熊蜂の飛行
何故かショウキ主催の演奏会に出席することになり、クランドは制服に一応アイロンをあてると、そのまま会場の市役所ホールへと向かった。
コンクールに何度も参加しているクランドは、当然制服でなくスーツも幾つか持っている。しかし今回はあくまで学生主催の演奏会。
故にそこまで気合いを入れなくても良いだろうと判断したのだが、それは間違いだった。
クランドはなめていた。七光りの本気というものを。
「こんばんは深海くん。せっかくの休日の夜を潰されるなんて、御愁傷様ね」
入り口で出会ったユウリは、白いワンピース風のドレスを纏っていた。
それ自体はおかしくない。ただユウリの、正確にはユウリ含む参加者の衣装のランクが、クランドの想像より幾つか上だっただけだ。
だからと言って、別に制服であることに問題はない。学生の制服は冠婚葬祭その他諸々で通じる万能衣装だ。
しかし今回クランドが来たのは、ピアノコンクールではなく演奏会。
学生の参加者は皆無。故に目立つ制服姿のクランド。
よく考えるべきだったと、クランドは今更ながらに後悔した。
「こんばんは深山先生。素敵なドレスですね」
「あら、素敵なのはドレスだけ?」
「先生はいつも素敵ですから」
「ありがとう。普段の貴方を知らなければ、お世辞だとは思わないんだけど」
「先生にはお世辞をいう意味もないでしょう」
「……それはどう受け止めれば良いのかしら。とりあえず喜んでおくわ」
しばし悩んだ後に花が咲くように笑うユウリ。
何となくそれから目をそらしながら、クランドは周囲を見つつ言う。
「宮藤さん主催の演奏会と聞いてたんですけど、何ですかこの参加者の気合いの入りっぷりは」
「見栄のはり合いかしらね。認めたくないけど。どんな世界にも派閥というのは存在するのよ」
認めたくないのは見栄か派閥か。ともかく、ユウリ自身も着飾ってはいるが、あまり乗り気ではないらしい。
「あ、来てくれたんだねクランドくん」
「チッ」
見つかりたくない奴に見つかった。そんな感じに舌打ちするユウリに、クランドは少しビビる。
「……本日はお招きいただきありがとうございます」
「いやいや、父さんの弟子なら僕の弟みたいなものだからね」
そう言いながら肩を叩いてくるショウキ。いつの間にか名前で呼んでいる事といいかなり馴れ馴れしいが、それを気にしている余裕はあまり無かった。
「……」
値踏みする視線、妬みをこめた視線、期待をこめた視線。
注目されるのは仕方ないが、ここまでくると流石に辟易とする。
「ははは、まあ今後ともよろしくってことさ。……色々あるだろうけど、父さんの弟子になるなら諦めな」
他には聞こえないように付け加えられた言葉に、クランドは思わず視線をあげていた。
そこにはそれまでの笑顔とは違う、神妙な顔付きのショウキ。しかしそれもすぐに笑顔に塗りつぶされ、そそくさと離れていってしまう。
「……深山先生?」
「……馬鹿息子演じてた方が楽なんですって」
半分は演技じゃなくて素でしょうけど。そう言ってユウリは肩をすくめた。
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そして始まった演奏会は、クランドの予想よりハイレベルなものだった。
いずれも学生だが、クランドもコンクールで名を聞いたことがある人間ばかり。
学生主催ではあるが、参加者はその学生の中でもプロになることが約束された者ばかり。
なるほど。七光りだけの人物ではないらしい。
「深山先生は何故参加しなかったんですか?」
「……」
クランドの質問に答えはなかった。
どうしたのかと隣の席に座るユウリを見ればそこには笑顔。しかしそれは、今まで以上に無理をしていると分かる笑みだった。
「ほら、私は今は声楽が専門だから。ピアノはあまり得意じゃないの」
「……そうですか」
ならば何故宮藤セイジにあれほど気に入られたのかと、クランドは聞けなかった。
『今は』ということは、昔は声楽よりもピアノに力を入れていたのかもしれない。そしてピアノから離れた理由は、先程の顔からして愉快に語られるものでは無いらしい。
無理に聞き出すこともない。そうクランドが考えていると、観客が騒ぎ始め、舞台の上に一人の男が立った。
「……宮藤ショウキ」
相変わらずの甘い笑みを浮かべ、優雅に礼をするショウキ。
そしてピアノの前に腰かけて、いよいよ始まった演奏は、観客たちを黙らせるには十分だった。
「……」
息を飲んだ。
細かく刻まれたピアノの音色は、跳び跳ね回るようにホールを行き交い、それが一つの楽器から発せられているのを忘れそうになる。
重ねられた旋律は波となり、空中で交差し混じりあう。まるでホールの中を生きた何かが飛び交っているかのように、ピアノの音色は生き生きと飛び回る。
――コルサコフ作曲『熊蜂の飛行』
元は歌劇のために作曲されたものだが、ピアノ用に編曲されたそれは難易度が高く、演奏者の技術がお粗末ならば騒音にしかならないような曲だ。
それをショウキは、一つのミスタッチもなく弾きこなしている。
「……」
ショウキを『七光り』と称したユウリを見れば、彼女はどこか寂しそうに演奏に聞き入っていた。
『七光り』と、蔑むようにユウリは言った。
『七光り』と、自嘲するようにショウキは言った。
もしかしたら、二人の間には他人が踏み込めないような何かがあったのかもしれない。
しかしクランドは、そういった事情に踏み込めるほど子供でも大人でも無かった。
「……凄いですね」
「……ええ」
クランドの素直な賛辞に、ユウリも迷うことなく同意した。




