恩人の事を知らないの事<下>
「団子を買って帰るんだろ ? ああ、ああ、遠慮なんかすんなよ。もち、案内するって。そんでもって俺も長屋へ付いてくぜ。普一をとっちめてやんなきゃなんねぇからな ! 女を囲うなんざ頭に髷乗っけてからやれってな!」
(だから、違うって言ってんのになぁ・・・・)
何度、訂正しても聞いてくれない彼に、間違いを正すのは諦めた。もう、口を開くだけ無駄な気がする。だから私は途中から、威勢の良い彼の話に「うんうん、そうですね」と適当に頷きながら相槌を打っている。
でも、前からちょっと気になっていた事が話題に上がって意識を向けた。
「そういえば普一さんって、髷を結っていないですよねぇ」
質問と言うより、独り言に近い呟きを漏らす。
この時代、右を見ても左を見ても、髷、髷、髷。ぱっと周りを見渡しても、髷の無い男性は見当たらない。ここに来てからの記憶を掘り起こしても、大多数が髷有り。無い人間の方が圧倒的に少なかった。
はて、どうして普一さんは髷を結わない ? それとも結えない ? じゃぁ、何か結えない理由でも・・・・・まさか、薄毛 ?
だとしたら私は、その貴重な髪の毛に何てことをっ----いや、待てよ。この間見た時は、かたそうな毛が沢山生えていたぞ。
「ふーん。何か意味が有るのかな?」
今度こそ独り言が漏れた。すると、それを聞き止めた男が反応する。
「わかんねぇ。あいつも変わり者だしな、あぁ、でも昔、医者を目指していた頃があったから、そのせいかもな」
「へぇーお医者は坊主にするものなんですか ? 」
「そうじゃない医者もいるが、たいていはツルッツルが多いな。流派によるらしいぜ?」
「 ツルッツル」
頭の中で普一さんの髪を取っ払い、スキンヘッドのその姿を想像してみる。
・・・・似合うかもしれないが、威圧感が半端無い。ちょっと一般人には見えないかもしれない。直接、客に接する機会もある職人としては、今のままをお勧めしたい。
「でも、あいつが医者を目指してたのは、だいぶ前の話なんだけどなぁ」
「医者志望だったなんて知りませんでした」
「あぁ、親父先生の後を継いで医者になるってんで、蘭学だー、長崎だー、言ってたんだが、ある時、ぼそっと「医者になるのは止める」とか言いやがってよ、近所の飾り職人の親方に弟子入りしちまった」
「へぇ・・・・知らなかった」
でも、それはしょうがない事だ。お互いの身の上話なんてした事が無いのだから。
(私、普一さんの事、何も知らないんだな)
幼馴染だと言う彼の言葉を聞いてつくづく感じ、気持ちがじわじわ下降する。
するとそこに、目の前の男が追い討ちを掛けた。
「はははははっ、あんた知らねぇ事ばっかりだな ! 」
「うっ・・・・・・・・・・・・・」
痛い所を突かれ、言葉を詰まらせる。
私は傷だらけの手を握り締め、ちょっと、ほんのちょっと、この男殴りたい ! と、思った。
普一さんの幼馴染だと言う男は『虎二』と名乗った。少し軽そうだが、悪い人間ではなさそうだ。
私は彼と連れ立って安価な団子屋へ行くと、手持ちの金で買えるただけの団子を買い求め、私の居候先である甚平長屋へ向かった。
「はぁ・・・・4本しか買えないなんて」
小さな包みに、がっかりと肩を落とす。本当はもう少し見栄えのある物を贈りたかった。
顔にそんな不満が出ていたのか、虎二さんが明るく笑う。
「大丈夫だって ! 気持ちだ ! 気持ち ! 一人一本は食えるだろ ? おまけに一本あまる ! 」
「 ? 」
あれ ? 頭数が増えている ?
隣を歩くちゃっかりしている人に、呆れた視線を送った。
それから、道すがら二人の子供時代の話を聞きながら帰ったのだが、家に着くと、なんと七つ時を過ぎてしまっていた。ちょっとゆっくりし過ぎてしまったようだ。さすがに、もう普一さんは帰っているだろう。不味い。叱られるかな。恐々と家の中に入る。
「遅くなりましたー、ただいまー・・・・・・・・・・・・・あれっ?」
「いねぇのかい?」
「はい・・・。もう、帰っていてもいい筈なんですけど・・」
この長屋は珍しく一軒が二間あるのだが、どちらの部屋も人気は無くガランとしている。
行灯で薄暗い室内を照らしてみても、昼間、出て行った時と同じ。何も変わりは無い。つまり朝から一度も帰って来ていないと言う事だ。
「子供じゃねぇんだ、心配ねぇよ!じぁ、ちょっと待たしてもらおうかな」
それから夕七つ半、暮れ六つを越えても普一さんは帰って来なかった。もう外も家の中に負けず劣らず暗い。
遠くの方で「取っけぇべぇー、取っけぇべぇー」と、古釘屋の声も聞こえ始めた。
私は夕暮れと、物売りの声に不安を煽られ、途端に落ち着きを無くす。ネガティブな考えばかりが頭を巡り離れない。
こんなに帰りが遅いだなんて言ってなかった、何かあったのかな・・。
まさか私のこと怒ってて、顔を見るのも嫌だとか・・。
このまま帰って来なかったら・・・・・。
もう、とてもじっとしていられる状態じゃなかった。ざわつく気分を持て余し、室内や戸口辺りをうろうろと歩き回る。落ち着かない。落ち着かない。
そんな私を見かねた虎二さんが「まてよ」と止める。
「おいおい、落ち着けよ大丈夫だって」
「でもっ、でもっ」
そう言われても落ち着けるわけが無い。その大丈夫の言葉には、何の根拠も無いのだから。それでも大丈夫と言うのなら、その証拠を見せて欲しい。
疑い深く弱い自分が頭を覗かせた。私はこんな、誰かに依存する様な性格だっただろうか・・・・。
私が自問自答の嵐の中に居ると、突然、虎二さんがカラカラと笑う。
吃驚した私は思わず足を止めた。
「もし、あいつが帰って来なかったら、あんた俺ん家に来ればいいさね ! そうしなよ ! 俺ん家、部屋余ってるしな ! 」
「なっ、何を言ってるんですか ?! そんな事出来るわけ無いでしょっ !!!」
「ああ、まったくだ」
あんまりな言葉に怒った私が叫ぶと、その直ぐ後に低い男の人の声が続いた。
「あっ ! 普一さん !」
「はんっ。なんだい、帰って来たのかい」
ニヤッと笑った虎二さんが悪態をつく。それを無視した普一さんは手に何かの包みを持って、戸口をのっそりと入ってきた。そして、上がり框に居座る幼馴染に鋭い目を向ける。
「何だ、呼んだ覚えはねぇぞ、下っ引き」
「うるせぇよ ! あのなぁーーーおまっ」
「普一さん ! すみませんでした !」
がしっと普一さんの羽織の袖をつかんで、勢いよく頭を下げた。二人の会話を遮る形になってしまったのは申し訳なかったけれど、我慢が出来なかった。早く、早く、謝りたい。
「もう、こんな事無いようにしますから ! 」
「何の事だい ? 」
「別に気にすることねぇって言ったろ・・・終わったことだ。大げさにするなよ」
「だから、なにがだよ ?! 」
間、間に、話しが読めていない虎二さんが説明を求めてくる。が、答えている暇はなかった。
「普一さん絶対怒ったと思って・・・だから帰って来ないんじゃって・・」
「俺は此処しか帰る家はねぇよ。帰りが遅かったのは・・ほら、手ぇだせ」
「え、え、何です ? 」
普一さんが手に持っていた包みを私に押し付ける。それを受け取り、ゆっくりと結び目を解くと、
「あっ !! 海老だ !!」
中にはまだ火が通っていない生の海老が沢山入っていた。ふわっと、潮の匂いが鼻をくすぐる。
「海老に呪われねぇ程度に食えよ ?」
「ふふっ、そうします ! ありがとうこざいます ! ああっ海老大好き ! さっそく、何か作りますね !」
さっきまで半べそを掻いていたのに現金なものだが、江戸に来てから麦混じりの米、漬物、焼き魚が殆どだったので、この海老の登場はとても嬉しかった。
それに何より、普一さんが自分の好物を覚えてくれていたのが嬉しい。
「海老~海老~、何にしようかな~焼くのかな~煮るのかな~」
上機嫌で竈に火を入れようと、いつもの火打ち石を探っていると、
「おう、これからはこっちを使え」
普一さんが、ポイっと小さい巾着を投げてよこす。わわっと慌ててキャッチ。その上等な生地で作られた桃色の巾着の中には、いつも使っている物より、小ぶりの火打ち石と火打ち鎌が。
「あんた用だ。いつものだと、あんたには大き過ぎるんだろう。ちっせぇその手だと、これぐれぇが丁度良い」
「わっ、私の ? 」
「ああ」
今回の事もあって、厄介払いされても文句は言えないと思っていた。それなのに、私用に火打ち石を買って来てくれた。
これからは、それを使えという。
まだ、ここにいても良いのだろうか。
傍に居ても良いのだろうか。
――――目の奥がぐりぐりする。鼻の奥がツンッとする。こらえろ、堪えるんだ自分 ! 泣いたら、鬱陶しがられるっ。
「あ゛あ゛の゛っ・・・ごれっ」
気合で涙を堪える。でも、なかなか言葉が出てこない。
「ずごぐっうべべしっがらっ」
伝えたいのにっ ! 自分が本当に嬉しい事をっ !
「うぅぅ・・・・・・!」
どうしても今の気持ちを表す言葉が出てこない。それに、ちょっとでも気を緩めたら、押さえている何かが溢れてしまいそうなのだ。一度決壊してしまったら、きっと止められない。だくだくと留めなく弱い私になってしまう。
だから下を向いて、唇を食い縛り、波が通り過ぎるのを待つ。
すると普一さんが、ポンっと私の頭の上に手を置いて無表情に見下ろし、低い声で言った。
「おい、泣いたら、・・・・襲うぞ」
「っ !?」
眉間に皺をよせ、どこか戸惑うような声色。もしかすると、泣きそうな私に困っている ?
予想は間違っていなかったのか、近くにあった手拭いを私の顔に力いっぱい押し付け、擦ってくる。ぐいぐいぐい、ちょっと痛い。
「それと、鼻は拭け」
「ぶっ ! 」
可笑しなシチュエーションに思わず吹き出してしまった。
もう、泣き笑いで私の顔はくちゃくちゃ。でも別に良い。だって手拭いの中なら誰にも見られない。心ゆくまで弱くなれる。
「ズべべッ ! 」
涙越しに見た火打ち石は、とても赤くて、まるで高価な宝石の様だった。
きっとこれは私の一生の宝物になる。そんな予感がしながら、手にぎゅっと握り締めた。
私達から離れる事、約二メートル。
「なぁ・・・何なんだよぉ。俺、悪ぃ事しねぇから、無視しねぇでおくれよ・・・・・」
土間の片隅で、虎二さんがしょぼくれていた。
暑いです。暑いと言うより熱い。誤字、脱字があったら、間違い無くそのせいだと思われます。
作中、夜、十和が竈に火を入れようとしていますが、ルール違反です。この後、普一に止められたと思います。