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「ランスロット……!」

 ダフネは急いで彼に駆け寄る。美しい面が痛みのあまり(しか)められていた。

「俺は平気だ……。早く行け」

 とても平気そうには見えない。生成色のシャツにどんどん血のシミが拡がっていく。当人が傷を手で押さえているが、止まる気配はなかった。

「平気なワケないでしょ!」


 左手にラプラスとの通信用の石を握ったまま、右手はランスロットの患部にかざす。貫通はしていないようだ。出血が止まり、細胞がみるみる修復しているのがランスロット自身でわかった。これは桁外れの治癒能力だ。

「すごい力だな……」

「黙ってて!」

 いつ次の攻撃が来るかわからないのに呑気なランスロットに、ダフネはつい語気を強めてしまった。話すと傷が開く可能性もある。


 気の強い娘だと、ランスロットは僅かに苦笑しながらダフネを見上げる。

 他人の傷や病を癒す力。それを使っている姿は尊くランスロットの青い目には映った。

 彼女の柔らかそうな頬を見つめているうちに、意外な事実に気がつく。

「そういえば、初めてダフネに名を呼ばれた気がする」


 あまりに緊張感のない近衛の発言に、ダフネは一瞬目が点になって、それから自分でも顔が真っ赤になっていくのがわかる。怒りではなく、恥ずかしさからだ。

 今はそれどころじゃないと怒鳴ろうとしたダフネだが、彼女を守って負傷した人にそうするのを躊躇った。

 しばらく悩んでいたが、こんな機会にカサンドラからの攻撃が一切ないのはどうしたことだろうと顔を上げる。

 セシルが普通に歩いてこちらへ来ていたことにぎょっとする。

 カサンドラは灰色の通路で恐ろしい声で呻きながら七転八倒していた。


「セシルさん、何があったんですか?」

「俺にもわからない。急にあんな風になって……」

 ランスロットの傍らでセシルも膝をついた。ほっとしたようで、口元が綻んでいる。

「ダフネさんのおかげで命拾いしたな」

 碧眼の近衛は横になったまま笑顔を取り繕って頷く。


「こ、む……すめェ……」

 カサンドラはうつ伏せに倒れながらも、石に爪を立て、ダフネたちに近づこうと足掻いている。恐ろしい執念だ。

「私の邪魔を、するな……」

 ダフネは私は何もしていないと、声には出さなかったが焦った。むしろ戦っていたのはランスロットとセシルだ。思わず石を握る手に力が加わってしまう。


 空気を裂くような悲鳴がカサンドラから撒き散らされた。胸の辺りを掻きむしり、目を見開いている。

 この石に関係があるとダフネは気づいた。ラプラスの意思を伝え、カサンドラに苦しみを与える。まさか、とダフネは立ち上がる。


「何をする気だ?」

 ダフネがカサンドラへ近づこうとするのを見て、ランスロットは上体を起こそうとした。先ほど傷が塞がったばかりなので上手くいかず、セシルの助けによってようやく起き上がる。


 ダフネは左手で石を包み込んだまま、カサンドラの元へ行く。傾国の美女は見る影もなく衰弱していた。

「あなたは……」

 褐色の手の甲に触れると、映像が流れ込んできた。




 ――――僕たちは、ずっとずっと一緒だよ

 利発そうな少年は、そう言って花の冠を頭に載せてくれた。神秘的な湖の畔にいる。

 もらった人物の嬉しいという気持ちが伝わってきた。これはおそらく、カサンドラの記憶。


 すぐに映像が切り替わる。


 ――――私と共に、来てくれないか?

 そう言って手を差し出した青年は、先ほどの男の子の成長した姿に見えた。大人になって彼はとても見目麗しく、理知的な男性に成長していた。彼の顔に、ダフネは見覚えがあった。

 場所は同じ湖の畔。

 カサンドラに誘いを断る理由などなかった。彼の大きな手を握る。



 あの日の約束は、ずっとずっと、永遠だと信じていた。

 それなのに誰にも会わないように明かりのない冷たい部屋に閉じ込められた。共に来るというのはこういう意味だっただろうか。

 顔を会わせれば、彼の務めのために未来を見る力を使うのみ。礼も言わず、彼は冷たい目をして去っていく。


 もっと美しくなれば。

 身体が大きくなれば。

 今の私と正反対になれば。


 彼はきっと私に夢中になって、あの時みたいに優しく微笑んで、私と一緒にいてくれる。


 その思いは少しずつ彼女(・・)をつくっていく。褐色の肌。緑色の瞳。黒い髪。肉感的な身体つき。

 やっぱり彼は、私に夢中になった。片時も離れたくないと、私を貪って溺れていった。辛い思いをさせられたことに仕返しをしたかったから、興味のない男たちを手玉に取った。

 もっと早くこうすれば良かった。これで約束は守られる。ずっとずっと一緒にいられる。



 カサンドラを形作っていたものが、どろどろと黒い澱ようになって崩れていく。

「ゴットフリートと……一緒に……いさせ、て……」

 中から少しずつ現れてきたのは、雪のように白い細い指先。白く細い髪。


「……ラプラス」

 目を見張ったランスロットの唇から、思わず彼女の名前がこぼれる。ダフネの力を必要としていた幼子は、力なく微笑むといくつもの白い光となって舞い上がった。

 ダフネの掌にあった石も、ふわりと光って空間に溶けた。




 ダフネの見たものを、ランスロットとセシルに伝えた。

「カサンドラはラプラスの穢れの成れの果てだったのか……」

 サファイアのような双眸が僅かに伏せられる。この事をラプラス自身とゴットフリートが知っていたとは思えなかった。

「じゃあ、あの中には?」

 セシルは開いたままの隠し扉の向こうを見る。ラプラスの本体は無事なのだろうか。

「……行ってみよう」

ランスロットの言葉に、ふたりは首を立てに動かした。




 鎖に繋がれた白い魔物は、深紅の瞳から涙を流していた。

『……これが、涙というものですか?突然溢れだしてきました』

 ラプラスの声はやはり直接脳に届けられる。

『翼が片方、なくなってしまいました。何も先のことが見えません。私はどうしたのですか?』


「……ごめんなさい」

 ダフネは屈むと、ラプラスの小さな手を握る。それで純白の少女は察した。

『穢れを祓ってくださったのですね……』

 ダフネの頭の中に、ラプラスからもたられる未来の映像が映し出されることはなかった。

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