時空のはざま
二〇一六年――お盆。
事ある毎に集まる仲間。私にはそんな仲間がいる。
けれど、彼らは元々私の友達だった訳ではない。私、清水文武――通称、文ちゃん――の妻である清水博美の学生時代の仲間なのだ。妻の旧姓は日下博美。その為、この仲間からは「日下ドン」と呼ばれている。
私が妻と知り合ったのは彼女が十九になる手前であった。三歳年上の私は当時大学生であり、日々学問に明け暮れていた。
これは後になって聞いた話だが、妻は十八歳まではただのおデブちゃんだったらしい。だからどんぶり飯をたらふく食べるという意味で「日下丼」が由来だと思っていた。けれど違ったようだ。「ドン」の由来は「丼」ではなく「首領」だったらしい。
妻は胆管狭窄という珍しい病を患い半年以上にも及ぶ入院を余儀なくされていたようだ。
幸か不幸か、この入院生活のお陰でおデブちゃんからプチぽっちゃりな体型に変化した。一年早く出会っていれば、私との結婚はおろか、お付き合いさえしていなかっただろう。
妻にとってみても、痩せてしまった為に私と付き合う事になり結婚する事になったこの事実を「幸」と思っているのか「不幸」と思っているのか、それは妻のみぞ知りうる事である。
そしてこの仲間には庄司範行という男がいる。この仲間のリーダー的存在である。通称は庄司に由来し「庄ちゃん」。三十を越えた頃から次第におでこが広くなりつつあるものの、依然として精悍な顔だちをしている。庄ちゃんも私の妻の同級生である。そして妻の親友でもある喜多伸江――通称、伸江ちゃん――と結婚をしたのだ。妻の話によると、この夫婦は学生の頃から異性にモテていたようだ。早熟な伸江ちゃんは背も高く女性としての膨らみも小学生の頃から群を抜いていたらしい。
けれど、伸江ちゃんの身長は中学入学と共にぴたりと止まったらしく大人となった今では決して背の高い方ではない。
しっかりした姉さん肌の女性である。
――およそ一km先、目的地です。
私の運転するワンボックスカーのカーナビから感情のない音声が車内に響き渡った。
「文ちゃん、運転お疲れ様ー! イェーイ! 着いた、着いたー!」
後部座席ではしゃいだのは大島昌美である。通称は大島に由来し「おーちゃん」。彼女も妻の同級生である。
昨今の女子高生の制服といえば、ふとした拍子にパンツが見えてしまうんじゃないかと心配する程短いスカートをはくのが主流である。しかし、我々が高校生の頃の制服のスカートは「長くてなんぼ」であった。
こと、少し悪いグループに入っている女子たちは、パーマネントをかけ、髪の毛を脱色し、足首まで隠れてしまいそうな程の長さのスカートをはくのが彼女たちのステイタスであった。
そんな時代のど真ん中にいたのがおーちゃんである。
そんなおーちゃんも、今では「心も体も」すっかり丸くなっている。このおーちゃんが昔は尖っていたなど私には想像もできない程、温和な性格の持ち主である。
「みんな、お疲れー! もうすぐキャンプ場に着くよ。あっ、ファミマがあるね。サイトに入る前に氷を何個か買っとくか。サイト内の売店にも氷は売ってるだろうけど高いからね」
私が左のウインカーを点滅させると、後続の庄ちゃんのワンボックスカーも私の車に続き黄色いランプを点滅させた。
「文ちゃんも庄ちゃんも運転お疲れ様ー! うわー、結構日射しも強くて暑いんだね」
庄ちゃんのワンボックスカー、その後部座席から出てきて右手で太陽を遮りながら眩しそうな目をしたのは加藤昭子である。旧姓が富田昭子であることから、みな「トミ」と呼んでいる。
暑さのピークは過ぎたとはいえ、容赦のない紫外線がアスファルトを照りつけ、女性陣の肌をいじめている。
「日下ドンが『八月だけど朝晩は冷えるからフリース持ってきてね』って言うから持ってきたけど、フリースとかいらなくね?」
太陽に手をかざしながらおーちゃんが独り言のように呟いた。
「山をなめちゃだめだよ、おーちゃん。そのうち必要になるから、そのユニクロ」
妻と付き合い始めた翌年から私たちは毎年のようにキャンプにでかけていた。夏のキャンプであっても場所によっては朝晩は冷え込むのだ。
勿論、我が家のバッグの中にもユニクロのフリースが入っている。
氷の仕入れやトイレを済ませた女性陣はぺちゃくちゃと話をしながら各々車に戻っていった。私は庄ちゃんとコンビニの駐車場に置かれた灰皿を挟み、乳白色の煙を吐き出した。
「しかし女性陣は元気だね。昨日ディズニーで一日中遊んできたとは思えない程のパワーだもんな」
庄ちゃんは言いながら苦笑いを浮かべた。
私の妻である博美(日下ドン)、庄ちゃんの妻である伸江ちゃん、加藤家に嫁いだトミちゃん、バツイチのおーちゃん、そして明日からキャンプに合流する可奈子ちゃんと杉山さん。六人の中年女性――本人達曰く、美女っ娘クラブ六人組――でディズニーランドへ行き朝から閉園まで遊んできている。その翌日から那須のオートキャンプ場で二泊三日のハードスケジュールをこなそうというのだ。
庄ちゃんの苦笑も頷ける程のパワーである。
私たちは煙草を灰皿に押し付けた。
「じゃあ、行きますか」
庄ちゃんに促され私たちは各自運転席に座った。
「おーちゃん、今日はちゃんとお財布持ってきた?」
妻のその質問の意味は理解できた。昨日ディズニーに一台の車で行ったそうだが、おーちゃんが車に財布を忘れ一旦入場したものの六人全員で駐車場へ戻り、全員で再入場したのだと妻から聞いていた。
『そのお陰で三十分損したのよ』
昨日の夜、妻はぶつぶつとそう愚痴をもらしていたのだ。
ほどなくキャンプ場に着いた私たちは受付を済ませ指定されたサイトに車を停めた。
「カンナはね、ママのお手伝いするから、ウート君はパパのお手伝いしてね」
カンナとウート君。私の最愛の子供達である。ウートとは六歳の息子の事で裕斗、四歳の栞那の兄である。ユートという発音が難しいのか、栞那は兄の事を「ウート君」と呼んでいる。
サイトに荷を下ろし皆でタープとテントを建て始めると、裕斗が周囲をぐるぐると眺め始めた。去年もここに家族四人で来ている為、六歳の裕斗には林の向こうに遊具を揃えた公園がある事が思い出せたのだろう。
「ねえ、ねえ、カンナカンナ、あっちに公園あるから一緒に行こう」
裕斗は栞那に話しかける時、必ず「カンナカンナ」と二度呼ぶ。
「うん。一緒に行ってあげてもいいよ。ウート君、いこ。ママ、ウート君と遊んであげなきゃなんないから行ってくるね」
栞那にとってはお兄ちゃんと遊んであげるというような感覚らしい。二人は手を繋ぎ走って林の向こうへ消えて行った。
一同、栞那のおませぶりに苦笑いを浮かべている。
しかし私はキャンプ場の異変に気づき少し鳥肌を立てた。お盆といえばキャンプ場にとってはトップシーズンである。にも関わらず、広いこのキャンプ場に客は我々の一行のみであった。
これから起こる不思議な体験を予測できる者など誰一人いなかった。
「栞那ウケるんだけど」
おーちゃんが吐き出したその言葉は、ミントのフレイバーを乗せた煙草の煙と共に木々の中へと吸い込まれていった。