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婚約七年目、悪役令嬢は本日をもって卒業します   作者: 九葉(くずは)
第3章

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第31話 和解の茶会

北方から戻って一ヶ月が過ぎた頃、思いがけない来客があった。


「エリーザベト・フォン・シュタインベルク嬢が、謁見を願い出ております」


マルタの報告に、私は手を止めた。エリーザベト。公爵夫人の姪であり、かつて舞踏会で私を陥れようとした女性。社交界追放の処分を受けてから、三年以上が経っている。


「彼女が? 何の用かしら」


「謝罪をしたいと。それ以上は、直接お会いしてお話ししたいとのことです」


私は少し考えてから頷いた。公爵夫人が変わったように、姪もまた変わったのかもしれない。少なくとも、話を聞く価値はある。


「お通しして」


応接間に現れたエリーザベトは、三年前とは別人のようだった。


かつての華やかな装いはなく、質素だが清潔感のあるドレスを身にまとっている。髪も控えめにまとめられ、化粧も薄い。何より、その目から傲慢さが消えていた。


「皇后陛下、お時間をいただきありがとうございます」


深々と頭を下げるエリーザベトに、私は椅子を勧めた。


「座って。話を聞かせてちょうだい」


エリーザベトは椅子に腰掛けたが、顔を上げようとしなかった。しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。


「まず、謝罪させてください。三年前の舞踏会で、私はあなたを陥れようとしました。叔母の指示とはいえ、私自身の意思で行動したことに変わりはありません」


「なぜ、今になって」


「ずっと謝りたいと思っていました。でも、資格がないと感じていたのです。追放処分を受け、社交界から姿を消し、実家で静かに暮らしていました。その間、自分が何をしたのか、何度も考えました」


エリーザベトがようやく顔を上げた。その目には涙が浮かんでいる。


「私は、あなたのことを何も知らずに憎んでいました。成り上がり者だと、帝国の恥だと。でも、それは間違いでした」


「何がきっかけで、そう思うようになったの」


「叔母からの手紙です。北方支援のこと、アンナを救ってくださったこと、そして始原の泉のこと。あなたが帝国のために何をしてきたか、叔母が詳しく書いてくれました」


エリーザベトの声が震えた。


「私が軽蔑していた人が、帝国を救っていた。私が陥れようとした人が、叔母の孫を助けていた。自分がどれほど愚かだったか、思い知らされました」


私は黙ってエリーザベトの話を聞いていた。


彼女の言葉には、嘘や演技の気配がなかった。三年間の追放生活で、本当に変わったのだろう。かつての高慢な令嬢の面影は、もはやどこにもない。


「許してほしいとは言いません。ただ、謝罪だけはさせてください。あの時のこと、本当に申し訳ありませんでした」


エリーザベトが再び頭を下げた。深く、長く。


私は立ち上がり、彼女のそばに歩み寄った。


「顔を上げて、エリーザベト」


彼女がゆっくりと顔を上げる。涙で濡れた頬を見て、私は小さく息をついた。


「三年前のこと、私は忘れていないわ。あの夜、どれほど悔しかったか。どれほど傷ついたか」


エリーザベトの顔が苦痛に歪んだ。


「でも」と私は続けた。「過去に囚われていては、前に進めない。あなたが本当に変わったのなら、私はそれを認めたい」


「皇后陛下……」


「許すとか許さないとか、そういう話じゃないの。ただ、これからどう生きるかが大切だと思う。あなたは、これからどうしたいの」


エリーザベトは目を伏せ、しばらく考え込んだ。


「私は……何か、人の役に立つことがしたいのです。叔母のように。でも、私には特別な才能がありません。魔道具も作れないし、政治もわからない」


「才能がなくても、できることはあるわ」


私の言葉に、エリーザベトが顔を上げた。


「公爵夫人は、北方支援の活動を続けているわ。人手が足りないと聞いている。あなたが手伝ってくれれば、助かるんじゃないかしら」


「私が……叔母のお手伝いを?」


「もちろん、公爵夫人の許可が必要だけれど。彼女に話してみたら?」


エリーザベトの目に、かすかな光が宿った。希望の光だ。


数週間後、公爵夫人から手紙が届いた。


エリーザベトが北方支援の活動に参加することになったという報告だった。最初は雑用から始めるが、彼女は熱心に働いているらしい。


「人は本当に変われるものですね」


マルタが手紙を読みながら呟いた。


「ええ。変わる機会と、変わろうとする意志があれば」


「皇后陛下は、お優しすぎるのではありませんか。三年前のことを思えば、もっと厳しくされてもよかったのに」


私は窓の外を見ながら微笑んだ。


「厳しくして、何になるの。彼女を罰しても、誰も幸せにならない。でも、彼女が変わって、誰かの役に立てるようになれば、それは意味のあることだわ」


マルタは何か言いたげだったが、結局は「さようでございますね」と頷いただけだった。


さらに一ヶ月後、私は一つの決断を下した。


「茶会を開きたいの」


アレクセイに相談すると、彼は興味深そうに眉を上げた。


「茶会?」


「ええ。三年前、私が初めて宮廷の茶会に出席したとき、公爵夫人に冷遇されたでしょう。あの時と同じ場所で、今度は私が主催する茶会を開きたいの」


「復讐か?」


「違うわ」私は首を振った。「和解よ。公爵夫人と、エリーザベトと、そして私。三人で、新しい始まりを祝う茶会」


アレクセイはしばらく考え込んでから、ゆっくりと頷いた。


「いい考えだ。過去を清算し、未来に向かう。君らしい」


「招待状を出していい?」


「もちろんだ。必要な手配は全てさせよう」


茶会の日、皇宮の温室は花で彩られていた。


三年前と同じ場所。あの時は緊張と不安でいっぱいだったこの場所が、今は温かな光に満ちている。


招待客は少人数に絞った。公爵夫人、エリーザベト、アイゼンハルト伯爵夫人、そして数名の親しい貴婦人たち。大規模な社交ではなく、親密な集まりにしたかった。


「皇后陛下、本日はお招きいただきありがとうございます」


公爵夫人が優雅に挨拶した。その隣には、エリーザベトが緊張した面持ちで立っている。


「ようこそ。今日は堅苦しい話は抜きにして、楽しみましょう」


私は皆を席に案内した。テーブルには、帝国各地の銘菓と香り高い紅茶が並んでいる。


最初はぎこちなかった空気も、少しずつほぐれていった。アイゼンハルト伯爵夫人が北方の話題を振り、公爵夫人が支援活動の成果を報告する。エリーザベトも、控えめながら会話に加わった。


「エリーザベト、最近はどう?」


私が話しかけると、彼女は少し驚いたように顔を上げた。


「おかげさまで、充実した日々を送っております。北方の村々を訪れ、物資を届ける仕事は、思っていた以上にやりがいがあります」


「大変じゃない?」


「大変です。でも、村人たちの笑顔を見ると、疲れが吹き飛びます。これまで、私は何のために生きているのかわからなかった。今は、少しだけわかる気がします」


エリーザベトの言葉には、静かな誇りが滲んでいた。三年前の高慢な令嬢は、もはやどこにもいない。


公爵夫人が微笑んだ。


「エリーザベトは本当に変わりました。皇后陛下のおかげです」


「私は何もしていないわ。変わったのは彼女自身よ」


「いいえ」エリーザベトが首を振った。「皇后陛下が機会を与えてくださったから、私は変われたのです。あの日、謝罪を聞いてくださり、叔母の手伝いを勧めてくださった。あれがなければ、私はまだ過去に囚われていました」


茶会が終わりに近づいた頃、私は立ち上がって皆に語りかけた。


「今日、皆さんをお招きしたのは、一つの区切りをつけたかったからです」


全員の視線が私に集まった。


「三年前、この場所で、私は初めて帝国の社交界に足を踏み入れました。あの時、私はよそ者でした。成り上がり者と蔑まれ、冷遇されました」


公爵夫人が目を伏せた。エリーザベトも、気まずそうに視線を逸らす。


「でも、今は違います。私はこの国の皇后として、皆さんと同じ場所に立っています。そして、かつて敵だった方々が、今は味方になってくださっている」


私は公爵夫人を見つめた。


「公爵夫人、あなたは孫娘の命を私に託してくださいました。それは、私にとって大きな意味がありました。かつての確執を乗り越え、信頼を寄せてくださったことに、心から感謝しています」


公爵夫人の目に涙が浮かんだ。


「エリーザベト、あなたは過去の過ちを認め、償おうとしています。その勇気を、私は尊敬します。これからも、自分の道を歩んでください」


エリーザベトが深く頷いた。


「過去は変えられません。でも、未来は変えられます。今日のこの茶会が、新しい始まりになれば嬉しいです」


私はグラスを掲げた。


「帝国の未来に」


「帝国の未来に」


全員がグラスを掲げ、唱和した。温室に柔らかな光が差し込み、花々が風に揺れた。


茶会の後、一人で庭園を歩いていると、アレクセイが追いかけてきた。


「いい茶会だったな」


「見ていたの?」


「少しだけ。君の演説、感動した」


私は苦笑した。


「演説なんて大げさよ。ただ、思っていることを話しただけ」


「それが一番難しい。君は、いつも自然体だ」


アレクセイが私の手を取った。


「リーゼ、君のおかげで、帝国は変わりつつある。公爵夫人もエリーザベトも、君がいなければ変われなかった」


「私は、機会を与えただけよ。変わったのは彼女たち自身」


「その機会を与えることが、どれほど難しいか。普通は、過去の恨みに囚われて、相手を許せない。君は違った」


私はアレクセイの目を見つめた。


「七年間、私は届かない手紙を書き続けた。その間、何度も諦めそうになった。何度も、恨みに身を任せそうになった。でも、そうしなかった」


「なぜ?」


「恨んでも、何も生まれないから。前に進むためには、過去を手放さなければならない。それを、あの七年間で学んだの」


アレクセイが私を抱きしめた。


「君は強いな」


「強くなんてないわ。ただ、諦めが悪いだけ」


私たちは笑い合った。庭園の花々が風に揺れ、甘い香りが漂っている。


三年前、この場所で私は屈辱を味わった。今、同じ場所で、私は和解を祝っている。時間は、全てを変える。人も、関係も、想いも。


でも、変わらないものもある。アレクセイへの愛。カタリーナへの愛。そして、この国を良くしたいという想い。


それさえあれば、どんな困難も乗り越えられる。私は、そう信じていた。

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