ごろも家で寝込んでいたと聞いた。心配していたが、今日の様子では大丈夫なのだろう。兄貴がこれだからそう気軽に近づいてくる輩はいないが、俺も注意しないとな。
他愛のない軽口を叩いていると、遠くで土煙が上がっているのが見える。馬に乗っている上士がいるみたいだ。下士の礼として、道の脇に避け、少し頭を垂れる。
たった一騎で通り過ぎていった。権六が言う。
「郡代の室戸様じゃったな。お若いのに、村々を回って励んでおられるようだが、今のは気晴らしの遠乗りじゃろうか。村ではこのところ飢餓で死者が出ることもないし、新田の開墾やら現金収入に結びつく藍の栽培などに取り組んでおられるようじゃ。はよう執政になられると良いのじゃがな」
「ふーん、権六殿はさすがに勘定組勤め。世知に明るいな。そんなに立派な方なら、俺の扶持を戻してもらえんものかね」
「剣だけじゃ出世は難しいぞ。学問をせい」
「そ、それはちょっとアレな。人には向き不向きというのがある。俺はどうもその、書見台に向かうと寝てしまうし、子曰くの暗唱もすぐ忘れてしまうし、算盤もいまいち、頭が学問に向いておらんのよ」
「言い訳じゃな」
「言い訳ですわね」
「出世の見込みのない奴に、妹はやれん」
「嫁の来手がなくなってしまいますわね」
兄妹で追い打ちを掛けてくる。止めてくれ。現実は分かっている。無役の六十石の家に嫁の来手がないことくらい。何の実力も実績もない俺に加増してくれるなんてことがないことくらい。
しかしもう二十年近くも無役のままの家なんだ、どうすりゃいいのか分からんのだ。屋敷の畑で野菜を作るか、道場での荒稽古しかすることがないのだ。今更学問したところで、それをどこでどうやってお目に掛けるというのか。戦国の世なら、戦働きで力を示せるが、太平の世の、無役がどう努力しようが、風任せにしかならない。
ところで、無役の侍といっても、元服した藩士であるからには月1回、登城する機会がある。殿が国元におられようと、在府(江戸詰)だろうと、大抵は家老か中老に挨拶し、城内の警備にあたって終わり。しかし、元服後初めて登城した際に向けられた、上士から向けられる冷たい目線と、目配せを、俺は忘れていない。親父はよっぽど何かやらかしたのだろう。その失態と、それをすすぐ方法を教えてくれる前に、登城した俺を見て安心したのか、親父は流行り病で死んでしまった。
いくら権六と親しくしていても、親戚であっても、そんなことはとても相談できることではない。次代の執政、室戸様。立派な方だっていうけど、俺にどうしたら旧禄に戻してもらえるか、教えてもらえないものかね。時代が明るくなるというならいいが、俺としては、いつまで経っても無役じゃ、嫁ももらえん。もう一生このままなんじゃないかと、近頃は諦めの気持ちが漂わないでもない。
下士: 下級武士。この藩の場合、百石以下が下士という。それより石高が多い侍は上士。
無役: (むえき)役に付いていない侍
近郷: 城下から少し離れた村
郷士: 戦国時代に半農だった侍
札差: 米でもらう給料を現金に換えてくれる商人
扶持: 給料(米)のこと
家老・中老: 藩の幹部。合わせて「執政」。家柄と能力、推薦がないとなれない。
郡代: 村を司る代官職
在府: 参勤交代で江戸に行っていること
旧禄: 元の給料。ここでは百二十石のこと