第2話 天才と詐欺師
卒業式から五日が経った。
帝国大使館の大広間は、王宮にも劣らない豪華さだった。黒い大理石の床、金の燭台、天井から下がるシャンデリア。王国の白を基調とした華やかさとは違う、重厚な威厳がある。
私がこの場にいるのは、招待状が届いていたからだ。婚約破棄より前に発送されたもので、宛名には「王太子妃候補」の肩書きがまだ残っていた。皮肉な話だ。
「リーゼロッテ様、大丈夫ですか」
隣に控えるマルタが、小声で囁く。幼い頃から私を知る彼女は、私の緊張を見抜いているのだろう。
「ええ。招待された以上、出席しないほうが失礼ですもの」
本音を言えば、気が重い。周囲の視線が痛いほどわかる。「婚約破棄された令嬢が、のこのこと現れた」——そんな囁きが、扇の陰から聞こえてくる。
でも、逃げるつもりはない。私は何も悪いことをしていないのだから。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
広間の中央で、声が響いた。王太子殿下だ。隣には、あのピンクブロンドの髪をした令嬢——ミレーヌ嬢が寄り添っている。
「本日は、聖女候補ミレーヌ嬢が開発した癒しの魔道具を、帝国の皆様にご披露いたします」
——開発?
私は眉をひそめた。聖女候補が魔道具を開発? 光魔法の使い手が、技術畑の仕事を?
ミレーヌ嬢が、恭しく布に包まれた品を取り出した。手のひらに乗る程度の、淡く光る球体。
その瞬間、私の目が凍りついた。
——あれは。
見覚えがある。いや、見覚えどころではない。あの形状、あの魔法陣の配置、あの光の脈動パターン。五年前、私が設計した医療用診断具の——模倣品だ。
「この魔道具は、患者の体内の異常を光で示すものです。私の聖なる力を込めて作りました」
ミレーヌ嬢の声が、どこか遠くに聞こえる。
嘘だ。あれは「聖なる力」なんかじゃない。魔力を効率的に変換する回路設計の産物。私が何十回も試作を繰り返して、ようやく完成させた技術。
——でも、誰かが模倣したのだとしたら。
私は唇を噛んだ。今ここで「あれは私の設計だ」と叫んでも、証拠がない。嫉妬に狂った元婚約者の戯言だと笑われるだけだ。
ミレーヌ嬢が、帝国大使に向けて魔道具を起動させた。淡い光が広がり——
異音がした。
「——え?」
ミレーヌ嬢の顔が引きつる。魔道具が震え始めている。光の脈動が不規則になり、熱を帯び始めた。
暴走だ。
私は瞬時に理解した。設計を模倣しただけで、安全機構を理解していない。魔力の逆流を制御できていない。このままでは——
「きゃあっ!」
ミレーヌ嬢が魔道具を取り落とした。床に転がった球体が、危険な光を放ち始める。周囲の貴族たちが悲鳴を上げて後ずさる。
「何が起きている!」
王太子殿下が叫ぶ。でも、誰も対処できない。当然だ。あの設計の中身を知っているのは、この場で私だけなのだから。
——どうする。
口を出せば、嫉妬だと思われる。でも、このまま放置すれば、帝国大使が怪我をする。外交問題だ。王国の恥だ。
私は、一歩を踏み出していた。
「失礼します」
人垣をかき分け、床に転がる魔道具に手を伸ばす。
「何をしている、危ないぞ!」
誰かが叫んだ。無視した。
魔道具を手に取り、裏面の魔法陣を確認する。——やはり。安全弁の位置が間違っている。魔力の流れが逆転して、自己増幅を起こしている。
私は懐から小型のピンを取り出した。魔道具の隙間に差し込み、回路の一点を押さえる。
光が、すっと収まった。
数秒の作業だった。
私は魔道具の蓋を開け、内部を確認する。配線を二本入れ替え、魔法陣の一部を指で書き直す。もう一度蓋を閉じ、起動させた。
淡い光が、安定して灯る。
「……直った」
誰かが呟いた。
私は立ち上がり、魔道具をミレーヌ嬢に差し出した。
「安全機構の位置が設計図と異なっていたようです。応急処置ですが、これで問題なく動作するかと」
ミレーヌ嬢の顔が、蒼白になっていた。桃色の瞳が大きく見開かれ、唇が震えている。
「あ……あなた、なぜ……」
「この程度の魔道具でしたら、構造を見れば対処法は推測できます」
私は淡々と答えた。嘘ではない。ただし、「推測できる」のは私が設計者だからだ。
周囲がざわめく。好奇の目が、私に集まる。
「哀れな令嬢」が、「聖女候補の発明品」を直した。この意味を、誰もがゆっくりと理解し始めている。
* * *
晩餐会の喧騒から離れ、バルコニーで夜風に当たっていた時だった。
「見事だ」
低い声が、背後から聞こえた。
振り向くと、黒髪に紫の瞳——アレクセイ陛下が立っていた。夜闘の中、その姿は影のように溶け込みながらも、存在感だけは消えていない。
「……恐れ入ります」
「謙遜はいい」
陛下が、一歩近づいた。
「——L・R殿」
心臓が、跳ねた。
「最初から、わかっていたのですか」
私の声が、かすれる。
「確信したのは今日だ。だが、疑いは最初からあった」
陛下の紫の瞳が、まっすぐに私を見る。
「君の耳飾りは、流通品と微妙に違う。試作品特有の癖がある。そして、L・Rの作品が市場に出始めたのは七年前——君が十五歳の時だ。王太子との婚約が発表された年と一致する」
息を呑んだ。そこまで調べていたのか。
「さらに、今日の修理」
陛下が続ける。
「あの魔道具の内部構造を、一目で理解できる人間は限られる。設計者本人か、あるいは——設計者に匹敵する天才か。どちらにせよ、君が只者ではないことは明らかだ」
「……何が、お望みですか」
「帝国で発明を続ける気はないか」
唐突な提案に、言葉を失った。
「L・Rの作品は、我が帝国で七年前から高く評価されている。正規価格以上で購入してきた」
陛下の声は、淡々としている。でも、どこか熱を帯びていた。
「君の才能を正当に評価する場所がある。王国が見ないふりをしてきたものを、帝国は見ている」
私は、何と答えればいいかわからなかった。
これは外交だ。国益のための人材獲得。そう理解すべきだ。皇帝陛下が、一介の令嬢に個人的な興味を持つはずがない。
——でも。
陛下の視線が、一瞬だけ私の手に向けられた。発明作業で荒れた、タコだらけの手。
その視線に、侮蔑はなかった。
「……考えさせてください」
ようやく、それだけ絞り出した。
「急かすつもりはない。だが、忘れないでくれ」
陛下が、踵を返す。
「君の技術は、厚遇に値する。それを理解している人間が、ここにいる」
黒い背中が、広間の方へ消えていく。
私は、しばらくその場から動けなかった。
* * *
帰りの馬車に向かう途中、護衛騎士のクラウスが声をかけてきた。
「お嬢様、旦那様より伝言です」
「父から?」
「はい。『七年条項の件、いよいよ使う時が来たな』と」
私は足を止めた。
七年条項。婚約解消の根拠となった、あの契約条項。
——父は、まだ何か考えているのだろうか。
「……わかりました。帰ったら、父と話します」
馬車に乗り込みながら、私は今日の出来事を反芻していた。
ミレーヌ嬢の魔道具。アレクセイ陛下の提案。そして、父の伝言。
何かが、動き始めている。
七年間、私は待ち続けた。誰かが認めてくれるのを。誰かが手を差し伸べてくれるのを。
でも、もう待たない。
——自分の足で、歩き出す時が来たのだ。




