行く宛無き非情の感情
俺はいつから、自分をこんなに嫌いになったのだろうか。
最近ふと、こんなことを思うようになった。
現状に酔いしれているわけではない。率直な疑問だ。
一時の感情に身を任せた自分にか。
はたまた、彼女を想った代償か。
どちらにしてもあまりいい状態ではないし、俺はこの思いを断ち切りたかった。
断ち切りって、堂々と彼女に話しかけたかった。
どういった経緯で現状があるとしても。
俺が彼女に抱いたものは、たとえ誰かになんと言われようと、ましてや彼女からの拒絶があろうとも、決して嘘偽りのない本物だったのだから。
* * *
『胃ガンですね。もって、二から三ヶ月でしょう』
何日か前の出来事だ。
医者は、コンビニで雑誌を買うような気軽さで俺にそう告げた。
その声音とは裏腹に、心をズンと圧迫する言葉。
今思えば、体に異常はあった。
同僚から急に老けたなと言われることはしょっちゅうだったし、腹痛で仕事を休んだことも少なくない。
結局、健康診断で引っ掛かってこの始末だ。
だが別に、死にたくないとすがるようなことはしない。むしろ、死にたい。
どうにもできない感情と一緒に、綺麗なままで逝ってしまいたい。
生きていたら、どうしても伸ばしてしまう手。しかし決して届くことはない。
それならばいっそ。
そう決断し、割り切ってしまった方が楽だ。俺から切ってしまった方がいい。
何故ならば向こうは俺の心のうちを知らないし、まだ親友だと思っているのだから。
はは・・・・・・・・・・・・なんて虚しい奴だよ、俺。
病室から眺める雪は、窓を挟んでいるのにも関わらず寒く感じた。
高校時代の俺には、男と女の親友が一人ずつ居た。
男の方は、古河政人。
その時の俺と唯一気が合う奴で、いつも一緒にいた。
女の方は、三嶋智恵。
政人と俺にいつも着いてくる物好きな奴だった。
そして俺は、政人のことは友人として、智恵のことは異性として好きだった。
何回も出掛けた。バカをした。一緒に泣いて、笑った。そんな幸せな一年が終わり、二年に進級したその夏。
俺は智恵に告白する決心をした。
前々から俺の想いを見抜いていた政人は、「俺が放課後、呼び出しといてやるよ」そう切り出してきた。
政人の気遣いが、嬉しかった。振られても、きっと一緒にバカをしてくれる。
そう思っていた。
そして俺は約束の時間に、体育館裏へ行った。
だがそこには、俺には知らされていない状況が広がっていた。
なんで、智恵と政人が、キスしてるんだ?
分からなかった。
政人は、俺の為に智恵を呼んでくれたんじゃないのか?
俺は政人の言葉を信じていたのに。
政人は、俺を踏みにじったのだ。
俺が来ると分かっていて、ちょうどその時に智恵に告白し、俺の目の前でキスをした。
俺はその日、ものが喉を通らなかった。
それがあってから、俺は政人を避けた。
智恵に昼飯を誘われても断った。
智恵はそんな俺を見て心配してくれたけれど、俺にはそれが苦痛でしかなかった。
だって当たり前だ。
その昼飯には、政人も一緒なんだから。
智恵とは出掛けることも無くなって、結局三年になっても、俺は智恵と出掛けることはできなかった。
それから、智恵と政人は同じ大学へ行った。
智恵は俺とも同じにしたかったらしいけれど、俺はそれを拒絶した。
それから俺たちは社会人になり、二年と少しが過ぎた頃。
俺の家のポストに、一通の手紙が入れられた。
それは、『智恵と政人が結婚するので、式に出ろ』そういう内容だった。
正直政人の顔なんて見たくもなかったし、第一俺は素直に祝える訳がない。
俺が行っても、空気を悪くするだけだ。そう思い、行こうとはしなかった。
が、その日の夜、智恵から電話が来た。
『功ちゃん』
最初の一言は、聞きなれた俺の名。
それだけで、俺は胸が張り裂けるような思いだった。
『功ちゃん、久しぶり。手紙届いたかな? 私たち、あれからも付き合ってて、ついに結婚することになったんだよ! 功ちゃんの顔も見たいし、来てよ!』
こんなことを言われたら、行くしかないじゃないか。
式に行くと、高校時代の奴がちらほらといた。が、俺から話しかけることはしなかった。
そして、俺は途中でトイレに駆け込んだ。
政人と智恵を見た瞬間、酷い吐き気と頭痛が襲ったのだ。
係りの人に一言言い、俺は式場を後にした。
それからまた一年が過ぎ、智恵に子供が産まれたと伝わってきた。
俺は、もう死ぬような思いだった。
政人に、殺意の念すら沸いた。
そんなこんなで俺は、ストレスが溜まり過ぎたらしい。
結果が、寿命二ヶ月。
本当に笑える。
初恋の相手が忘れられなくて、それが死因に繋がるなんて。
なんて虚しい奴なんだよ。
ちくしょう。
ちくしょうちくしょう。
俺は悔しくて苦しくて、もう死んでしまいたい。
何週間かが過ぎ、毎日一人の病室に、会いたくなかった相手が来た。
「巧ちゃんっ!」
「・・・・・・智恵か」
俺の様子を見て、悲しそうな表情を浮かべながら走りよってきた。
「おばさんから教えて貰った」
なんて余計なことを。
「・・・なんで、言ってくれなかったの!?」
智恵は頬に涙を伝わせながら叫んだ。
俺は、そんな智恵が泣き止むまで、一言も言葉を発しなかった。
落ち着くと智恵は、俺の現状の確認と、それから政人との話をし始めた。
「ーーーーでね! 政人ったら、なんて言ったと思う?」
俺を励まそうとしてくれているのか。
智恵の意思は伝わってきた。けれども俺は、まったく嬉しく無かった。
「・・・・・・功ちゃん、顔色悪いよ? 大丈夫?」
くそ。
くそが。
ちくしょう。
何も言えなかった。
心の中でさけんだ。
そして、智恵が帰る頃。
「功ちゃん、また来るね」
笑ってそう言った智恵に俺はこう言わざるを得なかった。
「いや・・・・・・もう来んな」
「え?」
智恵は意外だったのだろう。
凍りついたように、その場から動かなくなった。
それなら、もう。言ってしまおうか。
「もう二度と来るんじゃねぇよ。電話もしてくんな」
智恵は、泣きそうになっている。
「・・・・・・どうして?」
「どうして? はは! そんなの」
決まってんだろ。
「お前が来てくれるのが、俺にとっての苦痛なんだよ。知ってるか智恵。俺、お前のことが好きなんだぜ?」
「・・・・・・っ!?」
「高校のころからだったな。そんときから、ずっとずっと好きで、忘れられなかったんだよ。アホだろ?」
はははっ。ついに言ってしまった。
「あんときはさ、もう死のうかとも思ったよ。俺が告白しようって決意したとたん、俺の気持ちを知っていた政人が智恵に告白したんだもんなぁ。しかも、俺を騙して」
智恵の顔は、もうグシャグシャになっていた。
「お前らの結婚式で俺、お前ら見たとたん吐いたんだぜ? いきなり体長が悪くなって」
これでいい。
俺の思いを全て吐き出す。
「・・・・・・もう、来んじゃねえぞ。俺にもお前にも、これからは苦痛にしかならないことだ」
俺は、その日から体長を崩した。
それからまた二週間ほどたった頃。
「・・・・・・巧」
今度はコイツかよ。そう思った。
政人が前にいる。
俺はそれだけで、沸々と怒りが沸いてきた。
「最近、智恵が塞ぎ混んでるんだ。無理矢理事情を聞いた」
はっ。それで来たのか。
「お前、智恵は何も悪くないはずだろ? なんで泣かせた」
政人は俺の胸ぐらを掴んだ。
なんだコイツ。なんでお前が怒ってんだよ。
「・・・お前、よく俺の前に顔出せたな」
「・・・・・・」
「なにが泣かせただよ。俺の方が泣きたいにきまってんだろ。今更になって俺のとこ来やがって!」
会いたくなかったなぁ。
「なんだ? 死ぬって聞いたら急に恋しくなったのか? 同情でもして、仲直りできたらってかんがえてたのか? バカじゃねぇのかてめぇ」
こんなになるなら、会わなきゃよかったなぁ。
「智恵には俺から言ったよ。俺とお前のことはな。当たり前だろ? 俺が不幸になってお前が幸せになるなんて、考えただけで死にそうだぜ」
どうせもうすぐ死ぬんだけどな。
「俺の死因を聞かせてやろうか? ストレスによる胃ガンだよ! てめぇらのせいで溜まったストレスだ!」
政人の顔が歪む。
「・・・・・・すまん」
「あ? 謝ってんじゃねぇよ。どうせもう手遅れだ。もう一ヶ月もしないで死ぬんだよ」
そしてもう一度、俺は言うのだ。
「もう来んじゃねえぞ」
お前の顔なんて、見たくないんだよ。
そう吐き捨てて、俺は寝返りをうった。
程なくして、ガララとドアが開く音がした。政人が帰ったのだろう。
そうしたら安心したのだろうか。
全身の力が抜けた。
そして、喉から咽び上がってくるものがあった。
「がはぁ!!」
かけていたシーツが紅く染まった。
俺は、吐血した。
俺は最後の力を振り絞って、ベッドから起き上がる。
そして、一歩、また一歩と、ゆっくりながらもしっかりと前に向かった。
屋上に出ると、結構な風が吹いていた。
端まで行き、これまでのことを思い返す。
考えると、短くて、ろくでもない人生だった。
また笑ってしまった。
本当に。なんてバカなんだよ俺は。
智恵に対する想いは本物だった。
確かに最初は死ぬほど辛かったけれど、そんな感情はとっくに浄化したはずだろ。
智恵には、幸せになってもらいたかったじゃないか。
政人にだって、もっとかけてやる言葉はあったはずだ。
確かに酷いことをされたし、それを許す気もないけれど、それでもきちんと話せたと思う。
結局俺は、他人を巻き込んで死ぬだけの存在だった。
なんて非情な人間だと、自分でも思う。
せめて。
言葉では伝えられなかった思いを残しておこうと思い、自身の病室には遺書を置いてきた。
さて。もう逝こうかな。
心の傷は消えないし、後味も悪くしてしまった。
それでも、最後には涙が出てくるものなのか。もう自分のは枯れたかと思っていた。
どうか、俺の感情が浄化して、跡形もなく消えますように。
友に傷付けられ、そして傷付けたこの身に。
どうか迷うことなく、死ねますように。
最後の願いを口にして、俺は宙を舞った。
知り合いに、最近失恋した人がいるんです。
その話を聞いてたらなんか、書きたくなってしまいました。