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婚約七年目、悪役令嬢は本日をもって卒業します   作者: 九葉(くずは)
第2章

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第20話 永遠の約束

結婚式の朝、私は夜明けと共に目を覚ました。


窓の外には、薄紅色の空が広がっている。雲一つない快晴だ。まるで天が、この日を祝福してくれているかのようだった。


「お嬢様、おはようございます」


マルタが静かに部屋に入ってきた。その手には、温かい紅茶が載せられた盆がある。


「今日は、長い一日になります。まずはお茶を一杯」


「ありがとう、マルタ」


紅茶を一口飲むと、体が芯から温まった。緊張で強張っていた肩の力が、少しだけ抜ける。


「王国からの妨害は……」


「今のところ、動きはないようです。昨夜、アイゼンハルト伯爵夫人が王国の反摂政派と連絡を取ったとのことですが、詳細はまだ分かりません」


私は頷いた。今は、目の前のことに集中するしかない。


「では、準備を始めましょう」


花嫁の支度は、三時間以上かかった。


まず、香油を入れた湯で体を清める。次に、絹の肌着を身につけ、その上から何層もの衣装を重ねていく。帝国の皇后の婚礼衣装は、想像以上に重く、一人では着られないものだった。


「お嬢様、次は髪でございます」


マルタと、数人の侍女たちが私の髪を整え始めた。帝国式の結い上げは複雑で、金の髪飾りと真珠の簪で飾られていく。


「お嬢様、とてもお美しゅうございます」


マルタの声が、僅かに震えていた。鏡を見ると、見知らぬ女性が映っていた。いや、これが私なのだ。七年間、誰にも見向きもされなかった令嬢が、今日、帝国の皇后になる。


「マルタ」


「はい」


「ここまで来られたのは、あなたのおかげよ」


「とんでもございません。全てはお嬢様ご自身の力でございます」


「いいえ。あなたがいなければ、私は何度も諦めていた。本当に、ありがとう」


マルタの目に、涙が光った。しかし、彼女はすぐにいつもの表情を取り戻した。


「さあ、お嬢様。陛下がお待ちでございます」


控えの間に移ると、父が待っていた。


正装に身を包んだ父は、私の姿を見て息を呑んだ。しばらく何も言えないようだった。


「お父様……」


「立派になったな」


父の声は低く、静かだった。しかし、その目には涙が浮かんでいた。


「お前の母が生きていれば、どれほど喜んだことか」


「お母様……」


「あいつに似ている。今日のお前は、あいつにそっくりだ」


私は母の顔を思い出した。優しくて、強くて、いつも笑っていた母。私が十二歳の時に亡くなった、大好きだった母。


「お母様も、見ていてくださっているでしょうか」


「ああ。きっと、空の上から見守っている」


父が私の手を取った。その手は、昔より少し痩せていたが、温かかった。


「リーゼロッテ。お前を誇りに思う」


「お父様……」


「さあ、行こう。皇帝陛下が待っている」


大聖堂への道は、白い花びらで埋め尽くされていた。


帝都の民衆が沿道に並び、私たちを祝福している。歓声と拍手の中を、父と腕を組んで歩く。足が震えそうになったが、必死に堪えた。


大聖堂の扉が開いた。そこには、数百人の招待客が並んでいる。帝国の貴族たち、各国の外交官たち、そして最前列には、アイゼンハルト伯爵夫人の姿もあった。


祭壇の前に、アレクセイが立っていた。


黒と金の正装に身を包み、胸には皇帝の勲章が光っている。しかし、私の目を引いたのは、彼の表情だった。真剣で、緊張していて、そして……幸福に満ちていた。


父と共に、長い回廊を歩いていく。一歩一歩が、新しい人生への一歩だ。七年間の孤独、苦しみ、悲しみ。その全てを乗り越えて、私は今ここにいる。


祭壇の前で、父が私の手をアレクセイに渡した。


「陛下。娘を、よろしくお願いいたします」


「お預かりいたします。必ず、幸せにします」


父が頷き、席に下がった。私はアレクセイと向き合い、彼の手を握った。


「緊張しているか」


アレクセイが小さく囁いた。


「少しだけ」


「私もだ」


二人で、少しだけ笑い合った。


式が始まろうとした、その時だった。


大聖堂の扉が、勢いよく開かれた。


「待ってください!」


声と共に、数人の人物が駆け込んできた。先頭にいるのは、見覚えのある老人だった。ローゼンハイム王国の国王陛下だ。


「陛下……」


私は息を呑んだ。王国の国王が、なぜここに。


国王陛下は祭壇の前まで歩み寄り、深く一礼した。


「帝国皇帝陛下、リーゼロッテ嬢。突然の訪問をお許しください」


「国王陛下、これは一体……」


アレクセイの問いに、国王陛下は苦い表情で答えた。


「摂政の暴走を止めるのに、時間がかかりました。しかし、今朝方、ようやく軟禁を解かれ、ここに駆けつけることができました」


「軟禁を解かれた、とは」


「反摂政派の貴族たちが、王宮を包囲しました。アイゼンハルト伯爵夫人からの連絡を受け、決起したのです」


私は伯爵夫人の方を見た。彼女は小さく頷いた。昨夜の連絡が、功を奏したのだ。


「摂政は拘束されました。昨日の異議申し立ては、全て撤回いたします。そして、私は今日、王国を代表してこの結婚式を祝福するためにここに来ました」


会場にざわめきが広がった。国王陛下は私の方を向き、深く頭を下げた。


「リーゼロッテ嬢。王家の名において、改めてお詫び申し上げます。貴女を苦しめたこと、そして今回の騒動を引き起こしたこと。全ては、我々の不徳の致すところです」


「陛下、どうかお顔をお上げください」


「いいえ。これは言わねばなりません」


国王陛下は顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見た。


「貴女は、王国の誇りです。その才能を、どうか帝国のために使ってください。そして、幸せになってください」


私は深く一礼した。


「ありがとうございます、陛下」


式が再開された。


大神官が祈りの言葉を唱え、私たちは聖水で清められた。そして、誓いの時が来た。


「アレクセイ・フォン・ヴァルトシュタイン。汝は、この女性を妻として迎え、生涯愛し、守り、共に歩むことを誓うか」


「誓います」


アレクセイの声は、堂々としていた。


「リーゼロッテ・ローゼンベルク。汝は、この男性を夫として迎え、生涯愛し、支え、共に歩むことを誓うか」


「誓います」


私の声も、震えなかった。


「では、指輪の交換を」


アレクセイが私の手を取り、薬指に指輪を嵌めた。金の輪に、小さな青い宝石が埋め込まれている。アイゼンブルーメの色だ。


「この指輪は、私の誓いの証だ。君を永遠に愛し、守り続けると」


私もアレクセイの薬指に指輪を嵌めた。


「この指輪は、私の誓いの証です。あなたを永遠に愛し、支え続けると」


大神官が高らかに宣言した。


「ここに、新たな皇帝と皇后の誕生を宣言する。神の祝福あれ」


会場から、割れんばかりの拍手が起こった。


「君にキスしてもいいか」


アレクセイが小さく囁いた。


「ここで?」


「伝統だ。皇帝と皇后は、式の最後にキスを交わす」


私は少し恥ずかしくなったが、頷いた。


アレクセイは私の頬に手を添え、そっと唇を重ねた。柔らかく、温かく、そして深い愛情を感じるキスだった。


会場の拍手が、さらに大きくなった。


「愛している、リーゼ」


「私も愛しています、アレクセイ」


私たちは手を取り合い、会場に向かって一礼した。そこには、祝福の笑顔が溢れていた。父の顔、マルタの顔、伯爵夫人の顔、そして国王陛下の顔。全ての人が、私たちの幸せを祝っていた。


式の後、披露宴が開かれた。


大広間には豪華な料理が並び、楽団が優雅な音楽を奏でている。私たちは招待客一人一人に挨拶をし、祝福の言葉を受けた。


「リーゼロッテ様」


国王陛下が近づいてきた。


「改めて、おめでとうございます」


「ありがとうございます、陛下」


「王太子……いえ、元王太子は、辺境の修道院に送られました。二度と、貴女の前に現れることはないでしょう」


私は小さく頷いた。


「彼を恨んではおりません。全ては、過去のことです」


「貴女は、本当に強い方だ」


国王陛下は感慨深げに言った。


「帝国皇帝陛下は、良い伴侶を得られた。羨ましい限りです」


「陛下こそ、どうかお体をお大事に」


国王陛下が去った後、アレクセイが私の傍に来た。


「疲れていないか」


「少しだけ。でも、幸せで疲れなど感じません」


「そうか。良かった」


アレクセイは私の手を取った。


「最初のダンスを、一緒に踊ってくれるか」


「もちろんです」


楽団が新しい曲を奏で始めた。帝国式のワルツだ。


私たちは大広間の中央に立ち、踊り始めた。あの日、大使館で教わったステップ。何度も躓いて、笑い合ったあの時間。今では、完璧に踊れるようになっていた。


「あの時は、こうなるとは思わなかった」


アレクセイが囁いた。


「どういうことですか」


「大使館で、君にダンスを教えた時だ。あの時は、君が妃になってくれるかどうかも分からなかった」


「私も、同じでした。あの時は、まだ怖かったから」


「今は?」


「今は、怖くありません。あなたが傍にいてくれるから」


アレクセイの目が、優しく輝いた。


「これからも、ずっと傍にいる。何があっても」


「私も、ずっと傍にいます。何があっても」


音楽に合わせて、二人で回る。周囲の視線など、もう気にならなかった。この瞬間、世界には私たち二人しかいないような気がした。


披露宴が終わり、夜が更けた頃、私たちは皇宮のバルコニーに出た。


眼下には、帝都の夜景が広がっている。無数の灯りが、星のように瞬いていた。空を見上げると、本物の星々も輝いている。


「長い一日だったな」


「ええ。でも、最高の一日でした」


私はアレクセイの腕に寄り添った。彼の温もりを感じながら、夜空を見上げる。


「七年前、私は一人で夜空を見上げていました」


「そうか」


「誰にも見向きもされず、誰にも必要とされず。ただ、星だけが友達でした」


「今は?」


「今は、あなたがいます」


私はアレクセイの方を向いた。


「あなたに出会えて、本当に良かった。あなたが私を見つけてくれて、私を選んでくれて。それが、私の人生で最も幸せなことです」


「私も同じだ。君に出会えて、君を愛することができて。それが、私の人生で最も幸せなことだ」


アレクセイが私を抱き寄せた。その腕の中は、どこよりも安全で、温かかった。


「これからの人生を、君と一緒に歩いていく」


「はい。一緒に」


私たちは、もう一度キスを交わした。星空の下、二人だけの誓いを。


バルコニーの下、庭園ではアイゼンブルーメが夜風に揺れていた。鉄の花、寒い場所でも咲く強い花。私はもう、一人で咲いているのではない。隣に、一緒に咲いてくれる人がいる。


七年間、待ち続けた。七年間、作り続けた。七年間、信じ続けた。そして今、ようやく辿り着いた。私の居場所に、私を愛してくれる人のもとに。


「アレクセイ」


「何だ」


「幸せです」


「私もだ。これからも、ずっと」


夜空に、流れ星が一つ輝いた。私は目を閉じ、願いを込めた。


この幸せが、永遠に続きますように。


〜 Fin 〜


エピローグ


結婚式から一年後、帝国に新しい命が誕生した。


黒い髪と青い目を持つ女の子。私たちは彼女に、カタリーナという名前をつけた。アレクセイの姉の名前だ。


「お母様、見て。お花」


三歳になったカタリーナが、庭園で花を摘んでいる。その手には、青いアイゼンブルーメが握られていた。


「綺麗ね、カタリーナ」


「お父様にあげるの」


「そう。お父様、喜ぶわね」


私は娘を抱き上げ、皇宮に向かって歩いた。執務室では、アレクセイが待っている。


「ただいま」


「おかえり。カタリーナ、お花を持っているのか」


「お父様に」


「ありがとう。とても嬉しいよ」


アレクセイは娘を抱き上げ、その頬にキスをした。カタリーナは嬉しそうに笑った。


「リーゼ」


「何」


「幸せだ」


「私も」


窓の外には、春の日差しが輝いている。庭園では、アイゼンブルーメが風に揺れていた。


七年分の手紙は、届かなかった。でも、私の想いは届いた。国境を越えて、時を越えて、正しい人のもとに届いた。


そして今、私たちは幸せに暮らしている。これからも、ずっと。

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