転調
「ただいま」
夜も遅くに、クランドは帰宅した。
あんなことがあった後にも、欠かさずピアノの練習をするクランドは、真面目を通り越して病的であるのかもしれない。
「あら、お帰りなさい」
廊下の奥。リビングに繋がる扉から、クランドの母が顔を覗かせる。
「ごはんできてるわ。着替えたら食べに来なさい」
「はい」
母に返事をすると、クランドは自室に向かった。
そして着替えてリビングに行けば、そこには珍しく父ドウゲンの姿があった。茶碗を片手に、黙々と煮魚に箸を伸ばしている。
「ただいま」
「おかえり」
短い挨拶をすませると、クランドはドウゲンの対面に座り手を合わせる。
そしてしばらくは、二人して黙々と食事をしていたが、不意にドウゲンが茶を飲むと口を開いた。
「三科キョウカが自白した」
「……そうですか」
何の感慨も無いかのように、クランドは静かに返した。
実際クランドにはキョウカに思うところはない。ヒメを巻き込んだのは許せないが、逆に言えばそれだけだ。
もしもヒメが巻き込まれていなければ、クランドが事件に首を突っ込むことも無かっただろう。
「犯行については認めたが、動機については黙秘を続けている」
「……恋人が高瀬ミサと浮気したそうです」
「……そうか」
アキから聞いた噂話を伝えれば、ドウゲンは何やら考えた後に納得した様子を見せた。
クランド自身は、浮気で殺人未遂をやらかしたキョウカを理解できないし、する気もない。だが、もしも、自身に恋人が居て、浮気をされたらどうするだろうか。
そんな想像をして、クランドが恋人としてイメージしたのはヒメだった。
彼女が男に弄ばれたならば、クランドは相手を殺しはせずとも確実に追いつめるだろう。
なるほど、人の愛憎は度しがたい。そうクランドは一人納得する。
「あの子は恋人か?」
ドウゲンの問いに、クランドはヒメのことかとあたりをつけたが、どう答えたものかと悩む。
「恋人ではありません。友人です」
惹かれているのは確かだろう。見た目美人なわけでも、人に好かれる性格でもないが、彼女を見ていると放っておけない。
いつからそうだったかは分からないが、クランドはヒメを見ていると両手で抱き締めたくなる。宝物のようにかき抱き、誰にも触れないように独占したくなる。
これが恋ならば、随分歪んだものだとクランドは自嘲する。「あの母にしてこの子あり」だと。
「最近帰りが遅いようだが」
「ピアノの練習を。家で遅くに弾くと苦情が来るので」
「……そうか」
複雑そうな様子で頷くドウゲン。クランドがピアノを続けていることに、父親なりに思うところがあるのだろう。
「やはり大学は音楽大学を目指すのか?」
「はい。可能ならば」
「……そうか」
とても親子とは思えない会話に、クランドは内心で苦笑する。
ドウゲンの口数の少なさのせいもあるが、クランド自身にも原因はある。
お互いに気遣って、遠慮して、距離をとる。
母と暮らしていたときは、もっと自分を出していたと思う。母はピアノの指導こそ厳しかったが、普段は優しい人だった。
だというのに、実の父とはこの有り様。親子というのも難しいと、クランドは思う。
「……刑事に興味は無いか?」
不意に言われた言葉に、クランドは少し驚き、少し嬉しくなった。父は父なりに自分に期待しているのだろうと、安堵すらした。
「実力が足りなかった場合の選択肢としては考えています」
「……そうか」
相変わらず短いドウゲンの言葉は、どこか嬉しそうだった。