5
翌朝早く、王都に入った。まだ街は目覚めていないので人通りも少ない。とりあえずランスロットの私室へ行ってしまおうということだった。そこなら話もしやすい。
近衛と相棒の魔導師は、ダフネを隠しての侵入に何とか成功する。ランスロットの自室に転がり込むと、全員で安堵のため息をついた。
問題はここからだ。誰にも見つからないでラプラスの元へたどり着かなくてはならない。
********
ゴットフリートと褥を共にしていたカサンドラは起き上がる。美しい長い黒髪と、緑色の瞳、褐色の肌。見事な曲線を描く肢体。官能的な声。全てが国王を虜にする。
「どうしたのだ?」
カサンドラはふふ、と意味ありげに含み笑いをするが答えない。ゴットフリートが再び眠りにつくのを見届けて寝台を抜け出した。
「やっぱりランスロットは邪魔だったのに。ゴットフリートの役立たず」
********
ランスロットが石を握って心で呼び掛けてみるが、応答はない。ラプラスの未来を見る力を使えば、3人で彼女の元へ行くのは造作もないと考えたのだがそう上手くはいかなかった。
「反応が無いね……」
ダフネがランスロットの掌に指を伸ばす。石に触れようとしたその時、まばゆい光が放たれた。
『ランスロット、そこは危険です。逃げて!』
ラプラスの声がランスロットだけではなく、ダフネとセシルの脳内にも響いた。
「逃げてと言われても……」
セシルはキョロキョロと部屋を見回す。隠れるところもカーテンの影やクローゼットの中程度しか思いつかない。
扉の向こうから忍ぶような足音がする。ダフネは気づかなかったが、ランスロットとセシルの耳には届いていた。
城内で騒ぎを起こせば、ランスロットの立場がますます悪くなる。セシルは侵入を狙っている輩に彼より強い魔導師がいないことを願いながら呪文を唱え、杖の先端で床を軽く鳴らした。
ややあってドアの外とバルコニーからどさりと重い音が聞こえた。
「とりあえず、ふたり」
セシルは安堵の吐息を漏らす。触れると意識を失うほど強い電流が流れるように、魔法で細工したのだった。
ランスロットが窓を開くと、目元以外は全て黒い布で覆われた男が気絶していた。暗殺者と思われる。逃げられないようセシルの魔法で錠をかけ、部屋に放り込む。
『そちらからの敵はもうおりません。出られますか?』
「……行くしかないだろう」
ランスロットは低く呟くと、ダフネを抱き上げる。
「え?えっ?」
生まれて初めてお姫様抱っこをされたダフネは混乱した。ここは城の3階だというのに、どうやって抜け出すのか。
「しっかりランスロットにしがみつくんだよ」
セシルにそう言われたが、どうすれば良いのかわからない。ランスロットの腕の中で困惑していると、彼はダフネが痛みを感じるほど引き寄せる。
「行くぞ」
バルコニーへ出ると、セシルが浮遊魔法を使うために杖を振る。ランスロットはダフネを抱えたまま石でできた手すりを蹴って飛び降りる。セシルも行動を共にした。
魔法のおかげでふわりと中庭に着地したのだがダフネはランスロットの腕の中で呆然としていた。
「大丈夫か?」
その声でふと我に返って頷く。ケガはどこにもない。
この男に出会ってから、経験のないことばかりが起こる。
「良かった」
穏やかに破顔したランスロットは跪いてから丁寧にダフネを降ろした。
身体が離れると、彼女はランスロットの温もりと力強さを思い出して赤面してしまう。今はそれどころではない、と何度も頭を振った。
そこからはラプラスの指示通りに動き、城の地下までやって来た。
「こんな場所、初めてだよ……」
セシルは大きく息を吐きながら天井を見上げる。全てが石に覆われた空間。3人の足音がカツン、カツンと鳴り響く。
白い魔物の幽閉場所まではもう少しだった。
ランスロットは考えていた。誰が暗殺者など送り込もうとしたのだろう。幸いというか、セシルの力量を過小評価していたようでお話にならなかったが。ゴットフリートではないと信じたい。そうなれば―――――。
『ランスロット、お願いがあります。石をダフネにお渡しください』
突然のラプラスからの指名に、ダフネとランスロットは驚いて歩みを止める。
『先ほどダフネが石に触れようとしただけで、少し穢れが弱まったように感じたのです』
この石にそんな便利機能が、とダフネは驚く。ランスロットも同じだったようで、胸ポケットから取り出してまじまじと見つめていた。
「よろしく頼む」
ランスロットが石をダフネの手の中にぽとりと落とすと、ふわりと優しく輝いた。癒しの力を使おうとしていないのに不思議だ、とダフネは石を眺める。
「……美しい力だな」
碧眼が穏やかに微笑みかける。ランスロットは何と心臓に悪いのか。ダフネは思わず視線を逸らしてしまう。
「……何のつもりかしら?」
露出度の高い黒いドレスを纏った女性が、ハイヒールを鳴らして近づいてくる。緑色の双眸は怒りを露にしていた。
ランスロットとセシルがダフネを隠すようにカサンドラと対峙する。
「行け」
迷いを見せるダフネに、ランスロットは少しだけ振り返ると低声で告げる。
「頼む。ラプラスの穢れを祓えるのはダフネしかいない」
ランスロットの眼差しにダフネは頷く。預かった石を強く握ると、ラプラスの元へ駆け出した。
カサンドラは痛みを堪えるように胸の辺りを両手で押さえる。
「あの娘っ……!」
寵妃の様子がおかしいと思いながら、ランスロットとセシルはいつ攻撃が来ても対処できるように身構えた。
「あの暗殺者はお前の差し金か?」
「だとしたらどうするの?」
嘲るような表情をカサンドラは浮かべた。やはりこの女が黒幕かと、ランスロットは柄を持つ手に力を籠める。目的は何かと思い巡らせるが、本人に語らせるしか真実はわからないだろう。
今のカサンドラの目的は近衛たちではなかった。
「待てぇっ!」
艶やかな黒髪が伸び、猛スピードで近衛たちの横をすり抜けようとする。聖女を捕らえようとしている。ランスロットは剣を振るって切り落とし、セシルは杖に巻き付けてダフネを守った。
しかしすぐに第2波がやってくる。剣技と魔法で対抗するが、落としても落としてもカサンドラの髪はダフネを狙って伸びてくる。
「色の違う石……」
ランスロットの目の高さだと、探すしかけはダフネでは見上げて手を伸ばさないと届かなかった。焦ると余計に見つからない。
『見つかりましたか?』
手当たり次第に石を触ってみる。なかなか当たりを引けない。
「そっか、扉になるんだから……」
角に近い石に手を添える。そのままぐっと押し込むと僅かに動いた。
「これだ!」
「ランスロット……っ!」
セシルの切羽つまった声がダフネの背後で響く。何かが彼女の背中を押した。
壁が消え、ラプラスへ続く通路が出現する。そこへ数歩よろめきながら進んだダフネが振り返ると、カサンドラの髪に腹部を貫かれたランスロットが倒れていた。