恩人の事を知らないの事<上>
人は自身に危険が迫った時、絶望した時、現実から逃避する。そういう時、今まで生きて来た軌跡が走馬灯のごとく蘇るという。
生まれて20年、色んな事があった。
小学校の入学式、遅刻したな・・・・未だに覚えている。あれは恥ずかしかった。中学、高校・・・良くも無く、悪くも無く過ぎていき、大学は入ってすぐ辞めちゃって、それを知ったお父さんは泣くし、お母さんはキレるし、大変だった・・・色々と。
キレると言えば、足の小指をテーブルにぶつけて生爪が剥がれた時、救急車呼んじゃったんだよね。だって、もんの凄くびっくりしたんだもん。キレてたな・・・隊員さん。あれは悪いことしたわ。
そう言えば、この間、お父さんのへそくりを勝手に使っちゃったのも悪かったね。でも、どうしても欲しいDVDボックスが、限定販売だったんだ ! 何と、初回は特製ペナントが付いてきたのよ。
そういえば、ペナントって何かしら ? 何にするもの ? 何で三角 ? 意味があるの ?・・・・・・・・・ペナントの意味が分からない。・・・・・・・・・ペナント、ペナント・・・・。
あれ ? あのペナントどうしたんだっけ ? あぁ ! そうだ、へそくりを使った代わりに、お父さんにあげたんだった。
そんなグダグダな思い出が、つらつらと私の脳裏を駆け巡る。
その間、約コンマ3秒。
『私劇場』が繰り広げられていた隣では、普一さんが火の点いた頭の手ぬぐいを、指の先に引っ掛けて土間に落とし、草履で踏んで火を消していた。
私はその土間の床を踏む音で、やっと我に返る事が出来た。そしてその惨状を目の当たりにして、うろたえた。土間には黒焦げになった手拭いが、無残な姿を晒していたのだ。ぐちゃぐちゃの焦げ焦げ、で。
「ふっっ・・普一さんっ・・・・頭に火がっ・・・」
「もう消えた」
「ああああああああっ。ごめっごめんなさいっ!!」
「別にいい」
「私なんてことっ。頭、大丈夫でしたか ?! 」
「そんな事より、俺は仕事に行ってくる。あんたは・・・・取り合えず、大人しくしててくれ」
彼は、別段慌てた様子も無く、通常道りの無表情で「腹がへったら箪笥の中の金で蕎麦でも食え」とか、「遠出するな」とか、「人前で踊るな」とかの一通りの注意をして、さっさと出掛けて行った。
暫らく私は上がり框に座り、呆然としていた。なにせ、バイト先の厨房以外で火柱が立つのを見るのは初めてなのだ。小火のショックから、なかなか抜け出せない。
(フライパンじゃなくって、恩人様の頭に火を点けてしまった!)
「お、怒ったよね、怒らないわけないよ。付け火をする居候・・・・最悪だ」
またまた迷惑を掛けてしまった。どうしよう、これはフォローのしようが無い・・・・。
でも、何もしない訳にはいかない。私は無い知恵を絞って考える。
「えぇと、とりあえず土下座で謝って、後は手ぬぐいを弁償してーーーーってお金は ? 無いよ ? 」
箪笥の中のお金には手を付けられない。とすると、私が自由に出来る手持ちのお金は、長屋の人達の雑用を手伝って貯めた17文だけ。これだと何とかお蕎麦が一杯食べられる位か。
でも、この時代の布は貴重品。17文では買えないだろう。たぶん。いや、絶対。
「17文・・・17文で買えるもの・・そうだ、お菓子は?謝る時は、菓子折りだよ!」
今すぐ菓子折りを買いに行きたかったが、水売りが来るのを思い出し、はやる気持ちを落ち着けた。これで留守番すら出来なかったら、お話しにならない。
そわそわとするお尻を、また上がり框に降ろす。
「水売り屋さんが来るまで、謝る時のシュミレーションをしよう・・・・」
結局、それから水売りが来るのが思ったより遅くなり、私が菓子屋を探しに行けたのは、数時間後だった。
そして、長屋の奥様連中に聞き込んで、噂になっている『鴻巣屋』へ行ってみたのは良いけれど、予想外に値が張り、手持ちの金では全然足らず途方に暮れていた。
そして、今に至る。
あぁ、どうしよう。中に入って安価なお菓子が有るか聞いてみようか。でも、何だか高級そうな店構えで敷居が高くて入り辛い。
迷う。
でも、欲しい。
私はうろうろと、店の前を行ったり来たりを繰り返す。
「なぁ、アンタ!ずっと此処の暖簾の前に居るが、何かあったのかい?」
「えっ」
気軽な調子でポンと後ろから声を掛けられ、振り向いた。店の中に気を取られていた所に行き成りだったので、ちょっと驚き飛び退る。
「あっ、すみません。邪魔でしたかっ」
急いで端に移動する。
「いや、そうじゃーーーー・・・・・・・・・・」
月代も青々とした本多髷の男が、私の顔を見るなり固まった。
年のころは、20代半ば。少々派手だが綺麗な萌黄色の着物が良く似合っている好青年。硬質な印象の普一さんとは反対のイメージか。たぶん、今の江戸では普一さんより、こっちの彼の方がモテるだろう。遊び慣れた軽さを感じる。
「男前と言うよりイケメンタイプ ? 」
「か、観音様だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「はぁぁ ? 」
思わず私の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
でも彼は、そんなリアクションにもボヘッと目を見開いたまま時間を止め続けている。せっかくのイケメンさんも、これでは台無しだ。
と言うか、どうかしてしまったのだろうか。まだ若いのに、可愛そう・・・・・。
きっと何か患っているのだ。そう思い、同情の目を向ける。でも、その生暖かい視線に気付いたのか、彼は間も無く現実に戻って来た。
「あっ!いやぁ、すまねぇ!あんまりベッピンなんで惚けちまったよ!」
男は顔を赤くして、はははははっと笑った。お世辞だと分かっていても何だか気恥ずかしい。
俯く私に、気を取り直した男が頭を掻きながら最初の質問を再度問う。
「そんで、どうしたんだ?困り事だろ?何でも言ってみろよ!俺ぁこう見えても、この町内の岡っ引の・・・・」
「え!!!??岡っ引!?本当に!!凄い!!!」
「えぇぇぇと、あぁぁいや、まぁ何だそんな感じか、ゆくゆくは・・・」
男の台詞が段々と小声になるのを、初めて見た岡っ引に興奮していた私は、まったく気にしないで聞き流した。そして「そうだ、岡っ引のこの人なら」と、希望を持って向き直る。
「あのう、お聞きしたいのですが、どこか美味しいお菓子やさんは、ありませんか?」
私は恩人に迷惑を掛けた事、お詫びの為に何か送りたい事を掻い摘んで話した。
男は、軽そうな外見とは裏腹に、意外と熱心に話しを聞いてくれた。
「予算はいくらぐれぇで?」
「・・・・・・・・17文」
マジかっと、見張った目で二度見された。
「・・・だっ、大丈夫だ!値段じゃねぇよ!気持ちの問題だろ!」
「・・・・・・」
「なんだぁーその、別に物なんか買わなくっても、あんたがにっこり笑って、ありがとさんとでも言っておけば、万事上々だろ。その野郎の鼻の下、上方の方まで伸びるんじゃねぇかな」
(そんなに鼻の下が長い普一さんは嫌だ)
「お礼なんかは、毎日言ってます。だから、やっぱり物を送りたいんです」
「そうかぁー?、でも17文じゃ、団子がせいぜいだぜ?」
「お団子!お団子が良いです!それにします!」
「ははっ!そうかい!、しかし、アンタの男も幸せ者だな、こんなに思われてよっ」
どこか羨ましそうな目に、私は狼狽して顔の前で手を左右に振る。
違うよ、違うよ、と。
「ええぇっ!?私と普一さんは、そんなんじゃないですよっ!」
「・・・・・なに ? 誰だって ? 」
「え、だから、私と・・・・・・普一さん ? 」
「おい、まさか、甚平長屋の普一の事か!?」
「はい、たぶんそうです。お世話になってます」
「なにぃぃ、噂は本当だった、っつーことかい!」
「お知り合いでしたか?」
「幼馴染だ! 聞いた話しでは、あの野郎、どこぞのお嬢さんを掻っ攫ってきて長屋に囲うわ、外にも出さないわで、朝から晩まで好き放題って話だ! まさか、それがあんただったとはっ ! 」
なっ、何というお下劣な噂。いったい何処からそんな噂が飛び出したのだろう。真面目な本人と、噂のギャップに驚き半分興味半分。でも普一さんの名誉の為に、いっきにヒートアップする男に否定する事にした。
「そんなの噂ですっ。囲われてなんてないです。そもそも攫われてないし ! 」
――――そう。私は攫われてなんて無い。
普一さんの母方の遠い親戚で、職を探して田舎から出て来た。・・・と、いうのが私の今の境遇と言うか設定、らしい。
気が付いたら、そうなっていた。長屋の皆には、普一さんがそう言う風に説明したらしい。
勝手に埋められていく外堀。
知らない間に作り上げられていた、江戸時代での私の身の上。
全て嘘。本当の事など誰も知るわけが無い。
普一さんですら知らない。だって彼は私に何も聞かないから。
何処から来たのか。神社で何をしていたのか。
実は、名前すら名乗った覚えが無いのだ。
でも不思議な事に何故か彼は、私の名前を知っていた。全く記憶には無いけれど、もしかすると熱に浮かされていた数日間に話したのだろうか。分からない。
でも確認なんて出来ない。「私が未来から来たって、知ってました ? 」なんて・・・・・・・・・・。
またもや長くなってしまったので、切りました。
・・・・・難しいですね。着地地点を見失っています。
次は、すぐです。きっと。