恋愛小説
夏休みが終わると、すぐに次の文芸部誌のテーマ決めが始まった。
毎回20部くらいしか刷らない、誰が読んでるんだか制作側もよく把握していないような隔月発行の部誌は、ひとつのテーマの下に各部員が短編を創作し、それらを束ねて一冊が構成される。これまでには『密室劇』、『動物』、『新入部員が増えそうなの』、『下ネタ禁止』、『学校からの教育的指導が入らない範囲で』等の多様なテーマが後先考えずに勢いで設定された。
水緒幸広はこうしたテーマ決めの場で自己主張をしない。なんでもよかった。重要なのは「何を書くか」ではなく、「どう書くか」だと、少なくとも彼はそう思っていた。よって狭く薄暗い部室の隅の方で、過去の部誌をめくって自分の書いた文章を読みながら惚れ惚れしたり落胆したり、副部長の眼鏡についた指紋を気にしたり、前日の朝食のメニューが思い出せなくて脳トレの必要性を認識したりしていたら、夏休み明けだというのに洗い立ての大根みたいに真っ白な肌色をした部員たちが、わいのわいのきゃいのきゃいのしていつの間にかテーマを決めていた。
恋愛。
未知だった。
ゆえに体験してみることにした。
クラスで一番人気のある子に恋することにした。
水緒はやや愚かだった。
一部男子生徒への入念な聞き取り調査の結果、クラスで一番人気のある女子生徒は相田由香里であるらしいという情報が得られた。相田がナンバーワンに輝いた理由については、『顔がいい』『勉強ができるし顔がいい』『運動もそれなりらしいし顔がいい』『顔がいいからたぶん性格もいい』等のコメントが寄せられた。こいつら顔が良ければ中身が犬猫でも大福でも構わんのじゃないかと思わないでもなかったが、頂いた意見をありがたく参考にして、水緒は相田に恋してみることにした。
恋愛ド素人の水緒は、巷で流行りのラブソングを参考に行動を開始した。
まず、会いたい気持ちを募らせてみた。毎日クラスで見かける相手に特に感じることもなかった。
君のことを思って眠れない夜を過ごすことにした。5分も経たずに朝が来た。
君のことを思って渡す予定のないラブレターを書いてみることにした。表現に納得がいかなくて一枚も出来上がらなかった。
驚くほど上手くいかなかった。恋心は猫の毛ほども湧きあがらず、南極の氷の下あたりに五芒星でも書いて封印されているような気がした。
一応、授業中に相田の姿をチラチラ見つめたりもしていた。相田はやたらにそわそわしていて、なんだこの挙動不審は、と自分のことは棚に上げて不気味に思っていたら、いつも視線の先に特定の男子生徒、早坂一樹がいた。
これを教えたらクラス男子が盛大に憤死して楽しそうだな、と思った。
「うーん、わからない」
自宅。リビング。夜。
水緒はダイニングテーブルに頬杖をつきながら、一文字も進んでいない原稿用紙をシャーペンの先でトントン叩いた。
隣のソファーでは妹の千恵がうつ伏せで寝転んで、水緒の部屋から強奪してきた漫画をめくっている。
「何書いてんの?エロ?」
全く興味なさそうな調子で、千恵が漫画から一切目線を外さないまま尋ねる。ごろん、と寝返りを打って仰向けになった。
「恋愛小説」
ものすごい笑い声が響いた。ばさっ、と音を立てて千恵の顔に漫画が降ってきた。腹を抱えて笑っていた。
「に、似合わなーっ!」
「自分でもそう思う」
水緒は妹の笑いを気にするでもなく、真面目腐った顔で原稿を睨みつけていた。
はあーあ、とひとしきり笑い終えた千恵が、酷使されたらしい表情筋をこね回しながら言う。
「彼女できたこともないのに恋愛小説なんて書けるわけないじゃん」
「ファンタジー小説家が全員魔法使いだと思ったら大間違いだぞ」
返したものの、水緒は内心、千恵の言う通りかもしれないと思っていた。
全く筆が進まない。普段ならパッと頭の中に浮かんだイメージをそのまま言葉に書き写すように、すぐに話が出来上がるのだが、まるでそのイメージが湧かない。
それと言うのも、恋愛を題材にした創作が、その日常性に反してやたらとふわふわしていたり、気持ちの表現が動作や習慣に依拠しているのが原因だと思う。取得できる情報がすでにして抽象的だから、それを具体的にイメージしなおそうとすると、外国語の再翻訳みたいに原型がすっかり失われてしまうのだ。
千恵は興味の矛先を漫画から兄の面白行動に向けたらしく、ソファに逆向きに座り込んで、水緒の方に顔を向けた。
「お兄ちゃんって好きな人とかできたことあんの」
「ない」
「さびしー人生。今どき小学生だって恋人いるよ」
どこで覚えてきたんだか両手を肩のところまで持ち上げるやれやれのポーズを取る千恵。現役小学生からの情報に水緒はやや興味を惹かれた。
「へえ。お前も彼氏いるのか」
「あたしはいないけど、みっちゃんはもう彼氏ふたり目だよ」
「みっちゃんってあの前髪パッツンの子だっけ」
「そーそー」
へえー、と水緒は感心した。うちに遊びに来ていたときは大人しそうな子だと思っていたが、なかなか積極的らしい。いやでも参考に買った恋愛小説や恋愛漫画では、確かに大人しく見える子の方が押しが強かったりするし、むしろセオリー通りなのだろうか。
「でもお前は彼氏いないんだな?」
「……」
そっぽを向いて唇を尖らせる千恵。
「好きな人は?」
「……いないけど」
「お前も所詮は僕の妹だということだ」
そう言って水緒は椅子を引いて立ち上がる。
「あっどこ行くの」
「散歩」
「勝ち逃げずるい!ていうか今の自爆じゃん!」
「これが捨て台詞だ。覚えておくんだな」
玄関で靴紐を結んでいると、背中に千恵の声がかかった。
「お母さんが食パン切れたからついでに買ってきてってー!」
「あいよー」
コンビニに来たら、ばったり相田由香里と遭遇した。
道中ずっと恋愛のことを考えていたせいで、うっかり、
「あ、早坂由香里」
と名前を間違えた。凶悪にミックスする感じで。
相田の顔はみるみる真っ赤になって、手首をつかまれてコンビニの外へ引っ張られた。
そして今、水緒は自宅から徒歩10分の展望台にいた。相田とふたりで。
この街には、やたらとでかい公園と、それに併設されたやたらと眺めの良い展望台がある。
6年くらい前の市町村合併の折、急激に予算の幅が増えたことに興奮した行政側がつい作ってしまって、結果として財政に大打撃を与えたといういわくつきの場所ではあるが、今重要なのは別のことだ。
眺めを優先して無暗やたらと高い場所に建設された展望台は、殺人的な角度の上り坂のせいで、昼間のちびっこ小学生はともかく、夜になると基本的に誰もいない。
つまり、水緒は夜遅く、相田と人気のない場所でふたりきりであり、かつ、
「やっぱり見たの?私の相合傘落書き用のノート。それとも毎日消しゴム拾ってもらおうとするのが露骨だった?」
盛大に隣で自爆活動が行われていた。
水緒は無言だった。無言でこいつヤバイ、と冷静に考えていた。
相田はこの場所に到着してから10分弱、延々自分の早坂に対する日常的な変態行為について語り続けており、法に触れるような行為こそないものの、水緒は隣に座る人間から恋心というよりも執念を感じ取っていた。
というか問いかけに対して無言を貫き通していても何も気にせず自爆炎上を続けているのも不気味だった。完全に自分の世界に入り込んでいる。
――これが、恋する乙女。
もしくはサイコする乙女。水緒は戦慄していた。帰って寝たい。
「ね、水緒くんはなんで気付いたの?」
「みんな知ってる。それじゃ僕は帰らせてもらうから」
「えぇええええええええええええええええ!?」
立ち上がって去ろうとしたら、襟首を引っ張られた。首が絞まった。蛙みたいな声が出た。
「ほ、本当!?それ本当!?」
「適当言った」
「適当言わないでよ!」
ガンガン襟が伸びている。
「誰から!?誰から聞いたの!?」
「授業中、恋してみようと君の姿を見つめていたら気付いた」
「!?」
「君のことは毛ほども好きにならなかったから安心してほしい。いいじゃないか。早坂くんと式でもなんでも挙げれば。僕は帰る。あと授業中あんな挙動不審だったら誰でも気付く」
「ウェイト!」
じゃ、と立ち去ろうとしたら相田が躊躇なくボディーブローを叩きこんできて、逃走に失敗した。水緒は最近妹との腕相撲が拮抗し始めて指相撲へと切り替え始めた貧弱な少年なので、ひとたまりもなく膝をついた。
「洗いざらい吐いてもらうまで帰さないよ!」
ゲロ吐きそうだった。
「ふうん。じゃあただ私が早坂くんのこと見すぎってだけだったんだ」
最初からそう言ってるのに。
水緒は隙あらば脱走しようとしたが、ボディーブローが足に来ており、かつ相田が長丁場を想定したのか近くの自販機で飲み物を買い始めたあたりで、これ逃げられないな、と諦めがつき、恋愛小説のくだりから全部説明した。
「で、水緒くんに提案があるんだけど」
「僕には聞かない権利があるな。やあ、今日は星が綺麗だ。こういう日は家に帰って寝たくなる」
「提案があるんだけど」
無言で拳をわき腹に押し当てられた。わずかな時間のやりとりで、水緒が物理的な暴力に弱いことが露見していた。
「協力しようよ」
「今日をより良くしようよ、略して協力?」
「水緒くんが私の恋路をサポートする。私は水緒くんに恋心がどういうものか教える。完璧でしょ?」
「簡単にペテン師を信じるのは危険、略してかんぺうぐうっ」
「完璧でしょ?」
偶然にも、水緒と相田はお互い人の話は聞かないタイプの人間だったが、相田が肉体的アドバンテージを有しているため、この場では一方的に話が進んでいた。
「協力って言ったって、別に早坂くんとそこまで仲が良いわけじゃない」
「嘘だあ。よく話してるの見るよ。私は早坂くんのことならなんでも知ってるんだ」
「君は気持ちが悪いなあ……。早坂くんねえ」
考え込む水緒。相田は紅茶缶を一口含んだ。
別に仲が良いわけじゃないというのは嘘ではない。文芸部の水緒とサッカー部の早坂とでは、色々生活範囲に違いがある。ただ、ペア決めやグループ決めのときにやたらと向こうから声をかけられたり、朝登校するとわざわざ近寄ってきて挨拶されたり、小説の参考資料を読んでいたりすると、「何読んでるの?」と毎回声をかけられるくらいで――
「あいつ……僕のことが好きなのか?」
「ブーーーッ!!!」
相田の口で濾過された紅茶が、盛大に水緒の顔に噴射された。
当然だが水緒は非常に不愉快そう眉を顰めている。
「汚らしいんだけど」
「ああ、ごめ……き、汚らしい!?」
「汚らしい」
ハンカチで拭き取ったがベタベタするのは残ってしまったので、帰ったらすぐに風呂に入ろうと思った。相田は「汚ならしい……汚ならしいって……」とぶつぶつ呟いている。
「と、とにかく!協力しましょう!まずは明日早坂くんの好きなタイプを聞いてきてね!できれば私のことが好きだってところまで!」
「嫌なんだが」
「嫌とかそういう問題じゃないの!頼んだからね!」
一方的に言い捨てた相田は走り去っていった。
その速度を見て、「運動もそれなりにできるらしい」という情報は、「運動が尋常ではなくできる」というのが正しいな、と脳内で修正された。
「食パン買って帰ろ……」
軽い気分転換のつもりが、とんでもない嵐と交通事故を起こしてしまった夜だった。
「おはよう、水緒くん!」
次の日。教室に入るとすぐに、朝練上がりらしい、手に持った清涼飲料水よりも涼やかな早坂が声をかけてきた。あまりにも爽やかすぎて爽快感の擬人化みたいになっている。
水緒は正直に言ってあまり相田の頼みを叶える気がなかったので軽く流そうとしたが、視界の隅に入った相田が虎もかくやという凶相を浮かべていたので、脅迫に屈した。
「早坂くん」
「うん?」
「君は僕のことが好きなのか?」
「ブーーーッ!!!」
早坂だけではなく、教室中のいろんな人間が飲み物を噴いた。早坂の清涼な口のなかで濾過された超清涼飲料水が水緒の顔面に飛散した。メンソールかなにかだろうか。
「汚いんだけど」
「ご、ごめん!あ、これまだ使ってないやつだから!」
そう言って早坂はバッグから取り出したスポーツタオルで水緒の顔を拭いた。されるがままの水緒は、相田より早坂の方がだいぶ性格が良さそうだな、と思った。
「と、突然どうしたわけ……?」
「やたら君に構ってもらってる気がして、なにか理由があるのかと思って」
尋ねると、早坂はあー、と頬を掻く。言いづらそうにしながら、
「ファンなんだ」
「やっぱり……申し訳ないが僕は、」
「いやいや!そういうのじゃなくて!水緒くんの小説の!」
「小説の?」
「そうそう。文芸部誌読んで、面白かったからどんな人が書いてるんだろうって気になって」
全校推定20人弱の貴重な読者のひとりだった。そして水緒は自分のファンなる人間の存在に大変感動していた。
「なんだ、そうだったのか。ところで次の文芸部誌のテーマは恋愛なんだけど」
「へえ、楽しみだな」
「残念ながら恋愛のことがさっぱりで。よければ調査に協力してくれないかな。君だったらどんなときに人を好きになる?」
教室中が聞き耳を立てていた。みな興味津々だった。
早坂は律儀に真剣に考え込んで、照れ臭そうに、
「そうだなあ。やっぱり俗っぽいけど、可愛いって思ったときかな」
「顔?」
「いや、顔だけじゃなくて。その人の良いところでも悪いところでも意外なところでも、色んな部分が可愛いって思えるようになったらってこと」
「なるほど」
「め、メモ取らないでくれよ、恥ずかしいから……」
偶然にもかなり良い意見がもらえたと思った。少なくとも顔が顔が言ってるやつらや、狂人よりはよっぽど有用な意見だった。もしかして早坂くんに取材を続けたらあっさり恋心の完全理解ができるのではないだろうか。
「ありがとう。これでかなり進みそうだ」
「まあ、こんなことで役に立つなら……。次の部誌も楽しみにしてるよ」
自分の小説の下調べも進み、かつ脅迫による要求に対しても一定の成果が得られた。見事な手際だと自画自賛した。
これだけ堂々と話していたのだから、わざわざ相田に報告する必要もあるまい。今日は家に帰ったら早速今の意見を参考に執筆を進めようと思った。
ちらりと目線を向けた先で、相田が怪獣みたいな表情になっていたのは、見なかったふりをした。
「こんにちはー」
自宅に怪獣が襲来した。めまいがした。
「どうして僕の家を知っている……?」
「文芸部の人から聞いたんだ」
能面のごとくにこにこ笑う相田。不気味だった。
何事かと玄関まで出てきていた千恵が、水緒の服の袖を引っ張って屈ませ、小声で耳打ちする。
「なにこの人、まさか彼女?めっちゃ可愛いじゃん」
その言葉に盛大に水緒は顔を盛大にひきつらせ、
「安心しろ。敵だ」
と言い放った。
どこにも安心できる要素がなかった。
「ずるい!」
部屋に招き入れた瞬間、水緒はボディーブローを打たれて膝をついた。
「私だって早坂くんにスポドリ吐きかけられたい!」
「そっちかよ」
「恋する乙女は誰だって顔にスポドリ吐きかけられたいものなの!ほらメモ取って!」
「嫌だよ汚い……。ていうかそんなの君だけだろ……」
「汚くない!清い!」
勝手に鞄の中からメモ帳を引っ張り出されて、『好きな人の口から何かを吐きかけられると元気が出る☆』と書き込まれた。最悪だった。その上の『良いところでも悪いところでも想像できなかったところでも、可愛いと思えること』と書かれた早坂談との落差がまさに天と地という感じだった。
「で、何しに来たの君。早く帰ってほしいんだけど。帰ってほしいんだけど」
「え、やだなあ」
水緒の渋面と渋い言葉に対して、きょとんとして相田は答える。
「協力しようって言ったじゃない」
水緒は、千恵を呼んでふたりがかりならこの女を追い出すことができるんじゃないだろうかと考えた。たぶん無理だと悟った。
「私気付いたんだけど、早坂くんが水緒くんのファンだっていうなら、水緒くんと一緒にいれば早坂くんとの接点が増えると思うんだよね。いっぱい話しかけられてるみたいだし?水緒くん、聞きだす手際もよかったし、協力者として最適っていうか?」
「君は僕の協力者としてこの上なく不適格なんだが」
「そんなことないよ」
「あるから言ってるんだけど」
相田が拳を握った。水緒は後ずさりをした。
「どのへんが?」
「君の恋心は、なんというか……汚い。僕はもっと綺麗な話を、」
「どりゃあ!!」
「ぐええっ」
刺さった。
「乙女の恋心は、すべて清い!」
「だとしたら君は乙女ではない……」
「とにかく、水緒くんは私の恋路をサポートする!私は水緒くんに恋心を教える!そういう協力体制になります!」
「助けてくれ国家権力」
「よろしく!」
そのあとたっぷり1時間、相田は「競争相手はどんな手を使っても潰す」「顔の可愛さなら絶対に負けない」「でも早坂くんは顔で相手を判断しないからちょっと不安」「でもそこが好き」「早坂くんも絶対私のことが好き」といったことを一方的にまくしたて、満足した顔で帰っていった。
その大声は隣の部屋にいた千恵にも聞こえていたらしく、部屋に入ってきてベッドで精根尽き果て倒れている水緒を見て、
「なんか……すごかったね。お兄ちゃん、いくら顔が可愛くても、ああいう人はやめた方がいいよ……」
「うん……。知ってる……」
憐れんだ。
次の日から、学校では水緒は相田に張り付かれるようになった。ただでさえ華奢な身体からさらに3kg体重が落ちて、家ではご飯が大盛で出されるようになったし、千恵がお菓子を分けてくれるようになった。
周囲では、もしかして付き合っているのか、という不本意極まりない疑惑が浮上したが、「僕が好きなのは早坂くんで、断じて相田ではない」「僕が好きなのは妹で、断じて相田ではない」「僕が好きなのは君だよハニー、断じて相田ではない」等と適当をこきまくっていたらいつの間にか噂されなくなった。
そして、水緒は意外に小器用な性格をしていて、どんどん相田のサポートを成功させていた。早坂とふたりきりにすれば相田を長いこと引きはがせるということに気付いてからは、さらに八面六臂の活躍を見せた。
恋愛小説の方も、早坂と過ごす時間が増えたことで、取材の機会が増え、かなりの進捗を生み出した。彼の純情恋愛観は、かなり水緒の小説の傾向に合っていて(そのあたりもあって早坂は水緒の小説を気に入っていたのだろう)、良作の誕生を水緒に予感させていた。相田はたまに家にやってきて、一方的に愚痴をこぼし、奇怪な文章をメモ書きに残して、勝手に満足して去っていった。完全に悪魔の一種だった。水緒は、恩人を仇の海に叩き落としているような気がして、果てしない罪悪感に襲われていた。
そして(強制)協力体制の発足から1ヶ月が経った今。
「あ゛~。水緒くんの家落ち着くわ~」
「帰ってくれ……頼むから……」
入り浸られていた。懐かれていた。
勉強机に座って原稿に向かい合っているのが水緒。その横のベッドに遠慮なく寝そべって恋愛漫画を読んでいるのが相田。2年前くらいまで、相田のその位置にいたのは千恵だった。
「いや~でもさ~、これだけ協力してもらっておいて、何も返さないのも不義理っていうか~」
「気持ちだけ受け取っておくから帰ってくれ。君の姿を目にするたびに妹がこわがって夜眠れなくなるんだ」
相田は、最近早坂との距離が縮まったことで幸福の絶頂にいた。緩んでいた。水緒はまた適当をこいていた。
水緒の向かい合う400字詰め原稿用紙は、すでに20枚を超えていて、少し長めの作品になりそうだと予感させていた。そこで、ふと水緒は視線を上げる。
「そういえば君、あの早坂くんとふたりになると異様にテンパる癖はなんとかならないのか。さすがに不審がられてたぞ」
「えっそれほんと!?」
「僕はいつでも真実しか言わない」
「それがまず嘘じゃん。水緒くん発言の7割適当じゃん」
ガバッと起き上がって、水緒をジト目で見る相田。が、今回に限れば適当ではない。
「本当だよ。さっさと治せ」
「えええ……ショック……」
相田は枕もとに置いた水緒のメモ帳に、『恋する乙女は好きな人の前だと恥ずかしくなっちゃうんだゾ☆』と書き込んだ。別にそこまで妙なことを書いているわけではないが、水緒はややイラッとした。
「というか君、いつまでうちに入り浸るつもりなんだ」
「え?そりゃ早坂くんと私が結ばれるまではいるつもりだけど」
「永遠に居る気か……?勘弁してくれ」
「それどういう意味!?」
「そのままの意味。君、距離が縮まったとかなんだとか言ったって、いまだに僕を挟まなきゃ会話だってできやしないじゃないか」
痛いところをつかれた相田は、うぐっとたじろぐ。
「それで早坂くんが君のことを好きとか、どういう根拠があって言えるのか、理解に苦しむね」
「………………顔」
「早坂くんの顔の好みは君みたいなタイプじゃないぞ」
「えっ!?」
相田が驚いて声を上げた。
「……えっ!?」
2回上げた。
水緒はちょっと待ってろ、と言い残して部屋を出ていくと、一冊の雑誌を持って帰ってきた。女性ファッション誌。千恵の部屋から取ってきたらしい。そして、その表紙を飾るショートヘアの女性を指し示し、
「こういうのが好みらしい」
「……水緒くんってお姉さんもいたんだ……」
「いないよ赤の他人だよ」
相田は、ええ……?と呟き、雑誌と水緒を何度も見比べて、
「く、クリソツ~」
「早坂くんが『こういう顔が好み』って言ったときの空気、ものすごくヤバイことになってた」
「いや、なるよそりゃ……。ていうか、いつそんなこと言ってたの!?早く言ってよ!なんならその場に呼んでよ!」
「体育前に教室でこれ読んでたら突然。別に呼んでもよかったけど痴女呼ばわりも免れないよ」
「それじゃしょうがないけど……。ていうかなんで水緒くんは当然のように女性ファッション誌を読んでるの?案の定女装癖があるの?」
「いや、それ真ん中のあたりに恋愛特集あったから」
確かに水緒の言う通り、表紙に『恋愛特集!真夏の思い出作っちゃお☆』と書かれている。ちなみに割と過激な内容だった。
相田は雑誌を枕もとに置くと、うおおおと唸りながらベッドを転がり始めた。人の部屋でやりたい放題である。借りてきた熊だってもう少し遠慮する。
「うわーショックー。早坂くんって可愛い系より綺麗系の方が好みだったんだー。三角関係発生しちゃうよー」
「僕は君たちの珍妙な恋愛関係にわざわざ巻き込まれる気はないけど、君のアドバンテージなんてうちの妹をけしかけたら一瞬で吹き飛ぶようなものなんだから、顔で慢心するのはやめてさっさと帰ってくれ」
「顔には……、顔には自信があったのに……!」
ぎりぎりと歯噛みしながら枕をつぶすように抱きかかえる相田。ベッドに自分以外の匂いがこびりついてしまって、いまいち安心して眠れないのが最近の水緒のひそかな悩みだった。
うおおお、とまた声を上げてベッドで暴れていた相田だが、突如ぴたり、と動きを止めた。
「待てよ……。年上のお姉さんに飼われてる早坂くんって、想像するだけで興奮するな……」
「おいやめろ、人の家で興奮するな、おい、帰ってくれ」
「文化祭でどうにかならないかな」
ひとしきり暴れて落ち着きを取り戻した相田が呟いた。
この呟きに対し、水緒が最初に思ったのは、こいつまだ居座るつもりか、で、次に思ったのが、来月の文化祭の頃はもうこの小説も出来上がってるはずだし、こいつもう僕の手伝いとかさらさら関係ないつもりか、だった。
「いいんじゃないか」
「だよねだよね、文化祭マジックとか言うもんね」
「ああ。文化祭の季節は高校生の発情期ってやつだろ。いいんじゃないか」
「言い方!」
「いいんじゃないか」
「聞いてよ!」
そもそもこいつと僕とはどういう関係なのだろう、と水緒は考えた。こいつから全く恩恵を授かってないし、一方自分からは恩恵を吸い上げられているし、寄生されているような気がする。
「まあできるだけ一緒になれるようには調整してやるよ」
「いや~さすが水緒くん!優しい!よっ、モテ男!」
「やっぱやめた」
「うそうそうそうそ。嘘だからお願いします」
ただまあ、基本的に上下関係は逆転したので、そこまで悪い気はしない。
「よっ、モテ女!」
やっぱ嘘。
「できたー!」
水緒は天高く原稿用紙を掲げていた。珍しく満面の笑みだった。とうとう完成したのだ。恋愛小説が。
原稿用紙にして約40枚。思ったよりも長くなってしまった。
「千恵ー。できたから読んで」
「ん」
水緒は話が出来上がると、まず最初に千恵に読ませる。小説を書きはじめたころから続く習慣で、いまだに千恵も文句を言わずに読んでくれる。
棒アイスを咥えた千恵は、何も言わずに原稿に目を通す。その横では、そわそわしながら水緒が感想を待っている。
読み始めて30分、千恵が原稿から顔を上げた。
「いいじゃん」
その一言が、何よりうれしい。
「頑張った甲斐があった……!」
「あたしこれが今までで一番好きかも」
この妹は褒め殺す気なのかな、と水緒はにやにやしながら思った。千恵はその顔を見て、「キモイなあ」と穏やかに笑った。それから少し声を潜めて、
「あのさ」
「なんだ」
「やっぱりあの人彼女なの?」
途端にブラックコーヒーを啜った猫みたいな顔になった水緒を見て、千恵は「ごめん」と素直に謝った。
文化祭当日。
渾身の恋愛小説は部誌として製本され、文化祭準備を通して相田は早坂と一対一でも会話できるようになり、初期構想がバカみたいに壮大になってしまってかなりの困難が予想されたクラス出し物のお化け屋敷も綺麗に出来上がった。
順風満帆だった。
そして今日、水緒は相田と早坂と3人で文化祭をまわることになっていた。水緒は執筆終了後は積極的に文化祭準備の中心近くで働くことで、このシフト調整を成し遂げた。2日目と3日目はほとんど水緒はフル稼働になる、涙ぐましい働きであった。自分でもなぜここまでして相田に協力しているのかよくわからなかったが、乗りかかった泥船という心境で頑張った。
3人でまわるのは楽しかった。
思いのほか早坂とは気が合ったし、猫を被ろうとして被りきれていない相田は、見てるだけで相当笑えた。自分ひとりだったら絶対入らないようなスポーツ系アトラクションも、フォローしてもらいながら楽しく遊べたし、謎解きアトラクションなんかで頼りにされるのもうれしい。映画やプラネタリウムなんかも、ひとりでまわるよりはずっと面白かっただろう。
昼には、喫茶店の出し物をしているクラスで、べしょべしょの焼きそばを食べながら、水緒は文化祭の直前に先行して発行された部誌の最新号に載った、自分の恋愛小説の感想を聞いた。早坂は読んでいるだろうと思っていたが、意外なことに相田も読んでいた。
「新しいやつ、ほんと面白かったよ。でもやっぱり小説を書くのって大変なんだな。水緒くん、すごい資料読み込んでたみたいだし」
「だよね。てっきり私は水緒くんがとうとう女装癖に目覚めたのかと」
「まあ、普段はもっとすっと書けるんだけど。今回は大変だったなあ。早坂くんの協力がなくちゃ書けなかったよ」
「いやいや」
「あれ?私は?」
めっちゃ嬉しかった。
楽しい時間を過ごした。が、このあたりで離脱しなければならない。
「あ、お兄ちゃん」
協力者の登場である。
「あれ、千恵。友達と一緒じゃなかったのか」
非常に白々しいが、意外と小器用な水緒はこうした茶番を綺麗にこなす。
「はぐれて迷っちゃった」
「あらら。集合場所は決めてあるのか?」
「決めてるけどどう行ったらいいかわかんない」
「水緒くんの妹か?」
早坂の問いかけ。
「あ、うん。ちょっと友達のところまで送ってくるからふたりでまわってて」
早坂の一歩後ろに立っている相田は、マジか、と声に出さずに目を見開く。水緒も声に出さずに、マジだよ、と視線で語る。
「いや、それなら一緒に、」
「それはダメ」
水緒が人差し指でバッテンをつくると、早坂は不思議そうな顔をする。
「いくら好みの顔だからと言っても、妹は渡さないぞ」
「!?」
思わぬ攻撃を食らった早坂は固まる。千恵が、どういう意味?と問いかけ、それに水緒が、怪しいお兄さんについていっちゃいけないってことだよ、と答えると、さらに固まる。
その隙に、相田に、頑張れよ、と視線を投げると相田は力強く頷いた。
こうして、水緒は見事離脱を果たし、早坂と相田をふたりきりにすることに成功した。
「ねー、お兄ちゃん」
「ん?」
わざわざ、友達との待ち合わせ時間より30分早く高校に着いて、単身で校舎に入り込み作戦に協力してくれた千恵が、水緒の袖を引っ張る。
「なんか青春してんじゃん」
「あー……」
水緒は宙を見て考え込み、
「そうかもな」
と笑った。
それを見た千恵は、ちょっと悔しそうにして、腕を振り上げる。
「あーあ!あたしも早く高校生になりたーい!」
「あっという間だよ」
本当に、あっという間だ。
ただし、2日目と3日目の過酷なシフトはものすごく長く感じた。
11月15日、テスト前週間3日目。珍しく早起きしたのでいつもよりずっと早く自転車に乗って家を出たら、学校に到着した瞬間、冗談みたいな大雨が、揚げ物をしているときのような音を立てて降り始めて、この世の終わりみたいな雷の音が鳴り出した。
電車が止まった。
休校になった。
そして水緒は帰れなくなった。
「うわー、裏目だ……」
脱力した。こういうこともある。休校を伝えに教室を回っていた学年主任が、たったひとりで座っている水緒を見て「運がねえなあ」と笑った。社会人は運がどうとか関係なく出勤するんだから大変だと思った。
とりあえず家に電話をかけることにした。
『もっしもーし』
「あー千恵か。帰れなくなった」
『ばっかでー。あたしは今日はお休みでーす。いえい』
返す言葉もなかった。
「……夜までには止むらしいから、そのころ帰るわ。父さんと母さんにもそう言っといて」
『はいはーい。ま、いくら賢ぶってても所詮はあたしの兄ってことね』
そう言って、ガチャ、と唐突に電話が切られた。すでに捨て台詞をラーニングされていた。成長の早い妹だった。
この分では誰も教室に来るまい。今日はテスト勉強する気分でもないし、図書室で本でも読んでいようかと、椅子から腰を上げようとした瞬間。
ずぶ濡れの不審者が扉を開けて入場してきた。
相田由香里だった。
「うわっ」
「ヘイヘイ、水緒くん。それ失礼失礼」
思わず正直な反応が出た。ぽたぽた髪から水滴が落ちているので、水緒はバッグからスポーツタオルを取り出し、相田に投げ渡した。
「おっ、サンキュー。なんで文芸部がこの季節にスポーツタオル持ってんの?」
「君たちが僕の顔に飲み物噴きかけてくるから」
「……すみません」
髪をタオルでわしゃわしゃ拭きながら、相田は「あれ?ほかの人たちは?」と尋ねる。
「今日休校だけど」
「えっ、じゃあなんで水緒くんはいるの」
「ミスった」
「端的~」
相田は座ろうとして、しかし思ったよりも服がびしょびしょに濡れていることに気付いて躊躇した。ブレザーもスカートも変色している。水緒が見かねて、
「ジャージなら置きっぱだけど、貸そうか」
「えっほんと?すごい助かる」
「んじゃはい」
そう言って水緒は教室後方のロッカーからジャージを取り出して渡す。そのまま教室のドアへ。
「誰も来ないとは思うけど、一応外で廊下見張ってるから、着替え終わったら言って」
「紳士~」
「いいから早く着替えろ」
廊下で待機して10分弱。中から「いーよー」と声がかかり、再び水緒は教室に入った。
「寒いからストーブ点けちゃった」
言う通り、教室前方のストーブが点いている。そこから距離を置いた教壇の上には靴下やら制服やら。効果的には見えなかった。効果的だとすぐ乾いて燃えて大惨事になりそうだから仕方ないのだが。
「いやー助かったよ。でも意外。水緒くんって体操着毎回持ち帰るタイプかと思ってた」
「長距離は2回に1回はサボるから。この間はサボった」
「そういうことやるから……」
「助けられて文句を言うな」
「はーい」
さて、どうするか、と水緒は考えた。先ほどまでは図書室で読書でもしようと思っていたが、ストーブを点けてしまったら相田は教室から離れられないだろうし、ひとりで置いていくのも忍びない。気分じゃなかったが、テスト勉強でもするとしようか。幸い授業に使う分の教科書と参考書は持ってきているわけだし。と、ここまで考えて。
「……ん?」
「どしたの?」
「いや、今何か思考がおかしかったような……」
なにかもやもやする。もやもやするが、しかし何が原因かわからないし、もやもやすることを考えていると余計にもやもやする。切り替えることにした。
「まあいいや。勉強しよ」
「あ、教えて教えて」
「……君、結構成績いいんじゃなかったっけ」
「英語がね……。英語さえなければね……へへ」
相田の要望に応えて英語から勉強することになった。
「高2にもなってくにふぇってなんだよ……。さては君相当の馬鹿だな。最初から知ってたけど」
「違う……!あんまりナイフって見ない単語だから……!それに英語以外はちゃんとできるから……!」
「haved……?正気か?」
「ち、違う。今のは無意識だからノーカン!」
「このページの解答全部動詞の人称変化してないけど」
「……あ」
相当苦労した。
こいつどうやってこの高校入ったんだろうと思った。英語以外満点だったんだろうか。
チャイムが鳴った。休校日でもチャイムは鳴るらしい。
「疲れた。休憩」
「私も疲れた……」
ちらりとストーブの前に置かれた、相田の制服に目をやる。
「それ、少しくらいは、」
窓が割れそうなくらいの雷鳴が響いた。
そしてぷつっと教室の電気が消えた。
「うわっ」
咄嗟にストーブを確認したが、電池式だったために、停止していなかった。
「び、びっくりしたー」
「心臓が止まるかと思った」
胸をなでおろす相田。水緒もバクバクと脈動する心臓に手を当てている。
電気がなくなって、一気に暗くなった。
午前10時だというのに、元々日当たりの悪い教室のなかは夜のように暗くなって、けれど、窓に叩きつけられる雨粒はくっきりと見えた。
こう暗いと何もできない。水緒はそのままストーブの前に屈みこんで、じっと火を見ていた。
「ね」
すると相田が、水緒の横に来て、同じように屈み込んだ。
「なんだ」
「文化祭、ありがとね」
「別にいいよ、楽しかったし」
窓の外よりも教室のなかの方が暗い。外で光る雷は見えても、相田の顔はストーブの火に照らされてぼんやりとしか見えなかったし、なんとなく、水緒はストーブから目線を逸らさなかった。
「今度ね」
「うん」
「告白しようと思って」
「そうか」
ちらちらと火が揺れる。ここにいると喉が渇く。この大雨で自販機まで飲み物を買いに行けるだろうか。それとも校内にひとつくらいあったっけ。
「ありがとね。手伝ってくれて」
「いいよ、楽しかったし」
「うん……」
視界の端で、相田が俯くのが見えた。髪がまだ濡れている。風邪を引きそうだ。
「最後にさ。もうひと押ししてくれない?」
「内容次第」
沈黙。
雨は雄弁で、相田は珍しく、とても静かだった。
「……励まして」
「うん?」
「私なら成功するよって、励まして」
停電はまだ直らない。この学校のブレーカーはどこに置いてあるんだろう。それともどこかの電線が切れてしまったのだろうか。
「馬鹿で性格悪くてすぐに手が出て、自慢の顔も早坂くんの好みじゃないけど、絶対上手くいくよって、励まして」
「……」
あの恋愛小説は、良い出来だった。
「……君は馬鹿だし、」
「強引で図々しいし、」
「人の話は聞かないし、」
「すぐ手が出るし、」
「変なことばっかり言うし、」
「挙動不審で猫を被るのがめちゃくちゃ下手だし、」
「その自慢の顔とかいうのも早坂くんの好みじゃないし、すぐに変な表情するから台無しだけど、」
「上手くいくよ。だって、可愛いから」
停電が、終わった。
水緒は立ち上がる。
「よし!勉強しよう!」
そして先ほどまで使っていた机に向かって行って、
「今から勉強すれば、欠点から『馬鹿』の部分くらいは取れるかもしれない」
と言って笑った。
濡れた前髪で目元の見えない相田は、ジャージの袖で顔をぬぐうと立ち上がって、
「馬鹿じゃないから!」
と。
人のジャージで、遠慮ないやつだな、と思った。
後日。
教室の前を歩いていたら、窓の外、見下ろすと、必死の形相の相田と早坂を見かけた。
おいおいそんなところで告白するのかよ、とか、もう少し柔らかい顔はできないのか、とかちょっと呆れながら見ていたら、相田がもごもごと顔を真っ赤にして何事かを呟き、早坂がそれに爽やかな顔で頷いた。
そして、相田が歓喜の表情で早坂の胸に飛び込んでいくのを見て、なんだかとても安心した気持ちになった。
ふと思い立って、メモ帳を出した。恋愛小説を書くときに使っていたやつ。次にこうしたものを書くとき、良い資料になるかもしれない。
そう考えて、ペン先を紙面に当てたが、何も浮かばない。まるで2ヶ月ちょっと前、あの恋愛小説を書きはじめた頃のように。
もやもやしながらメモ帳をじっとにらんでいると、ぽとっ、と小さく水滴が落ちた。頬を伝って。
驚いてメモ帳から顔を離した。少し冷静になってページを遡っていくと、そこではじめてその水滴の理由がわかった。
「なるほどなあ」
「わからないもんだ」