男と、女と、ふわふわと、の事
女性が尋ねて来て間も無くタイミングの良い事に、丁度用足しを終えた普一さんが長屋の角を曲がり、通りに入って来るのが見えた。
彼は家の前に居る女性に気ずくと、荷物を乗せて走る大八車や物売りの間を縫うように走ってくる。そして、気安い雰囲気だが、どこか探る様な目で話しかけた。
彼女の急な来訪を、不思議に思っているようだった。
「雪乃どうかしたか ? 」
「急に押しかけて御免なさいね。心配しないで ? 別に悪い話で来たのではないのよ。善堂先生がね、美佐子様の法要の事でお話が有るのだそうなの。だからこれから一緒にお昼でもって。今、紀伊国橋の料理茶屋にいらっしゃるわ」
女性の言葉に、普一さんはホッと肩を落とす。でも直ぐに、不機嫌そうに唸った。
そんな彼を、女の人は微笑ましそうに見ている。
「・・・・まったく、突然に。何かあったかと思うじゃねぇか」
「ふふふっ、今までだって、そうだったじゃない」
「助手のあんたは、大変だな」
「そんなことないわ」
「辛抱強いのもたいがいにな」
「それこそ、お互い様よ」
女の人は笑い声を立てながら、ほっそりとした手で普一さんの頑丈そうな二の腕の辺りに、そっと触れた。そんな動作が不自然に見えない。気を許した関係。まるで、長年連れ添った夫婦のようだ。
(・・・・・・・・・・・・はっ、入れません。二人の世界ですかっ ! )
綺麗な人、誰だろう。まさか、まさか、彼女さん !? いやいやいやっ ! そんなこと聞いてないぞ。でも、普一さん自分ことあんまり話さないしな。こりゃこりゃ私ったら、彼女持ちの男の家に転がり込んだ !? もしそうなら、マジでやばいよっ ? それにしても、お似合いだよな。私とじゃ、こうは見えないんだろうなぁー。
内心では右往左往しながら、落ち着いた雰囲気の理想的な男女の姿に、暫し目を奪われた。だけど、同じ女として、むくむくと対抗心(らしき物)が湧いてきた。身の程を知れと言われそうだが、私だってっ ! である。
(でも!!でも!!私だって、長屋の皆とか、虎二さんとか、八百屋とかお魚屋さんのオジサンとかが、お十和ちゃんは美人さんだねーーーって言ってくれるもんねーーーて ! )
まぁ、お世辞なんだけどね・・・・はは。
私が一人で絶壁を這い上がっては転がり、這い上がっては滑り落ちを繰り返していると、女性と話をしていた普一さんに、いきなり腕を摑まれた。
「おい。聞いてるのか」
「え ? あ、御免なさい。ぼっーとしてた、何ですか ? 」
背の高い彼を見上げ、聞き直す。
「だから、これから三十間掘りの方に飯を食いに行くって話しだ」
「ああ、そうなんですか ? 」
「あんたも一緒に」
「えーと、私は家に・・・」
これ以上、居た堪れない思いをするのは健康を害しそうですので。と、心の中だけで続ける。
すると彼は、私がただ単に遠慮しているだけかと思ったらしく、心配するなと食い下がった。
「支払いは気にするな。全部、親父持ちだ。それに、あんたの好きそうな物もあるぞ」
「あそこはね、玉子ふわふわを出してくれる店なのよ」
「玉子・・・・ふわふわ・・・ ? 」
玉子・・・最近食べてない。それに、とってもステキな名前・・ふわふわ・・・ふわふわ。
甘いの系なの ? それとも、しょっぱい系 ?
ふわふわって言うくらいだから、きっと柔らかいんだろうなぁ。言葉から察すると、とっても美味しい物の予感がする。
頭の中に、ありとあらゆる玉子料理が並べられ、気付いた時には、もう、私の口は玉子専用になってしまっていた。
これは食べなきゃ収まらない。
(そもそも、食事だって言うのだから、しょっぱい系だよなぁ。いや待てよ。この時代、甘味は貴重品だし、改まった席なのなら、もしかすると・・・・)
などと、またもや食い意地が張ったことを考えている内に、普一さんによって引きずられるように連れ出された。ずるずると。
(ーーあれ ? そういえば雪乃さんとやらに紹介されなかった ? 私、忘れられてた ? )
三十間掘りの紀伊国橋の近くに、その店はあった。
私が時々連れて行ってもらう食べ物屋より、店構えからして品があり少々いや、かなり、格が上のようだった。下手をすると、一食が私のおやつ一か月分位に相当するかもしれない。そう思うとちょっと恐い。明らかに、貧乏人の私はお呼びでない匂いがプンプンする。
「あ、あの。この着物で入っても大丈夫ですか ? 場違いとか言われない ? 」
「ん、ああ」
「本当に ? トビウオ柄でも ? 」
「とび・・・・・・いや。ああ、大丈夫だ」
無口な女中さんに案内され、黒光りする板張りの廊下を歩き奥の座敷に通された。するとそこには頭を綺麗に剃りあげた50過ぎの男性が一人。席についてお茶を飲んでいた。
そろって入室する私達を見て、目じりに皺を寄せる。
「やぁ、良く来たね」
「こっ、こんにちわっ」
(ツルツルだ・・・・)
「久しぶりだね普一、お十和。あれから何か変わりはあったかい ? 」
「っ ! 」
「いや」
行き成り名を呼ばれ、どきっとする。
話の流れからして、このツルツルっとした男が普一さんの医者だという父親だろう。良く見ると、顔のパーツは共通するものがある。
「たまに会った父に「ああ」だけとは・・・・無愛想にも程があるぞ ? なぁ、お十和、お前も大変だろう ? 辛抱できなくなったら言うのだよ ? 」
「え ? わ、私は平気です。普一さんは・・やさしいです ? 」
「いや、私に聞かれても分からんよ 」
雪乃さんの時と同じに、また紹介をされなかった。
どうして紹介してくれないのかな。
どうでもいいから?
いやいやいや、普一さんはそんな人じゃない。きっと何かしらの説明が事前にあったはず。私が知らないだけなんだ。
今、下手に話しを切り出して辻褄が合わなくなると困るし、余計な事は言わないでおこう。泰然としておくのだ。泰然と。
もし、下手に名乗りを上げて、身元不詳の女が息子の近くに居ると分かったら、引き離されかねない。江戸は何より身分や立場を重んじる所らしいからな。
同居していることを何と説明したのか気にはなるが、ここは様子を見た方が良いだろう。
其れから間もなく、さっきの女中さんが膳を運んで来て、和やかに食事が始まった。
自分で書いているくせに前の話を忘れてしまいます。どうしたら良いのでしょうか・・・・・。
居候が自分の立場を気にし始めたようです。