マイダァリン
恋愛小説を目指しました。一応、ヒロイン最強物です。
結果、人間として好かれそうもないカップルになりました。
適当に読み流す、時間を潰す程度の姿勢をおすすめします。
あたしと先輩が初めて顔を合わせて会話を交わしたのは、告白をした放課後の教室だった。
「あの、加賀屋先輩。好きです、付き合ってください」
あたしの言葉に、先輩は当時から死んだ魚のようだと絶賛されていた半眼であたしに注意を向けた。
「……俺、あんたと会ったことあったっけ……?」
初めて聞いた先輩の喋り方は定年間際の志村教諭よりも母音がはっきりしていない投げやりなもので、声はミイラだってもっと生気があるという評判通りの生命力の欠片もない無気力さで、言葉はマニュアルを完璧に暗記しているようなありふれていて、あたしは自分の鼓動が激しくなるのを感じた。
「いえ、あの、前に一度だけ……」
動揺は飲み込んだ語尾の震えで自覚して、あたしはそんな場合でもないのに、驚いてしまった。
「へー、ごめん、おぼえてねーわ」
「いえ」
先輩は相変わらず表情一つ変えずに、死んだ魚のような目であたしをみていた。
「ねぇ、あんた、世界で一番使われている言葉しってる?」
あたしは先ほどとは異なる理由で一瞬驚いた。先輩がまさか自主的に言葉を話し始める人だとは予想外であったからだ。おかげでうっかり口が滑ってしまった。
「言葉の定義はお伺いしなければ分からないですが、恐らく一般的に意味をよく知られ全世界の共通の幼児に見られる拗音である「ママ」ではないでしょうか」
先輩は瞬いた。空ろな目が左右にうろうろするのを見ていると胸が不穏にどきどきする。ああ、あたしは失敗してしまったのだとこのとき気付いた。
「……そうなの?」
「……すみません、適当に言ってしまって」
先輩は首を振った。そして面倒そうにあくびをして、独り言のように呟いた。
「俺はー、カミサマとアイシテル、だと思うんですよー」
噂通り、いや、それ以上の先輩の完全な電波の受信具合に心臓が大きく音を立てた。
「そう、なんですか?」
「いや、わかんねーけど」
相変わらずふわふわとした口調の先輩は、そうして更に続けたのだ。
「共通点、ある?」
「共通点、ですか……」
飛ぶ会話と高鳴る胸のどちらに気を配ればいいのかも分からず、先輩の言葉を繰り返すだけの反復機械と化したあたしに、先輩は呟くように独白した。見つめ続けていたあたしは、その瞬間に背筋に走った衝撃を一生忘れられないだろう。空ろな目に、一瞬だけ光ったその感情の色。
「どっちも、誰もその形を見たやつなんかいないんだよな」
そうしてその言葉で、ありふれて氾濫した言い方をするのならば、あたしは『愛』に落ちたのだ。
「……ってことで、俺、こんなやつだから、申し訳ないけどー……」
「……んない」
「は?」
あたしは頬に手を当てて火照る肌を沈めようと大きく息を吐いた。高鳴る鼓動はやむ気配を見せずに、あたしは頬に当てた両手を胸の前で組んだ。
「たまりません、先輩」
「……は?」
あたしは眼鏡を外して、興奮を抑えきれずそれを足で踏み潰した。
金属とレンズが割れる音が教室に響き渡る。それを聞きながら後ろで一つに結んでいた髪を解く。
「え、あ、は……ええー……?」
「あたしはどうやら、愛に落ちてしまったようです」
一歩、先輩に近づく。先輩も一歩、後退したのであたしはそれを詰めるために四歩足を進めた。
先輩の首に引っ掛けただけの様相を呈しているネクタイを腕を伸ばして引っつかみ引き寄せれば、先輩はとっても不恰好な鳴き声を上げて息をつめた。興奮とときめきのために目が熱くなってくる。
近くで見ればはっきりわかる、その何をどうしても変わらない無表情とその空ろな目つきったら!
あたしはにっこりと微笑んでその耳元に熱い吐息を堪えきれず囁く。
「ああもう本当にたまんない」
「え、あの、なんか、キャラ違う気がするんだけど……」
「ねぇ、先輩」
声に出してみて、なんだか据わりの悪さに首を傾げる。
「あの、すみません、苦しいっていうか顔近、」
往生際悪く腕を上げ下げしている先輩がもう可愛くて、私は相好を崩してしまった。
「そんなささやかな事、どうでもいいじゃないですか!」
「ささやかかなぁ、これ」
「ねぇ、そんなことよりダァリン」
「ダーリン!?」
ひっくり返った声が可愛い。舌足らずで可愛い。
「ねぇ、ダァリン、あたし決めました」
ダァリンの第3ボタンまで全開のシャツの合わせを面倒になって引きちぎる。
「えー!」
現れた筋肉の欠片もない薄い男の人の体を眺めて微笑む。骨まで脆そうなんて流石ダァリンね!
鎖骨に爪を立てて、あたしはチロリと舌で唇を舐めた。
「ねぇ、」
あたしのものになってください、ダァリン。
ダァリンはとっても素敵。
あんな脆そうで惰性だらけで、でも全力であらゆる物事から逃げようとしているなんて素敵な人間、ちょっといない。ダァリンの空ろな目の奥で、惨めったらしく何かを乞うている色がちらちらと滲む様子なんてもう、筆舌には尽くせない!
でもだから、そんな素敵なダァリンには害虫だって山ほど寄ってくるわけで。
「見ていてくださいね、マイダァリン」
下から上目遣いに一番可愛く見える角度で、マスカラを重ねシャドウを塗るの。
爪はあたしの肌の色が透けて見えそうで上手にフォローする薄い淡いピンク色。
リップにラメの入っていない透明な白い肌に映えるオレンジ色をそっと乗せて。
あたしは白けた目のダァリンの胸に指を当ててにっこり微笑むのだ。
「ダァリンにない胸を押し付けて存在を主張したあの図々しい雌豚を血祭りにあげて差し上げます!」
「せんせー、ちょっと殺人予告ー!」
ああん、ダァリンの照れ屋さん!
あたしはにっこり笑って、全身であたしから逃げようとするダァリンの服の裾を可愛らしく指先で摘んで阻止しながら考える。
そうね、あの雌豚の始末が終わったら、ダァリンに報告しましょう。
一番よく使う言葉が何なのか、12カ国から送らせた調査結果でも二人で眺めて、ね。
(ねぇ、ダァリン)
(アイシテルとカミサマが、この世で一番使われているなんてそんなこと)
(あなたほど夢見がちで綺麗事を言うお馬鹿さんそういないわ!)
あたしはあなたをあいしつづけるの。
あなたが、あたしの愛に溺れてなければ生きて生けなくなるほどになってしまえばいいのに。
あなたが、あたしの気紛れな一挙一動にかみさまを信じるようにふりまわされてくれればいい。
(あなたが私に愛しているって言って、いつか神様のように縋ってくれますように)
ねぇ、マイダァリン?
お粗末さまでした。
本当にすみませんでした。