第21話 六年目の春
第3章スタートです!!
ぜひ楽しんでいってくださいー!!
結婚から六年目の春を迎えた。
帝都シュヴァルツェンベルクは、長い冬を終えて柔らかな日差しに包まれている。皇宮の庭園では、アイゼンブルーメが青い花弁を風に揺らし、小鳥たちが賑やかに歌っていた。
「お母様、見て。お花が咲いたよ」
娘のカタリーナが、庭園を駆け回りながら声を上げた。黒い髪を二つに結い、青い目を輝かせて花から花へと飛び移っていく。六歳になった娘は、毎日が冒険で満ちているようだった。
「カタリーナ、走ると転びますよ」
「大丈夫。カタリーナは強いもの」
娘は振り向きもせずに答えた。その姿を見て、私は思わず微笑んでしまう。誰に似たのか、この子は頑固で、一度決めたことは絶対に曲げない。
「お嬢様……いえ、皇后陛下。姫様はお元気でいらっしゃいますね」
隣に立つマルタが、呆れたような、嬉しいような声で言った。六年経った今でも、マルタは私の傍にいてくれる。髪に少し白いものが交じり始めたが、その鋭い観察眼と茶目っ気は変わらない。
「元気が一番よ。それに、あの子には私にはなかった自由がある。のびのび育ってほしいの」
「陛下のお心遣い、姫様もいつか分かる日が来るでしょう」
庭園のベンチに座り、娘を見守る。この穏やかな時間が、かつての私には想像もできなかったものだと、時々思い出す。
午後、私は工房にいた。
皇宮の東棟にある私専用の工房は、六年前よりさらに設備が充実している。帝国中から集められた最新の器具、世界各地の素材、そして壁一面に並んだ設計図。ここは私の城であり、私の戦場だ。
今日は照明魔道具の改良に取り組んでいた。三年前に技術者協会で披露したものを、さらに効率化する試みだ。魔石の消耗を五分の一まで抑えられれば、帝国中の家庭に普及させることも夢ではない。
「お母様」
扉の隙間から、小さな顔が覗いた。カタリーナだ。
「あら、どうしたの。マルタと一緒じゃなかったの」
「マルタはお昼寝しろって言ったけど、カタリーナは眠くないの。お母様のお部屋に来たかったの」
娘は許可も得ずに工房に入ってきて、物珍しそうに周囲を見回した。きらきらした器具、不思議な形の素材、紙に描かれた複雑な図面。その全てが、幼い目には魔法のように映るのだろう。
「これ、なあに」
カタリーナが作業台の上の試作品を指さした。
「照明の魔道具よ。暗い場所を明るくするの」
「すごい。お母様が作ったの」
「ええ。まだ完成していないけれど」
娘は試作品をじっと見つめていた。その真剣な眼差しに、私は少し驚いた。普段は落ち着きのない子なのに、魔道具を前にすると別人のように集中する。
「カタリーナも作りたい」
「え」
「お母様みたいに、すごいもの作りたい」
その夜、夕食の席でカタリーナの言葉をアレクセイに伝えた。
「あの子が魔道具に興味を持ったのか」
アレクセイは驚いた様子だったが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「君に似たのだな」
「どうかしら。私があの子の歳の頃は、まだ魔道具のことなど何も知らなかったわ」
「しかし、才能の芽は早くから出るものだ。姉もそうだった」
アレクセイの声が、少し遠くなった。姉、カタリーナ皇女。娘の名前の由来となった、十六年前に亡くなった女性。
「姉は体が弱くて、外で遊ぶことができなかった。その代わり、部屋で本を読んだり、魔道具をいじったりしていた。私に色々なことを教えてくれたのも、姉だった」
「ダンスも、お姉様が」
「ああ。下手くそな弟に、何度も足を踏まれながらね」
アレクセイは懐かしそうに笑った。その目には、悲しみと優しさが入り混じっている。
「カタリーナが魔道具に興味を持ったのは、きっと姉の導きだ。あの子には姉の名前をつけた。その名前が、才能と共に受け継がれていくのかもしれない」
「そうだといいわね」
私はアレクセイの手を握った。六年経っても、この温もりは変わらない。むしろ、年月を重ねるごとに深まっていく気がする。
「君との家族が、私の全てだ」
アレクセイが静かに言った。
「皇帝としての務めも、帝国の繁栄も、大切だ。しかし、君とカタリーナがいなければ、私は空っぽだ」
「アレクセイ……」
「だから、ありがとう。私の傍にいてくれて」
その言葉に、胸が温かくなった。七年間待ち続けた私に、神様はこの人を与えてくれた。この幸せを、私は決して手放さない。
翌日、マルタが報告を持ってきた。
「皇后陛下、一つお伝えしておくことがございます」
「何かしら」
「シュタインベルク公爵夫人が、社交界に復帰されるそうです」
私は手を止めた。シュタインベルク公爵夫人。三年前、社交界追放を命じられた女性。私を陥れようとし、失敗した女性。
「三年の追放期間が、もう終わったのね」
「はい。来月の春季茶会から、公の場に姿を現すとのことです」
三年。長いようで、短い時間だった。あの冬至祭の舞踏会から、もう三年も経ったのか。
「公爵夫人は、今どのような状況なの」
「詳しくは分かりませんが、追放中はほとんど領地に籠もっておられたようです。社交界との接触は最低限に抑え、静かに過ごしていたと」
「そう……」
私は窓の外を見た。庭園では、カタリーナが侍女たちと遊んでいる。あの頃の私には、こんな平和な日々は想像もできなかった。
「陛下、いかがなさいますか」
「何も。過去は過去よ。公爵夫人が何をしようと、私には関係ない」
「かしこまりました」
マルタは頷いたが、その目には少し心配の色があった。
「ただ、念のため情報収集は続けます。何か動きがあれば、すぐにお伝えいたします」
「お願いね、マルタ」
私は再び作業に戻った。しかし、心のどこかに小さなさざ波が立っていた。
公爵夫人が戻ってくる。あの女性は、変わっただろうか。それとも、まだ私を敵視しているのだろうか。
考えても仕方がない。今の私には、守るべきものがある。夫がいる、娘がいる、帝国での居場所がある。三年前の私より、はるかに強くなっている。
窓の外で、カタリーナの笑い声が響いた。
「お母様、見て。お花摘んだの」
娘が窓に向かって手を振っている。その手には、青いアイゼンブルーメが握られていた。
「きれいね、カタリーナ」
私は窓を開けて、娘に微笑みかけた。この子のために、私は何があっても立ち続ける。それが母としての、私の決意だ。
その夜、カタリーナを寝かしつけた後、私はアレクセイの執務室を訪ねた。
「公爵夫人の件、聞いたか」
「ええ。マルタから」
「気にしているのか」
「少しだけ」
正直に答えた。アレクセイは椅子から立ち上がり、私の傍に来た。
「三年前、君は自分の力で彼女を退けた。今の君は、あの時よりさらに強い。何も恐れることはない」
「分かっています。でも……」
「でも?」
「あの人が変わっていたらいいと、少し思うの。ずっと敵のままでいるより、和解できた方がいい」
アレクセイは少し驚いた顔をした。そして、優しく微笑んだ。
「君は、本当に優しいな」
「優しいのではないわ。ただ、争いに疲れただけ」
「それでも、敵を許そうとする心は、誰にでも持てるものではない」
アレクセイが私を抱き寄せた。その腕の中は、どこよりも安心できる場所だった。
「何があっても、私は君の傍にいる。それだけは、忘れないでくれ」
「ええ。分かっているわ」
窓の外では、春の夜風がアイゼンブルーメを揺らしていた。新しい季節が始まる。何が起きるか分からないが、私は前を向いて歩いていく。
三年前、国境を越えてこの国に来た。あの時の私は、何も持っていなかった。でも今は違う。愛する家族がいる、信頼できる仲間がいる、自分の力で築いた居場所がある。
だから、何も恐れない。




