17 前世
小世界を作って何をしたかったのか。
特に何も、というのが答えだ。明確な目的があったわけではない。小世界創造魔法が完成に近づくにつれてあれもやりたいこれもやりたいと欲が出てきたが、作ろうと考えた時は、本当に何も。
魔法がある。魔法といえばなんでも出来る不思議パワーだ。なら、世界を作ったりなんて事も出来るかもしれない。作ってみたいなあ。その程度のぼんやりとした考えがあるばかりであった。
色々と考えた結果、前世の俺を生み出して、小世界に住まわせる事にした。
魂から記憶を引出し、前世の俺には少なからず心残りがあった事を知った。色々なしがらみに縛られて、望んだ生き方が出来なかったらしい。
誰にも煩わされる事無く自由な心で生きたかった。人目を気にせず野山を走り回りたかった。治安を気にせず夜に一人で散歩がしたかった。誰にも気兼ねせず、日がな一日川を眺めて居たかった。祖母の家での幼い頃のあの夏の日々を、また過ごしたいと願っていた。
田舎で暮らしたい。将来への不安も、生活にかかる金の心配も、全て解決して田舎で心穏やかに過ごしたい。性格の悪い人間の居ない、空想上の田舎で。
当然、その願いが叶えられる事無く前世の俺は死んだ。死の前後数時間の記憶は壊れていて復元できなかったらしいが、死因はおそらく失血死。それ以上の情報は得られなかったそうだ。
叶わなかった願いというものは、いつまでも、それこそ一生引き摺ってしまうもの。何らかの形で決着をつけなければならない。
前世の俺は、決着をつけ損ねた。前世の俺にとって、前世はまだ終わっていない。それが、俺がこの世界に馴染む事を阻害したのではないかと思っている。前世が終わらなかった。だから、新しい俺を始める事ができず、こちらの世界で家族を作る事が出来なかった。
いまさら、という思いはある。前世の俺は死んだ。何もできずに死んだ。それこそが結果だ。今になって掘り返す必要は無い。大部分の願いは今生で叶えたのだし、どうでも良い。
ただ、答のわからないなぞなぞのようにずっと心に引っかかっていた。前世の記憶を見てから、ずっと。
あの時ああしていれば自分はどうなっていたのだろう、あの時あれができるだけの力があれば、俺はどういった人生を送る事になったのだろう、と。
前世との決別の意味を込めて、その問いに決着をつける事にした。それで今の俺の何が変わるのかは、正直わからない。前世の俺と今生の俺は違う生き物だという意識はすでにある。
今生での家族を今更俺の家族だと認識できたとしても、何か変わるわけでもない。彼らを俺の都合で蘇生するわけにもいかない。そもそも、死後これ程時間が経ってしまっていては技術的に蘇生出来ない。既に転生している可能性もある。だから過去には戻れない。家族を愛する事が出来なかったという後悔を抱えて生きるのは、今までもこれからも変わりがない。
疑問を解消して得るものがあるのかどうかはわからないが、疑問を解消する手段は手元にある。その為の実験体は、俺の前世の模造体一人で事足りる。じゃあ、やってしまうか。特にせねばならない事があるわけでもなし。今生を狂わせた元凶の、その結末を見物しよう。
そういう理由で前世の俺の模造が決まった。
舞台となる模造日本と前世の俺の模造体の設定を詰め始めた。模造、とあるのは完全再現ができなかったからだ。俺達が取得する事ができた前世のデータは、前世の俺が見聞きした範囲のものに限られる。前世の体のデータは一部を除いて破棄されていた。肉体データは死亡後に空白データで上書きされたらしい。俺の魂核ゲートはちょっとした理由があって日本に繋がっていないから新規で情報を取得する事もできない。
であるから、生物の内部構造もわからない。骨格や内臓の配置もそれらの機能も知識としてはあるが、皮膚を切り開いて実物を見るような経験は前世の俺には無かった。医療を深く学んだ事も無く、体の仕組みについての詳しい知識はない。得られたデータを解析し組み合わせてある程度まで前世の実物に近い生物を作れるようにはなったものの、完全だといえる程のものではない。こちらの世界のデータを流用して隙間を埋めた部分がかなりある。それは全ての生物について言える。人間のみならず、魚、虫、動物、草木、海藻、なにもかもが不完全だ。
なので、開き直ってこちらの世界のデータをベースにそれらしく作った。不確かな記憶を元に一から作るより、よく似た生物のデータを拝借してそれを元に作った方が自然な仕上がりになる。せっかくだから魔力生成器官も残しとこう。前世の俺は魔法好きだったから多分喜ぶだろう。
動植物の模造体を作るにあたって問題が浮上した。
俺の複製体製造技術には一つの制約がある。複製体は俺でなくてはならない、だ。技術的にはなんでも複製できるが、生物を複製するにあたって一切制限なしではいつか道を踏み外す恐れがあった。現時点でも色々人の道からはみ出ている感はあるが、倫理観を全く失ってしまうというのはどうなのかという思いがあった。
そこで、被害者の中身は全部俺なんだから別にいいじゃない、という言い訳が通るように、原則として俺以外の複製を禁じた、というわけである。同時に、肉体改造も魂改造も原則として対象は俺もしくは俺の複製体に限ると定めた。例外は現在の所食料樹だけだ。あれは接ぎ木と大差ないからと、例外として認めた。
これは無人島時代の取り決めで、時代にそぐわなくなれば複製体達で話し合って破棄しても良いと伝えてある。現時点では破棄する必要が無いらしく、未だ守られている。
その、複製体達が未だに律儀に守ってくれているものを、言い出した本人である俺が最初に破るというのは少し格好が悪い。
世界を作るにあたって、全くの死の世界に前世模造体を送り出すわけにもいくまい。しかしそうすると、制約を破らない形でどうにかするとなると俺の記憶をもった動植物を大量に作り、そいつらに自然の営みを再現してもらわなければならなくなる。俺の記憶を持ったオスのクマゼミが俺の記憶を持ったメスのクマゼミに求愛行動を行い繁殖し、死後は俺の記憶を持った蟻に運ばれ食料として消費される。流石にそれは、中の人が可哀相なんじゃないか。たとえ俺相手でもやって良い事と悪い事があるんじゃないかと思うのである。
以上の事を相談すると、良いデータが取れそうだから別にいいんじゃないですか、なんなら佐々木一族から記憶データ提供しますよ、との答えが返ってきた。本人がこう言っていても流石に単細胞生物含むすべての生物に佐々木を搭載するのは気が咎めた。
佐々木は自分の複製体に厳しすぎると思う、と注意すると、別の生き物に転生するというのはどんな気持ちか興味がある、次の転生先がまた人間とも限らないのだから予行練習をしておきたいと思った、との答えが返ってきた。
第一種複製体は森本によって簡素化されたデータを氏族全員で共有している。不具合を起こしかねない危険なデータ、共有する必要がないゴミデータ、個人個人の個性に関わるデータ、本人が公開を望んでいないデータ、プライベートな生活記憶データ、等々の不要な情報を除き、有益な情報が選別され共有される。
佐々木一族から蝉が出れば、蝉として生まれた自分が何を思い何をして生きるのかというデータが佐々木一族全体で共有される。それは本人の、別の生き物に転生するというのはどんな気持ちか、という興味を満たしてくれる。佐々木にとっては益のある話だ。
しかし蝉になった佐々木本人はどうするのか。
「蝉になるのは俺のデータ。つまり提案者である俺が蝉になるのです。自分で望んでなったのだから文句などありませんよ。精一杯生きて、死ぬだけです。他にやらねばならなかった事は佐々木一族がきっちりやってくれる。残された佐々木一族は約束を果たす。安心して目の前の生に集中して、死ねます。その死は佐々木に益を与える。無駄にはならない」
なんというか、複製体達は死生観が俺から離れて行っている気がする。理屈はわかるが自分が同じように考えられるかと聞かれればちょっと微妙な所だ。佐々木搭載は廃案だ。データのフィードバックによって佐々木が新しい次元に到達してしまう。
廃案を伝えると佐々木は少し緊張が和らいだような表情になった。その事を指摘すると、そりゃ緊張はしますよ、一瞬後には今の生活を全て失って土の中で樹液を吸う生活を送る事になるのだと思えば、と返ってきた。複製前のデータ取りはいつも覚悟を決めて臨むのだそうな。想像力が無いわけではないらしい。その上でああいう事を言えるというのはどういう精神性をしているのだろうか。後顧の憂いが無くとも、俺にそんな覚悟ができるとは思えない。もう俺はこいつらとは違う人間なんだなあとしみじみと思う。
森本一族に連絡を取り、相談にのってもらう。世界意思として森本一族を派遣するよ、との回答があった。データ処理と管理は慣れてるから、との事だ。
森本の提案内容は、小世界全土を掌握する森本機関小世界支部を作り、全ての動植物を森本の体の一部として動かすというもの。森本自体が世界となる、との事だ。ライスフィールドの全てを管理している森本であれば、数を揃えれば可能である気がする。
それって虫に生まれ変わるよりきつくないかと聞けば、虫が死んでも大元が死なないんだから気楽なもんだよ、全ては循環するだけだ、との答えが返って来た。よくわからんがそういうものか。ライスフィールドの管理者としての長い経験がある森本が言うのだ、多分大丈夫なんだろう。
そういう形で、小世界創造魔法誕生から約一年後、小世界は誕生した。