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婚約七年目、悪役令嬢は本日をもって卒業します   作者: 九葉(くずは)
第3章

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第27話 母の真実

カタリーナの熱が下がり、日常が戻ってきた頃、思いがけない知らせが届いた。


「皇后陛下、ローゼンベルク伯爵様からの書簡でございます」


マルタが差し出した封書には、見慣れた家紋が押されていた。父からの手紙だ。帝国に嫁いでから、父とは定期的に文通を続けている。しかし今回の封書は、いつもより分厚かった。


封を開けると、父の手紙と共に、古びた紙の束が入っていた。


「これは……」


手紙を読み進めて、私は息を呑んだ。


『リーゼロッテへ


先日、屋敷の書斎を整理していたところ、お前の母が遺した品々の中から、これまで見つけられなかったものが出てきた。お前の母、エリザベートが書き残した日記と手紙の束だ。


私はこれまで、お前の母の死について多くを語ってこなかった。それは、語ることが辛かったからだ。しかし、お前も今は一国の皇后となり、自分の娘を持つ母となった。真実を知る権利があると思う。


同封したものを読んでほしい。そして、お前の母がどのような人であったか、知ってほしい。


父より』


私は震える手で、古い紙の束を広げた。


母の日記だった。私が生まれる前から、母が亡くなる直前まで。黄ばんだ紙には、優しく丁寧な筆跡で、日々の出来事が綴られていた。


最初のページには、父との出会いが書かれていた。


『今日、舞踏会でローゼンベルク伯爵様にお会いした。無愛想な方だと聞いていたけれど、話してみると意外にも優しい方だった。魔道具の話をしたら、目を輝かせて聞いてくださった。もしかしたら、この方となら……』


母も、魔道具に興味があったのだ。私は知らなかった。


ページをめくり続ける。父との婚約、結婚、そして私の誕生。母の日記は、幸せに満ちていた。


『今日、娘が初めて笑った。なんて愛らしいのだろう。この子のためなら、私は何でもできる』


『リーゼロッテが初めて歩いた。転んでも泣かずに、また立ち上がる。この子は強い子になる』


『リーゼロッテが私の工房に興味を持ち始めた。まだ三歳なのに、魔道具を不思議そうに眺めている。この子にも、才能があるのかもしれない』


母には工房があったのだ。私は、そのことさえ知らなかった。


日記を読み進めるうちに、母の体調が悪化していく様子が見えてきた。


『最近、咳が止まらない。医師は安静にするようにと言うけれど、リーゼロッテの相手をしなければ』


『熱が続いている。でも、リーゼロッテの前では元気に振る舞わなければ。あの子を心配させたくない』


『もう長くないかもしれない。でも、まだ伝えなければならないことがある。リーゼロッテに、私の研究を……』


最後の数ページは、震える筆跡で書かれていた。


『リーゼロッテへ。これを読んでいるということは、私はもうこの世にいないのでしょう。


あなたに伝えたいことがあります。私は、魔道具の研究者でした。表向きは伯爵夫人として社交界に出ていましたが、本当の私は、工房で魔道具を作ることに生きがいを感じていました。


あなたには、私と同じ才能があります。幼い頃から、あなたが魔道具に興味を示していたのを、私は見ていました。その才能を、どうか大切にしてください。


私が研究していたのは、魔力の効率的な変換方法です。魔石から魔力を引き出し、それを光や熱に変える技術。私の研究は未完成のまま終わってしまいますが、いつかあなたが引き継いでくれると信じています。


あなたを愛しています。私の娘であることを、誇りに思っています。


母より』


気がつくと、涙が頬を伝っていた。


母は、私と同じだったのだ。魔道具を愛し、研究に没頭し、そしてその才能を私に託そうとしていた。


「皇后陛下、いかがなさいましたか」


マルタの声に顔を上げると、彼女が心配そうにこちらを見ていた。


「母の日記が見つかったの。父が送ってくれた」


「奥様の……」


「母も、魔道具を研究していたのよ。私、知らなかった」


マルタは黙って私の傍らに立った。その静かな存在が、今は何よりも心強かった。


日記の束の中に、もう一つ、別の紙が挟まれていた。図面のようなものだ。広げてみると、それは魔道具の設計図だった。


母が描いた設計図。そこには、魔力を光に変換する装置の詳細が記されていた。その構造は、私が開発した暖房魔道具や結界魔道具と、驚くほど似ていた。


「二段階変換……」


私の得意とする技術。魔力を直接目的のものに変えるのではなく、一度別のものを経由させることで効率を上げる方法。母は、同じ発想に辿り着いていたのだ。


「お母様も、同じことを考えていたのね」


私は設計図を胸に抱きしめた。母の温もりが、紙越しに伝わってくるような気がした。


その夜、アレクセイに母の日記のことを話した。


彼は黙って聞いていた。私が話し終えると、静かに口を開いた。


「君の才能は、お母上から受け継いだものだったんだな」


「そうみたい。私、ずっと知らなかった。母が魔道具を研究していたなんて」


「お父上は、なぜ今まで黙っていたのだろう」


「たぶん、辛かったんだと思う。母を亡くした悲しみを、思い出したくなかったのかもしれない」


アレクセイは頷いた。


「俺も、姉上のことを長い間話せなかった。話すと、失った痛みが蘇るから」


「でも、今は話せるようになった」


「君のおかげだ。君が姉上の研究を引き継いでくれているから、姉上の存在を肯定的に捉えられるようになった」


私はアレクセイの手を取った。


「私たちは、先人が遺したものを引き継いでいるのね。カタリーナ皇女の研究も、私の母の才能も」


「そうだな。そして、それをカタリーナに引き継いでいく」


「ええ」


窓の外では、月が静かに輝いていた。母が見ていたのと同じ月だろうか。カタリーナ皇女が見上げていたのと同じ月だろうか。


「母の設計図を完成させたい」


私の言葉に、アレクセイが顔を上げた。


「お母上の?」


「ええ。母が未完成のまま遺した研究。それを完成させて、母の名前で発表したい。母が本当は何者だったのか、世界に知らせたいの」


アレクセイは微笑んだ。


「いい考えだ。君のお母上は、きっと喜ぶ」


翌日から、私は母の設計図の解読に取り組んだ。


二十年以上前の図面は、用語や記号が現在とは少し異なっている。しかし、基本的な発想は理解できた。母は、私と同じ道を歩いていたのだ。


「マルタ、この記号の意味、わかる?」


「少々お待ちください。古い文献を調べてまいります」


マルタが書庫へ走っていく。その後ろ姿を見送りながら、私は設計図に向き直った。


母の筆跡を追いながら、私は不思議な感覚に包まれていた。まるで、母と一緒に研究しているような気がする。二十年の時を超えて、母娘で同じ課題に取り組んでいる。


「お母様、見ていてね」


小さく呟いて、私は作業を続けた。


数日後、カタリーナが私の工房を訪ねてきた。


すっかり元気になった娘は、好奇心に満ちた目で工房の中を見回している。


「お母様、何を作っているんですか?」


「おばあ様の設計図を完成させようとしているのよ」


「おばあ様の?」


私は娘に、母のことを話した。魔道具を愛した女性だったこと。私に才能を託して亡くなったこと。そして、未完成の研究を遺していたこと。


カタリーナは真剣な表情で聞いていた。


「おばあ様も、お母様みたいな人だったんですね」


「そうね。私は母に似ているのかもしれない」


「私も、お母様に似ていますか?」


娘の問いに、私は微笑んだ。


「ええ、とてもよく似ているわ。魔道具が好きなところも、頑固なところも」


「頑固じゃありません!」


「そういうところが頑固なのよ」


カタリーナはむくれた顔をしたが、すぐに笑い出した。私も一緒に笑った。


「お母様、私にも手伝わせてください。おばあ様の研究」


「いいわ。でも、まずは基礎からね」


「はい!」


娘の元気な返事を聞きながら、私は母のことを思った。母が私に託したもの。それを今、私は娘に伝えようとしている。


三代にわたる絆。それは、血よりも濃いものかもしれない。


夕暮れ時、工房の窓から夕日が差し込んでいた。


カタリーナは疲れて眠ってしまい、マルタが寝室に運んでいった。私は一人、母の設計図を眺めていた。


「お母様、私ね」


誰もいない工房で、私は語りかけた。


「幸せになったわ。あなたが心配していたような孤独な人生じゃなくて、愛する人と、愛する娘と、一緒に生きているの」


返事はない。当然だ。でも、窓から吹き込む風が、まるで母の声のように感じられた。


「あなたの研究は、私が完成させる。そして、カタリーナに引き継ぐ。あなたの孫娘に。あなたの名前は、忘れられない。私が、そうさせないから」


夕日が沈んでいく。オレンジ色の光が、母の設計図を照らしている。


私は静かに立ち上がり、工房を後にした。明日も研究は続く。母の遺志を継ぐために。そして、娘に未来を託すために。


七年前、私は届かない手紙を書き続けていた。今、私は別の形で言葉を紡いでいる。魔道具という形で、想いを伝えている。


母から私へ。私から娘へ。受け継がれるものは、形を変えながらも、決して途切れることはない。


それが、私たちの絆なのだと、今は信じられた。

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