舞踏への勧誘
ヒメが襲われかけた翌日。
表面的には変わらない学園は、しかしどこか落ち着きがなかった。
原因の一つはクランドだ。いつもは昼休みも席から動かず、ただ静かに時間を過ごす彼が、頻繁に席を外し一部授業すらボイコットしている。
たまにかけている電話から漏れ聞こえる内容も「犯人」だの「まだ逃げない」だの物騒なものであり、アキなどは「やっぱり深海くんって高校生探偵でしょ!?」とつっこみを入れていた。
「人をフィクションの代名詞と一緒にするな」
「でも深海くん頭回るし。ピアノも弾けるし才能豊かだよねー……『名探偵ベートーベン』?」
「ベートーベンに喧嘩売ってるのか。確かにベートーベンを探偵役にした小説はあるが」
「あるんだ!? 何それ読みたい!」
「当時の時代背景を知らないとあまり面白くないぞ。サリエリとか言われても誰だか分からないだろう」
「……宣教師?」
「それはザビエルだ」
二人の漫才を、ヒメはただ黙って聞いていた。
三科キョウカが高瀬ミサを殴った犯人であるのは、ヒメを襲ったことからもほぼ確実だろう。だが警察でもないクランドは、キョウカが犯人であると確信していても何もできない。
できるとしたら警察に通報するくらいだが、それにしては電話の回数が多い。一体何をやらかすつもりなのかと、ヒメは心配し、アキは期待していた。
「ねえベートーベン」
「何だザビエル?」
「それ僕のあだ名!? ……まあいいや、ワトソンが欲しくない?」
「ベートーベンの相方ならチェルニーだと思うが、一枚噛みたいのか?」
「うん。あ、好奇心だけじゃなくて、純粋な狭義心からでね」
「好奇心は否定しないのか。で?」
「実はね……」
何やら内緒話を始めるクランドとアキ。
何をやらかすつもりなのかと、ヒメをはじめとしたクラスメートは不安になった。
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放課後。ヒメはクランドに伴われて音楽準備室……ではなく、何故か屋上に来ていた。
フェンスの向こうに見えるグラウンドでは、陸上部を初めとした運動部が練習をしており、活気に満ちた声をあげている。
「……それで、ふざけた手紙で私を呼び出したのはアンタ?」
そしてこの場には、ヒメとクランドの他にもう一人居た。言わずもがな、三科キョウカである。
キョウカは長いまつげのついた瞼を細めながら、苛ついた視線をクランドに向けている。
「呼び出したのは俺だが、ふざけた手紙?」
「これよこれ! どこの変質者だっつーの!?」
キョウカが叫びながら投げつけたのは、くしゃくしゃに丸められた紙だった。
クランドは胸元に飛んできたそれをキャッチすると、訝しげに眉をひそめながら紙を開く。
「……」
「!?」
そして中を見た瞬間、クランドの周囲の気温が下がった。
それを敏感に察知したヒメは、一体何が書かれているのかと手元を覗きこんだが、クランドはすぐさまくしゃりと紙を潰すと懐にしまいこんでしまう。
「……削ぐぞザビエル」
そしてボソリと物騒な事を言う。
ザビエルというのはアキのことなのかとか、削ぐって何をとか、残念ながらヒメにツッコミを入れるスキルは無かった。
「……手紙は置いておけ。呼び出したのが俺な時点で、話の内容は予想済みだろう」
「まあね。それで、私が犯人だって証拠でも見つけたの?」
そんなことがあるわけないと、キョウカは余裕を隠さず言った。
実際クランドが新たに証拠を手にいれているはずがない。
現場は警察によりあらかた調べられ、遺留品も回収された後なのだ。
素人のクランドが、警察が見逃すような証拠を発見できるはずがない。
だというのに――
「自信満々か。まあ石膏像から指紋が出なかったのは俺も驚いた。意外に気を付けてたな」
――クランドはあっさりと、警察しか知り得ないであろう情報を口にした。
「なっ……!? そ、それがどうしたの。そもそも私がどうやってミサの頭に石膏像を落とせるって?」
「俺も最初はそれを考えた。白山に石膏像は落とせないし、タイミング的に他の人間にも落とせない。だったら何らかの仕掛けで遠方から落としたか、自動で落ちるようにしたか」
「それで、仕掛けの後でも見つかった?」
見つかるわけがない。そう態度で示すキョウカに、しかしクランドは慌てず、むしろ余裕たっぷりに笑って見せた。
「見つかるわけがない。何せ石膏像は美術室から『落ちなかった』んだからな」
「っ!?」
クランドの言葉に。キョウカは今度こそ目に見えて狼狽した。
「まあ一度動きを整理するか。
まずおまえは美術室で、窓にあたかも石膏像を引きずったように見える細工を施し、石膏像を持ち出した。元々美術部員は真面目に活動してなかったから、普段から人は居なかったらしいな。
だがおまえにとって予想外だったのは、その日に限って美術部が完全に休みだったこと。そのせいで美術室には鍵がかけられ、石膏像落下の細工が不自然になってしまった」
そこまで言うとクランドは言葉を切り、人差し指を立てて見せる。
「ついでに、白山が美術室に入ったとき、窓が一つだけ開いてたらしい。それは戸締まりをした美術部員がある理由で窓を閉められず、後回しにした末にうっかり忘れたからだそうだ。
理由はもちろん、窓際に残っていた削れた石膏の粉末。この証言のおかげで、高瀬ミサに石膏像が落下した可能性はほぼ排除された」
クランドの説明を、キョウカは表面的には冷静に聞いている。
「そして人気のない校舎裏で、高瀬ミサの頭を石膏像で殴打。後は自分が第一発見者になり、石膏像が落ちてきたことにすれば、おまえのアリバイが成立するはずだった」
だがクランドが説明したように、偶然が重なり目論見は崩れた。むしろ細工のせいでキョウカへの疑いが強くなっただろう。
しかしそこまで追い詰められても、キョウカは表面的な余裕を崩さなかった。
「証拠は? 今のはアンタの想像でしょ。私以外の誰かがやった可能性も……」
「家庭科室裏のダストボックス」
「っ!?」
唐突なクランドの言葉に、キョウカは明らかに狼狽えた。
「証拠を捨てるなら、もっと確実な所で処分すべきだったな」
そしてクランドは、キョウカから死角になっていた入り口のドアの影から、折り畳まれた黒い鞄を取り出す。
「ごみ袋に押し込まれて捨ててあるのを見つけた。警察も今回の事件には力を入れてなかったみたいでな、もう少し遅かったら業者に回収されてた」
つまりは消失するはずだった証拠をクランドが拾ってきたということ。
余計なことをと言わんばかりに、キョウカの視線が鋭いものへと変わっていく。
「中から石膏の粉末が見つかった。この鞄で石膏像を運んだのは間違いないな」
「……だから、それが私がやったとはかぎらないじゃん」
淡々と説明を続けるクランドに、キョウカはあくまでも自分ではないと白を切る。
「……髪の毛というのは、女性でも一日に百本は抜けるらしいな」
「は?」
いきなりのクランドの言葉に、キョウカは間の抜けた声をあげる。
しかしすぐにその意味に気付いたのか、焦りとともに目を見開く。
「まさか……」
「鞄の中から髪の毛が発見された。分析はまだだが、まあおまえのだろうな」
「っ……騙されないわよ! 大体、アンタが何でそんなこと知ってんの!?」
苦し紛れの言葉は、しかし正論でもあった。
事件の操作状況など、身内にも明かしてはならない機密のはずだ。一学生に過ぎないクランドが、知っていて良いものではない。
「どうせ自白狙いのブラフでしょ。残念だけど私は犯人じゃないから……」
「残念ながら――」
キョウカの言葉に、クランドのものではない男の声が重なった。
「――ブラフではない」
いつの間に現れたのか、屋上の入り口に二人の男が居た。
一人は藍色のスーツを着こみ眼鏡をかけた冷たい雰囲気の若い男。
そしてもう一人は、深い茶色のスーツに身を包んだ、どこか威圧感すら感じさせる初老の男だ。
突然の乱入者に呆然とするキョウカとヒメ。しかしそんな二人を尻目に、クランドは綺麗な動作でおじぎをすると、怯む様子もなく二人の男に話しかけた。
「出ましたか?」
「ええ。鞄から出た髪の毛と、あとはナイフに付着していた汗。汗の方は難しいと思いましたが、頑張ってくれたようです」
眼鏡をかけた男の言葉に、ヒメはハッとし、キョウカはまさかと思い目を見開く。
「私は刑事部捜査一課所属の警部補、二宮と申します。三科キョウカさん。高瀬ミサさん殺害未遂及び白山ヒメさん殺害未遂。二件について詳しく話をお聞きしたいので、ご同行をお願いします」
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「……というわけだ」
二宮刑事にキョウカが意外に大人しく連れていかれた後、クランドはヒメに向き直ると言った。
何が「というわけ」なのかヒメには分からなかったが、すぐに事件についてのことだと納得する。
クランドがわざわざヒメをこの場に居させたのは、自身が巻き込まれた事件の顛末をしらせるためだったのだろう。
ヒメが理解したのを見てとると、クランドは屋上に残っていた初老の男……恐らくは二宮警部補の上司であろう男に向き直った。
「……此度は、我儘を言って申しわけありませんでした」
突然の謝罪の意味に、ヒメはすぐにたどり着いた。
クランドは犯人を捕まえるのは警察の仕事であると言っていた。にも拘わらず、今回クランドはキョウカを追い詰めるために警察の領分を荒らしたのだ。
何らかの叱責、もしかしたら罰があるのだろうか。
ヒメは内心で恐々とする。しかしいかつい見た目の男は、ゆっくりと首を振った。
「警察の怠慢とも言えるずさんな捜査への協力と情報提供に感謝する。一課の長として礼を言う」
どうやらおとがめなし。むしろ感謝すらされていることにヒメはほっとする。クランドの纏う空気も、心なしか軽くなった気がする。
「しかしだ」
だが、そんなゆるんだ雰囲気を戒めるように、男の低い声が響いた。
「父親としては誉めてはやれない。……今後は危険な真似は控えなさい」
「……はい。すみませんでした」
クランドのが頭を下げたのを見て、男は屋上から出ていった。
残されたのはクランドとヒメだけ。しかしヒメは先程の男の言葉の意味を理解しきれず混乱していた。
「……父……親?」
「あれうちの親父」
「……へー」
刑事部の捜査一課長。警察という組織に詳しくないヒメでも、それがとても偉いという事くらいは分かる。
そんな人が父親であることに、ヒメは一連のクランドの行動を省みて、驚くよりも納得してしまうのだった。