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婚約七年目、悪役令嬢は本日をもって卒業します   作者: 九葉(くずは)
第2章

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第16話 舞踏会の罠

慈善茶会から二週間後、帝国の冬至祭が近づいていた。


冬至祭は帝国最大の祝祭であり、皇宮で盛大な舞踏会が開かれる。今年は皇后候補である私の公式お披露目の場でもあり、帝国中の貴族が集まることになっていた。


「お嬢様、ドレスが届きました」


マルタが大きな箱を運んできた。中には、深い紫のドレスが入っている。帝国の職人が仕立てた最高級品で、銀糸の刺繍が星空のように散りばめられていた。


「綺麗……」


「陛下からのご依頼で作られたものでございます。お嬢様によくお似合いになると」


私は思わず微笑んだ。アレクセイは、いつも私のことを考えてくれている。


「ところで、マルタ。公爵夫人の動きは」


マルタの表情が少し曇った。


「相変わらず活発でございます。ただ、慈善茶会以降、表立った動きは控えているようです」


「裏で何かを企んでいる、ということね」


「その可能性が高いかと。舞踏会は絶好の機会ですから、何か仕掛けてくることを想定しておいた方がよろしいでしょう」


私は頷いた。油断はできない。公爵夫人は、一度や二度の失敗で諦めるような人物ではない。


冬至祭の前夜、アレクセイが私の部屋を訪ねてきた。


「明日の舞踏会、緊張しているか」


「少しだけ」


正直に答えると、アレクセイは微笑んだ。


「君がいれば、私は何も心配していない。ただ、一つだけ気をつけてほしいことがある」


「何ですか」


「シュタインベルク公爵夫人の姪、エリーザベト嬢が出席する」


「公爵夫人の姪……」


「ああ。本来なら私の妃候補だった女性だ。公爵夫人が最後の手段として、彼女を使ってくる可能性がある」


私は眉をひそめた。


「具体的には、どのような」


「分からない。ただ、エリーザベト嬢は演技が得意だと聞いている。何か騒ぎを起こして、君を悪者に仕立て上げるかもしれない」


「気をつけます」


アレクセイは私の手を取った。


「何があっても、私は君の味方だ。それだけは忘れないでくれ」


「はい」


その温もりが、私に勇気を与えてくれた。


冬至祭の夜、皇宮の大広間は光と音楽に満ちていた。


シャンデリアが無数の蝋燭で輝き、楽団が優雅な旋律を奏でている。色とりどりのドレスを纏った貴婦人たち、正装の紳士たち。帝国の華やかさが、この一夜に凝縮されているようだった。


私はアレクセイと共に、大広間に足を踏み入れた。


「帝国皇帝アレクセイ陛下、並びに皇后候補リーゼロッテ・ローゼンベルク嬢のご入場です」


係官の声が響き、会場の視線が一斉にこちらを向いた。私は背筋を伸ばし、アレクセイの腕に手を添えて歩いた。七年間、社交界の隅で息を潜めていた私が、今は大広間の中央を堂々と歩いている。


「美しいな」


アレクセイが小さく囁いた。


「ドレスがですか」


「君がだ」


その言葉に、頬が熱くなった。


舞踏会が始まり、私はアレクセイと最初のダンスを踊った。帝国式のステップはもう完璧に身についている。周囲から拍手が起こり、私は少し安心した。


しかし、その安心は長くは続かなかった。


ダンスが終わり、私がアレクセイから離れて飲み物を取りに行った時のことだ。


「あら、ローゼンベルク嬢」


声をかけてきたのは、若い女性だった。金髪を優雅に結い上げ、真紅のドレスを身に纏っている。その顔には、作り笑いが浮かんでいた。


「初めまして。エリーザベト・フォン・シュタインベルクと申します」


公爵夫人の姪。アレクセイが警告していた人物だ。


「初めまして、エリーザベト嬢」


「皇后候補になられたとか。おめでとうございます」


「ありがとうございます」


エリーザベト嬢は私の隣に立ち、同じように飲み物を手に取った。


「実は、少しお話ししたいことがございますの。よろしければ、あちらのバルコニーで」


私は一瞬迷った。罠かもしれない。しかし、ここで断れば、逃げたと思われる。


「ええ、構いませんわ」


私はマルタに目配せした。彼女は小さく頷き、少し離れた位置からついてきた。


バルコニーに出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。眼下には雪に覆われた庭園が広がり、月明かりに照らされて銀色に輝いている。


「綺麗な夜ですわね」


エリーザベト嬢が言った。私は黙って頷いた。


「単刀直入に申します。あなたには、陛下の傍にいる資格がありません」


予想通りの言葉だった。私は表情を変えずに答えた。


「その判断は、あなたがなさることではないと思いますが」


「私は幼い頃から、陛下のお妃になるために育てられました。帝国の歴史、礼儀作法、全てを完璧に身につけています。それを、外国から来た女に奪われるなんて……」


エリーザベト嬢の声が震えた。その目には、涙が光っている。


「エリーザベト嬢……」


「お願いです。身を引いてください。あなたがいなくなれば、全てうまくいくのです」


私はしばらく黙っていた。彼女の言葉には、確かに本心が混じっているように感じた。しかし、同時に違和感もあった。


「お気持ちは分かります。でも、私は身を引くつもりはありません」


「なぜですか」


「私は自分の意志でここにいます。アレクセイの求婚を受け入れたのも、私自身の選択です。他人に言われて覆すようなものではありません」


エリーザベト嬢の目から、涙がこぼれ落ちた。


「ひどい……あなたは、私の気持ちなど考えてもくれないのですね」


そして彼女は、突然大きな声を上げた。


「いやっ、やめてください!」


私は驚いて後ずさった。何が起きているのか分からなかった。


エリーザベト嬢は自分のドレスの袖を引き裂き、髪を乱した。そして、バルコニーの扉に向かって叫んだ。


「助けて!ローゼンベルク嬢に襲われています!」


大広間から人々が駆けつけてきた。先頭にいたのは、シュタインベルク公爵夫人だった。


「まあ、エリーザベト!大丈夫ですか!」


公爵夫人がエリーザベト嬢を抱きしめた。周囲の貴族たちが、私を非難するような目で見ている。


「ローゼンベルク嬢、これはどういうことですか」


公爵夫人の声には、勝ち誇った響きがあった。


「私は何もしていません。エリーザベト嬢が自分で……」


「自分で?自分でドレスを破り、自分で叫んだとでもおっしゃるのですか」


「そうです」


私は冷静に答えた。しかし、周囲の視線は厳しいままだった。証拠がなければ、私の言葉は通らない。


「皇后候補ともあろう方が、このような暴力を振るうとは。帝国の恥ですわ」


公爵夫人が大げさに嘆いた。周囲からざわめきが起こる。私は唇を噛んだ。このままでは、全てが終わってしまう。


「お待ちください」


静かな、しかし芯の通った声がした。振り向くと、マルタが前に進み出ていた。


「私は最初から、このバルコニーの様子を見ておりました。リーゼロッテ様は、一度もエリーザベト様に手を触れておりません」


「侍女の証言など、信用できません」


公爵夫人が切り捨てた。


「では、これはいかがでしょうか」


マルタが懐から小さな魔道具を取り出した。私は目を見張った。それは、記録用の魔道具だ。


「これは、音声と映像を記録する魔道具でございます。リーゼロッテ様がバルコニーに出られた時から、全てを記録しておりました」


会場が静まり返った。公爵夫人の顔から、血の気が引いていく。


「再生いたしましょうか」


マルタの問いに、誰も答えなかった。


「その必要はない」


低い声が響いた。アレクセイが人混みをかき分けて現れた。その表情は、怒りに満ちていた。


「陛下……」


公爵夫人が後ずさった。


「シュタインベルク公爵夫人。貴女の姪が何をしたか、全て記録されている。これ以上の弁解は無用だ」


「し、しかし陛下、これは誤解で……」


「誤解?」


アレクセイの声が、さらに低くなった。


「私の婚約者を陥れようとしたことが、誤解だと」


公爵夫人は何も言えなくなった。エリーザベト嬢は真っ青な顔で震えている。


「本来なら、この場で貴族の資格を剥奪してもいいところだ。しかし、冬至祭の夜に血を流すのは本意ではない」


アレクセイは会場全体を見渡した。


「シュタインベルク公爵夫人とその姪には、三年間の社交界追放を命じる。これ以上の陰謀が発覚した場合は、さらに厳しい処分を下す」


「陛下、お慈悲を……」


「これが慈悲だ。本来なら、もっと重い罰を与えるべきところだ」


公爵夫人とエリーザベト嬢は、うなだれたまま会場を去っていった。その背中を見送りながら、私は深く息を吐いた。


騒ぎが収まった後、アレクセイは私をダンスに誘った。


「大丈夫か」


「はい。マルタのおかげで助かりました」


「あの魔道具、君が作ったものだろう」


私は少し驚いた。


「どうして分かったのですか」


「設計が君の作品に似ていた。マルタに持たせていたのか」


「はい。万が一に備えて」


アレクセイは小さく笑った。


「君は本当に用心深いな。私の心配は杞憂だったようだ」


「いいえ、あなたが警告してくれたから、備えることができました」


音楽が流れ、私たちは踊り始めた。周囲の視線は、もう敵意を含んでいなかった。むしろ、尊敬や好奇心の色が混じっている。


「君の勝ちだ、リーゼ」


「私だけの勝ちではありません。あなたと、マルタと、私を信じてくれた人たちの勝ちです」


アレクセイは私を引き寄せ、耳元で囁いた。


「愛している」


「私も、愛しています」


シャンデリアの光の下、私たちは踊り続けた。長い戦いがようやく終わろうとしている。そして、新しい未来が始まろうとしていた。


窓の外では、雪が静かに降り続けていた。

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