05 劣勢
俺が魔法を使えるようになる。様々な物語でほぼ例外なく重要な役割を果たす切り札を、俺が手にする事ができるかもしれない。
思ったほどにはワクワクしなかった。状況がそれを許さなかったのだろう。心躍らせている場合ではない。事は生死に関わる。
習得できれば未来が拓ける。できねば野垂れ死にだ。戦闘が終了すれば回復魔法の観察はおいそれとできなくなるだろう。負傷から回復までにタイムリミットが設けられている以上、戦闘終了後ある程度以上の時間が経てば回復魔法を使う意味がなくなる。村が勝ったとしても魔法カードはおそらく貴重品であるから俺が自由に使ったり観察したりはできなくなるだろうし、敵軍が勝てば観察などしている余裕は無くなる。つまり、戦闘中になんとしてでも習得しなければならない。時間制限がある。気が焦ってワクワクするどころではない。
魔法を覚えれば未来が拓ける。あれだけの数の大人が居て、誰一人として魔法カード無しに魔法を使わないのだ。道具に頼らない魔法行使は特殊技能と見てまず間違いあるまい。
特殊技能があれば戦災孤児とて職にありつける可能性がある。どれほどの価値がある技能かは知らないが、人ができない事ができるというのは強みだ。こいつが居れば便利だな、できれば手放したくないな、そう思わせられれば勝ちだ。それで飯ぐらいはなんとかなる。貴重な道具を持ち歩く必要も保管場所に取りに行く必要もなく、負傷者がでればすぐに回復してくれる。こいつは便利だ、冷たくあしらわれる事はあるまい。
是が非でも、ここで覚えねばならない。
複雑な図形だ。だが暗記だけならなんとかならない事も無い。なにしろ九歳児だ、頭は柔らかい。
構成要素は十数本の光る線。範囲は半径十センチにも満たない、というかサイズはこちらの気の持ちようで大きくも小さくもなるのではっきりわからない。こちらからは見えないはずの部分までわかるのだ。裏側から見るとどうなっているかも頭に浮かぶ。やはり目で見ているわけでは無いのだろう。細部まで確認できる状態で自分の目の前に展開したとしたなら、およそ半径十センチ程になる、といったところか。
平面で単色であれば暗記も容易だろうが、あいにくと立体で色彩豊かである。半径十センチの立体図形を頭に入れるだけでもなかなか困難であるのに、線一本一本の色と光度を覚える必要がある。戦闘終了までねばれば、まあなんとか。あまり余裕は無い。
余裕がないというのに、細部に意識を集中すると何かしらの情報が自然と頭に浮かぶ。この線はこんな感じの意味を持っているのではないかといった、薄ぼんやりとした予感のようなもの。
これが魔法光を感じ取れるようになった時と同じように何らかの能力によるものであれば良いが、正直自信がない。無闇矢鱈に推論をたてる俺の習性が無意識の内に発揮された結果であるとか、魔法などという非日常的な力に浮かされて自分には線の意味を見抜く特殊な力があると思い込んでしまっているとか、そういった可能性もある。間違った知識を頭に刷り込む為に時間を空費してしまっては目もあてられない。こんな事を考えている間にも時間は過ぎていく。治療を終えてしまったようだから観察対象を変えねばならない。気が焦って仕方がない。
順番にいこう。まずは丸暗記だ。時間に余裕があれば意味の理解に移ろう。形状・色・光度が今一番確かな情報だ。これを覚えて損はあるまい。不確かな情報を後回しにすべきだ。
村人が意外とねばったが、時間稼ぎはできても敵兵に充分な被害を与えられていない。回復魔法カードの所持数も装備の性能も戦力に数えられる人員の数も全て劣っている。石垣を越えようとしては突き落とされたり柵を壊そうとしては石で腕を吹き飛ばされたりと、突っ込んでは一方的に撃退されている敵兵よりも村側の損耗が激しい。矢の雨が効いている。こちらの世界の人間の身体能力の前には少々の高低差は弓矢の障害にならない。遮蔽物も木の板程度では役に立たない。対して村人側の攻撃は、高所からの攻撃であるから投石程度で弓矢に対抗できてはいるものの、致命的部位以外への攻撃が殆ど回復されてしまって意味がない。徒労感が酷い。士気もかなり落ちているだろう。
時間稼ぎという敵軍にとって非常に都合の悪い戦法をとり、敵の意識を引き付ける役割は充分に果たしている。敵兵も焦りが見える。弓矢にやられて手薄になっているように見せかける、などという非常にわかりやすい罠に突っ込んで頭を吹き飛ばされている兵士がそこかしこで見られる。今後背から奇襲を受ければまともな対応などできないだろう。後方への警戒が非常に薄くなっているように見える。
どうにか暗記が終わった。次は意味の暗記だ、と言いたいところだが、図形を記憶する過程で覚えてしまった。形状・色・光度が同じ線は皆同じ意味を持っていたから、意味毎にパーツ分けをしてそれを頭の中で立体に組み立てるという形で覚えた。その方が俺の記憶法にあっていたのだ。
手が空いた。魔法の実験はしない方がいいだろう。光れば見つかる。見つからないように移動して試すにしても、魔法の出し方が解らない。試行錯誤しているうちに戦闘が終わってしまえば逃げるタイミングを失う恐れがある。しばらくは戦闘を観察だ。
自国の軍の奇襲だ。が、混乱が思ったより大きくない。すぐに立て直されてしまう。指揮官が優秀なのか、兵卒個人個人が優秀なのか、看破されていたのか。なんにせよ、失敗したといっていい。魔法回数に制限がなければ、の話ではあるが。
魔法回数に制限が無いと仮定すれば自国の軍の作戦は村人をいたずらに消耗させただけに終わった。完全に失敗だ。村人側に戦闘不能者が多数出ているのに対し、敵軍は回復魔法によって充分な戦力を維持している。混乱もすぐに立て直し、大した被害はなかった。戦闘開始直後に挟撃した方がまだまともに戦えただろう。
魔法回数に制限があるなら回復魔法を乱用させたという点である程度戦力を削ぐ事に成功したとはいえる。時間稼ぎもそこそこ出来たし、まあ悪くない成果だ。捨石としては、であるが。
自国の軍の兵数は敵軍の半数以下。三分の一ぐらいだろうか。装備の質も見てわかる範囲では同程度に見える。練度の差でどうにか出来るものではない。攻撃魔法カードでも出してこなければ勝機はあるまい。
悪い予想が的中したと見える。なんらかの理由で、この村に割ける兵の数はあの程度しかいないらしい。と、なれば攻撃魔法なども期待できない。
時間稼ぎという目標は達成したものの壊滅的打撃を受ける。これが、この村での戦闘結果だ。決着は着いたと見ていいだろう。
逃げよう。生計を立てる目処もついた。これ以上ここに留まる理由が無い。村人を見捨てる形になるのは心が咎めるが、仮に回復魔法が使えるようになっているとしても俺が参戦しても焼け石に水だ。死体が少々増えるだけで何の影響もない。無駄死にになる。
それに、この村にはあまり良い思い出もない。無口でおとなしい子供を装っていた俺にも責はあるが、つまらない思いをさせられた事もある。親類縁者も親しい者も居ない村だ。命を投げ出すような義理はない。
星座を頼りに方角を確かめながら、山の中を大きく迂回して村の出口を目指した。街道沿いの山中を隠れながら進むつもりだが、果たしてうまくいくものかどうか。捕えられなければいいが。