欲しいと思う時には、たいがい無いの事。
菓子屋『鴻巣屋』
最近流行の菓子屋だ。ここは、品数が他の店より格段に多く、一つ一つの品の作りも、こっていて見栄えがする。それはとても華やかで、派手好きの江戸の人達からしたら、飛びつかずには居られなのいだろう。だから他店より少々値が張るが、季節折々の挨拶の供や、得意先へのお使い物にすると喜ばれるようで大店の丁稚小僧や身なりのしっかりした奉公人やらが、引っ切り無しに初夏らしく新芽色に染め抜かれた暖簾をくぐって中に入っていく。
気持ちの良い風にそよぐ鴻巣屋の暖簾の横に、女が一人。
この時代の女にしては背が高く、身なりもけっして良い物ではないが美貌と言って良い程の容貌。シミ一つ無く肌理細やかな白い肌。女髷を結っていない髪は豊かで艶がある。切れ長の目は黒目がちで神秘的にすら見えた。
その女は、回りも気にせず暖簾の隙間から一心不乱に中を覗きこんでいる。 そして、道を行く町人達はそんな女を遠まきに見物し噂するのだった。
「えらく器量が良い女だな。どこの御新造だ?」
「いんや。どこぞの姫さんかもしれねぇ!」
「馬鹿めが。あんな『めざし』柄の着物着た姫さんが何処に居るってんだい!」
噂好きの町人達の予想はどれも外れで、女は大店の令嬢でも、勿論やんごとなき姫でもなく、平成から来たフリーター。十和、20歳。
「くっ、大福一つ10文って・・・・・・・・とんだセレブ大福だっ」
手持ちの銭が17文の、絶賛貧乏中の者でありました。
――――時は遡り、その日の朝五つ半頃。
「今日は、出来上がった品の納品に行ってくる。何件か回るから、帰りはたぶん八つ半は超えると思うんだが・・」
「はい!留守番ですね。まかせて下さい!」
「大丈夫か?」
元気に胸を叩かんばかりに請け負った。江戸の事柄に詳しくない私にだって、留守番くらいは出来る。
「大丈夫デス」
「本当にか?」
瞬きもせずに、ガン見で言われる。私、いったいどれだけ駄目な奴だと思われているのか・・・・。それを思うと、ちょっと悲しくなる。
「そ、そこまで言われると、何だか不安になるんですけど・・・・。でも真面目に大丈夫ですよ ? た、たぶん」
「・・・・なら任せるが。あぁ、もし水売りが来たら、そこの甕にいっぱいになるまで入れて貰ってくれ」
この時代、飲み水は買うことが多かった。掘削の技術が現代より発達していない江戸では、どうしても井戸が浅いのだ。だから、飲み水だけは安全な売り物に頼らなくてはならない。
こんな、この時代の一般常識も私は最近まで知らなかった。だから、そんな私を普一さんが心配するのは仕方ないと言えば仕方ない。
「はいはい了解です。何なら行灯の油も買ってきて置きましょうか。もう無いんでしょ」
行灯が無いと、夜は真っ暗なので寝るか、又は寝るか、もしくは寝るしかない。
昨日の晩、うっかり油を切らしてしまって「じゃぁ、しょうがない。寝るか」となったのだけれど、何せ夜は長い。余りにも退屈なので、かいまき布団から這い出し、寝ている普一さんの枕元に正座して、怪談話をしてあげた。眠りを妨げられた普一さんは、低い声で「・・・うるせぇ・・・・・早く寝ろ、襲うぞ・・」と、うなった。あはは、恐いんだ、と、からかおうと顔を見ると、目が若干本気だったので、私は一目散に仕切りの向こうの自分専用煎餅布団に潜り込み、悪態をついた。ここなら安心。私の城だ。
「すけべ、むっつり、すけべ、むっつり、すけべ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・頼む、寝てくれ。」
そんなこんなで、お互いの為に行灯は必要なのだ。
「油は、俺が買ってくる。今晩もまた布団に忍んでこられても困る。我慢も限界が有るからな」
「ふふふふっ!昨日の私の話よっぽど怖かったんですね!」
「・・・・・・・・・・」
私の指摘に視線を逸らせ、押し黙る。
「怖がったって恥ずかしいことじゃないですよ?マジで怖いんですからあの話」
「海老女がか?」
「えぇ、海老女。」
怪しくも美しく切ない怪談『妖怪海老女』。
海老好きの女が、海老の呪いで下半身を海老に変えられてしまう。試しに自分を喰ってみると止められない止まらない。おまけに卵を持った子持ち海老だったので珍味の味にも目覚めてしまい・・・・・気が付いたら頭だけになっていた。
ぶるるるるるっと、背筋が震える。思い出しただけで、今日の夜、トイレに行けなくなりそうだ。
「おーこわっ!海老好きとしては、他人ごとじゃないわー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」【人それぞれだ。普一はそう思い、あえて何も言わなかった。】
「そうだ、水売り屋さんが来てからで良いんですけど神社に行ってきて良いですか?」
「明神さんか?」
「はい、初めて普一さんと会った所です。ちょと見ておきたくて」
あの雨の夜、私は神田明神の下辺りでふらふらしている所を、寄り合い帰りの普一さんに見つけられた、らしい。
つまり、あそこは向こうと此方が繋がった場所、なのだと思う。だからもう一度、自分のこの目で見て確認してみたかった。勿論、簡単に帰れるとは思ってはいない。けれど何かしらの手掛かりが、一つ位はあるかもしれない。
僅かな希望を胸に宿し、聞くと、素気無い答えが帰って来た。
「 駄目だ」
「えっ、でも遠い場所でもないし」
「駄目だ」
予想外に強い口調が帰ってきて面食らう。
「・・・・最近あの辺は、浪人崩れのゴロツキがたむろって居る、行くなら俺が連れて行くから後にしろ」
「・・・・・後ですか」
「あぁ、後だ」
「・・・・分かりました、そうします。」
何だか気まずい。神社に行きたいと言ったのは、実はこれが初めてではないのだ。あの時は、床上げしたばかりだからと私の体を気ずかって延期させられた。我が儘を言って怒らせたくはなかったし、彼の指摘も尤もだったので諦めたのだった。それに、何から何まで世話になっているこの状況を考えると、これ以上、私事で煩わせられなかった。
私は何と無く腑に落ちない気持ちを抱えたまま、結局、また彼の言うとおりにする事にした。
「じゃぁ、行って来る」
板の間を降りて土間で草履を履いている普一さんの大きな背中を、ぼけっと見ている内に「あれ」が遣りたくなった。テレビの時代劇で良く見た、あれだ。
場が和んだら、気まずい空気も一掃されるかもしれない。そんな思いも有った。
「普一さん、『あれ』やって良いですか?かちかちってする奴」
「? 切り火のことか?」
「そう言うんですか?あの『行ってらっしゃい、お前さん!』カチカチ。っていうやつ」
時代劇に出てくる、め組みの女将さんが亭主にやるような手つきを真似て、ジェスチャーで伝える。
すると何故だか、普一さんは驚いた顔で目を見張った。
「 !! ・・・お前さんって・・・」
「駄目ですか?」
「別に駄目じゃねぇが、分かって言ってんじゃねぇんだろうな・・」
やれやれと言った感じで上を向く。
「 ? 」
「何でもねぇ。やってくれ、遣り方は分かるんだな?」
「はい!大丈夫です!右後ろからカチカチカチですよね」
私は、急いで火打ち石セットを持って来て、上がりかまちに座っている普一さんの後ろから、万感の思いを込めて石を打ち鳴らした。
「行ってらっしゃい」
ちゃんと無事に帰って来ますように !
ついでに、この人に何でも良いから良い事がありますように !
――――カチッィ ! カチッィ ! カチッィ!
その時、奇跡が起こった。
大きな、大きな、それは大きな火花が散ったのだ。
まさしく稲妻のごとく。そして、
普一さんの頭の手ぬぐいに・・・・・・・・・・・・・・引火した。
居候が付け火をした所でいったん切ります。
ドリフならアフロなんですけど。どうしましょう。