09 交流
今更ではあるが、俺の名はルフ。幼名だ。諱はわからない。まだ教える必要が無いと判断されたのか、忘れていたのか。慣習として一般の農民にも諱が認められていて、出産時に諱を付けるのが一般的であるから諱が無いはずはないのだが、教えてもらっていない。過去の日本では諱は元服の際に付けるものだったらしいが、こちらの世界では幼名同様出産後まもなく付けるものなのだそうな。普段使うものでは無いから不便はないが、今後仕官するような事があれば必要になる。魔術寮に入寮する際は孤児だから諱がわからないと説明してなんとかなったが、作っておく必要があるかもしれない。
成人すれば幼名を捨て自分で字名を付ける……という風習が大昔にあったらしいが、今では廃れて幼名がそのまま字名になるのが一般的だ。親が付けた名を一生使うあたり現代日本に似ている。ルフという名は音も字面も気に入っている。つくづく良い親に当たったものだと思う。
「ルフ、ちょっと相談にのってくれ。こないだ言ってた強化魔法のことなんだが……」
「強化魔法って……あれは俺にも無理だよ、自分の体だけいじるならともかく魔法具化できそうもない」
「いや、いいアイデアが浮かんだんだ。実験もして悪くない結果が出た。ただ、元に戻らなくて……」
「実験って何で実験したんだ?」
「ゴンドラだよ、ホラ、俺の飼ってるクワガタムシ。今ノリックが虫相撲させて遊んでるからちょっと見に来てくれ」
「わかった、見せてくれ」
魔力回復が可能になってから俺の社交性は改善した。入寮当初はある程度周囲と交流を図っていたものの研究に打ち込むようになってからは疎遠になってしまい、研究が形になった頃ふと周りを見渡して、ようやく親しく話す人の一人もいない事に気付いたのだ。関係修復に動き出してしばらくはぎこちなさがあったものの、最近ではこうやって魔法の相談を受ける事が増えている。
今は互いに利用しあう程度の関係であるが、この方が気楽で良い。このままドライな付き合い方を続けたいと思う。俺は新しい魔法糸と発想に触れる事ができ、彼らは的確な助言を行える助言者を得る事ができる。俺のサポートによって完成間際まで研究が進んだ新魔法が二つある。実績が評判を呼び、話をする相手が少なからず増えた。他人の魔法をざっと見ただけで理解できるというのは、やはり強い。
「ノリック、どうだ?」
「どうもこうもねえよ、せっかく捕まえてきたカブトムシに穴があいちまった」
「うわ、なんだこの金属光沢」
「すげえだろ、ハサミを金属でコーティングしてみたんだ」
呼ばれて行ってみれば、そこにはハサミを陽光に煌めかせる奇妙なクワガタムシが居た。気のせいか、重心が狂って動きにくそうに見える。ノリックの手には外皮に穴を開けられたカブトムシがいる。顎の力が強化されたわけでもないらしく、切断までは至らなかったらしい。
「とりあえず手遅れにならない内に治療しよう。傷が出来てからどのくらいたってる?」
「穴があいたのはついさっきだ、多分間に合う」
「わかった」
ちゃんと間に合ったらしく、カブトムシの治療は成功した。回復魔法の腕は錆びついていない。できれば回復魔法のタイムリミットも解除したいところだが、今使っている回復魔法の原理を考えると難しい。あらかじめ健康な時期の肉体情報を記録しておく必要がある。
「おお、治った治った。サンキュー」
「どういたしまして。で、これが強化魔法か?」
「そうそう。筋肉強化とか骨強化とかうまくいかなくてさー、外皮を金属に変えるとかならどうかと思ったんだ」
「人間にどうやって応用する気だ。人間は外骨格じゃないんだぞ?まともに動けなくなる」
「そこでお前に相談したんだ」
「考えてないのか……」
とりあえずクワガタを元に戻そう。それに、どうやって金属コーティングしたのかも知りたい。
「とりあえず魔法かけて見せてくれ」
「他にクワガタがいないよ」
「そっちのカブトムシでいい。コーティングする場所は変えられるんだろ?多分すぐに回復魔法をかければ治るだろうからツノを金属にしてみてくれ」
「わかった」
展開される魔法を観察する。見た事の無い魔法糸があったがどうもこれは無駄な糸のようだ。俺の知っている魔法糸だけで実現できそうな構成である。元は回復魔法だな、コレ。まあ体をいじるようなのは大抵回復魔法からの派生になるだろうが。カブトムシのツノの外皮が、手に持った金属に交換されている。コーティングじゃなくて材質変更じゃないか。どんな影響出るかわからんから人間になんて使えんぞコレ。
しかしどうやって交換を……げ、肉体情報を直に書き換えてやがる。魂情報からのデータコピーの際、ツノの外皮の部分だけ手に持った金属データをコピーするように変更している。これ外皮の構造まるまる無視して外皮部分に金属がみっちり詰まってるんじゃないか?そりゃ重心も崩れるわ。
「だいたいわかった。カブトムシは治せるが、お前のゴンドラはちょっと難しいな」
「そこをなんとか」
「まあやるだけやってみるよ。でもこれ人間に使うなよ、回復魔法のタイムリミット過ぎちまうと俺には治せない」
カブトムシはなんとか治ったが、クワガタのハサミを治すのには難儀した。他にクワガタムシを飼っていた寮生にハサミのデータをとらせてもらい、それを参考にする事でなんとか治せたが、クワガタを探すだけで休日が半日つぶれた。ゴンドラ自身のデータではなく他のクワガタからの移植であるから元通りにとはいかなかったが、まあ問題はないだろう。これ以上は俺には無理だ。本来のゴンドラ自身のデータが失われてしまっている。
「この魔法では強化魔法にはならんな。すぐに治さないと元に戻せないってのは致命的だろう。虫の外皮だからどうにかなったものの、人間だったら俺じゃどうにもならんぞ。それに、皮膚ひっぺがされて金箔貼り付けられるようなもんだから多分動かす度に激痛が……動かさなくてもショック死とかするかもしれん。なんにせよやめた方がいい」
「そうかあ、残念だなあ。あ、じゃあさ、馬の蹄を金属に変えるとかは?」
「……そう、だな。爪とかのすぐ生え変わるようなものなら先端だけを金属に変える分には問題ないと思う」
「よし、それで申請してみるよ!今日はありがとう、助かった!」
「魔法作りの役に立てなくてすまんな。治療だけでも力に成れたならよかったよ」
他人との交流は面倒も多いが、得る物も多い。俺からは出てこないような発想、新しい視点に触れる事が出来る。今日も収穫があった。行き詰って放置していた魔法がモノになるかもしれない。
あのあとすぐに書類を揃えて申請したらしいが、蹄を鉄に変える魔法は却下されたようだ。蹄の底数ミリ程をただ金属に変えただけではすぐに剥離してしまい使い物にならなかったらしい。鉄を用意しなければならない点は変わらないし、普通に蹄鉄を付けた方が面倒が無いとの理由で通らなかった。
ただ、加工の難しい金属でも任意の形に加工できるという点が評価され、そちらの方面で利用法が研究され始めている。牛の角を削って任意の形に整え、金属に入れ替える。後は角を切り落として回復魔法をかければ角も元に戻る、というわけだ。角を金属に変えてから時間を置き、回復魔法で元に戻せなくなってから角を落として金属片手に回復魔法を唱える、という手もある。対象は回復魔法の対象であれば良いので動物である必要は無い。動物の角や骨の他に樹木でも同様の事が出来る。これで同じ品質の金属製品を量産する事が出来る。
使用する材料そのままの材質のものが出来るから、前もって製錬した素材を準備する必要はあるが、それでも従来の方法に比べて燃料費も人件費も安くつくだろう。久々の応用範囲の広い新魔法で寮内は盛り上がっている。
魔力回復が可能になってからおよそ三ヶ月。俺の村が滅んでから一年が経とうとしている。一年前は俺がこんな生活をする事になるとは思いもしなかった。思えば遠くへ来たものだ。
ドリアナは不気味な沈黙を保っている。クリントとパーシムは同盟を維持しているものの、二国の国民は反目しあっている。フィカスは遠くのドリアナよりも隣国のペカネを脅威と捉え、スグリに書状を送っているとの噂がある。デマなのか、事実なのか。事実だとすると、フィカスとペカネの戦争もそう遠くないのかもしれない。
平和な時代は終わり、乱世に突入した。もうそれを疑う者は居ない。