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婚約七年目、悪役令嬢は本日をもって卒業します   作者: 九葉(くずは)
第2章

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第15話 陰謀の糸

カタリーナ皇女の命日から一週間が過ぎた頃、宮廷に不穏な空気が漂い始めた。


最初に気づいたのはマルタだった。


「お嬢様、少々気になることがございます」


夜の着替えを手伝いながら、マルタが切り出した。その声には、いつもの茶目っ気がなかった。


「何かあったの」


「シュタインベルク公爵夫人が、頻繁に他の貴族と密会しているようです。先日の茶会で冷遇された方々ばかりではなく、これまで中立だった家の方々とも接触しています」


「中立だった家まで……」


「それと、侍女頭のヴァイセンブルク様も、公爵夫人と連絡を取り合っているようです。直接会うのではなく、文通という形で」


私は鏡の前で手を止めた。侍女頭は最近、態度が軟化したように見えていた。しかし、それは見せかけだったのかもしれない。


「何を企んでいるのかしら」


「まだ分かりません。ですが、近いうちに何か仕掛けてくる可能性がございます」


「引き続き、調べてもらえる」


「もちろんでございます」


マルタが去った後、私は窓辺に立った。帝都の夜景が広がっているが、その美しさを楽しむ余裕はなかった。


翌日、皇后教育の最中に、それは起こった。


「本日の講義はここまでといたします」


侍女頭がいつもより早く講義を切り上げた。私は不審に思ったが、表情には出さなかった。


「ローゼンベルク嬢、一つお伝えしておくことがございます」


「何でしょうか」


「明後日、帝国貴族の夫人方による慈善茶会が開かれます。皇后候補として、ご出席いただくことになっております」


「承知いたしました」


「主催はシュタインベルク公爵夫人です。くれぐれも粗相のないよう、お気をつけください」


侍女頭の言葉には、警告のような響きがあった。しかし、それが私への忠告なのか、脅しなのかは判断できなかった。


その夜、私はアレクセイに報告した。


「慈善茶会か。シュタインベルク公爵夫人が主催となると、何か仕掛けてくる可能性が高いな」


「私もそう思います」


「出席を断ることもできるが……」


「いいえ、出席します」


私ははっきりと言った。アレクセイが眉を上げた。


「逃げても、状況は良くなりません。むしろ、彼女たちに『皇后候補は臆病者だ』という口実を与えることになります」


「しかし、危険だ」


「分かっています。でも、私は自分の力で彼女たちに認められたいのです。アレクセイの庇護の下でしか生きられない女だと思われたくない」


アレクセイは黙って私を見つめていた。その目には心配の色があったが、同時に理解の光もあった。


「分かった。君の意志を尊重する。ただし、一つだけ条件がある」


「何ですか」


「マルタを必ず連れていくこと。そして、何かあれば即座に連絡を寄越すこと」


「約束します」


アレクセイは深くため息をついた。


「君を信じている。でも、心配なのは変わらない」


「ありがとう、アレクセイ」


私は微笑んだ。心配してくれる人がいるということが、どれほど心強いか。七年前の私には、想像もできなかったことだ。


慈善茶会の前日、マルタがさらなる情報を持ってきた。


「お嬢様、公爵夫人の計画が一部判明いたしました」


「教えて」


「明日の茶会で、お嬢様に『帝国の伝統』に関する質問を浴びせる予定だそうです。皇后教育で学んでいないような、細かい作法や歴史の知識を問い、お嬢様が答えられないところを見せて恥をかかせるつもりのようです」


「なるほど……」


「それだけではありません。お嬢様が恥をかいた後、『外国人には帝国の皇后は務まらない』という世論を作り、陛下に婚約解消を迫るつもりだとか」


私は考え込んだ。単純だが、効果的な作戦だ。知識で負ければ、私の評判は地に落ちる。暖房魔道具で得た民衆からの支持も、貴族社会では意味をなさなくなる。


「質問の内容は分かる」


「いくつかは把握しております。帝国の建国神話の詳細、主要貴族家の紋章の由来、皇室に伝わる儀式の作法……」


マルタが紙を差し出した。そこには、予想される質問のリストが書かれていた。


「マルタ、あなたは本当に優秀ね」


「恐れ入ります。ただ、全ての質問を予測することはできません。想定外の問いが来た場合は……」


「その時は、その時よ」


私はリストを手に取った。今夜は眠れそうにない。


慈善茶会の当日、会場は帝都の大聖堂に隣接する貴賓館だった。白い壁と金の装飾が眩しい広間には、三十名ほどの貴婦人が集まっている。


「ようこそ、ローゼンベルク嬢」


シュタインベルク公爵夫人が、にこやかに出迎えた。しかし、その目は笑っていなかった。


「お招きいただき、光栄でございます」


「今日は帝国の慈善活動について、皆様と語り合いたいと思っております。皇后候補として、ぜひご意見をお聞かせくださいませ」


私は頷き、用意された席に着いた。周囲の貴婦人たちの視線が、じっと私に注がれている。


茶会は表面上、穏やかに始まった。慈善活動の報告、寄付金の使途、今後の計画。しかし、話題が一段落した頃、公爵夫人が口を開いた。


「ところで、ローゼンベルク嬢。帝国の皇后たる者、我が国の伝統に精通していなければなりませんわね」


来た、と私は思った。


「おっしゃる通りでございます」


「では、少しお尋ねしてもよろしいかしら。帝国の建国神話において、初代皇帝が女神から授かったとされる三つの宝物は何でしょう」


「剣、杖、そして冠でございます。剣は武勇を、杖は知恵を、冠は統治を象徴しております」


公爵夫人の目が僅かに細くなった。しかし、すぐに次の質問を繰り出してきた。


「では、アイゼンハルト家の紋章に描かれている鳥は何でしょう」


「黒鷲でございます。北方戦争での功績を称え、第十二代皇帝より賜ったと伺っております」


周囲の貴婦人たちがざわめいた。公爵夫人の表情に、焦りの色が浮かぶ。


「シュタインベルク家が代々守護してきた聖遺物の名は」


「聖女マリアンネの涙壺でございます。建国以前から伝わる宝物で、帝国の守護の象徴とされています」


公爵夫人の顔が強張った。私が全ての質問に答えられるとは、予想していなかったのだろう。


質問攻めは続いたが、私は一つも間違えなかった。マルタの情報と、徹夜での勉強が功を奏した。次第に、会場の空気が変わり始めていた。


「お見事ですわね、ローゼンベルク嬢」


公爵夫人の声には、隠しきれない苛立ちがあった。


「帝国の知識をよく学んでいらっしゃる。しかし、知識だけでは皇后は務まりませんわ」


「おっしゃる通りでございます」


「実践が伴わなければ、意味がありません。例えば……」


公爵夫人が合図を送ると、侍女が何かを運んできた。それは、複雑な形状をした銀の器だった。


「これは帝国皇室に伝わる儀式用の聖杯です。皇后は戴冠式において、この聖杯で聖水を注ぐ役目がございます。作法をご存知かしら」


私は聖杯を見つめた。これは、皇后教育でもまだ習っていない内容だ。マルタの情報にもなかった。


「存じません」


正直に答えた。会場に、勝ち誇ったような空気が流れた。


「まあ、それは困りましたわね。皇后候補が戴冠式の作法も知らないとは……」


「ですが」


私は公爵夫人の言葉を遮った。


「作法を知らないのは、まだ教わっていないからでございます。戴冠式は半年以上先のこと。それまでに学べば済む話です」


「しかし……」


「公爵夫人。私が今日証明したかったのは、私が帝国の全てを知っているということではありません」


私は立ち上がり、会場全体を見渡した。


「私が証明したかったのは、学ぶ意志があるということです。知らないことは学べばいい。できないことはできるようになればいい。私は七年間、それを続けてきました」


会場が静まり返った。


「帝国の皇后にふさわしいかどうかは、私自身が決めることではありません。しかし、ふさわしくなる努力を惜しむつもりはありません。それだけは、お約束いたします」


茶会が終わった後、私は貴賓館の廊下を歩いていた。マルタが隣についている。


「お嬢様、お見事でございました」


「ありがとう。でも、まだ終わっていない。公爵夫人は諦めないわ」


「ええ。ですが、今日の茶会で、いくつかの家が中立に戻ったようです。お嬢様の姿勢に感銘を受けた方もいらっしゃいました」


「それは良かった」


廊下の角を曲がろうとした時、声をかけられた。


「ローゼンベルク嬢」


振り向くと、見覚えのない中年の女性が立っていた。質素だが上品な装いをしている。


「失礼ですが、どちら様でしょうか」


「アイゼンハルト伯爵夫人でございます」


アイゼンハルト家。北方戦争で功績を挙げた将軍の家系、帝国軍の中核を担う名門だ。


「先ほどのやり取り、拝見しておりました」


「恐れ入ります」


「私は、あなたを支持いたします」


予想外の言葉に、私は目を見張った。


「公爵夫人の派閥に与する気はございません。あなたのような方こそ、帝国の皇后にふさわしい。我がアイゼンハルト家は、あなたの味方でございます」


「伯爵夫人……ありがとうございます」


伯爵夫人は小さく頷き、去っていった。その背中を見送りながら、私は胸の中で希望の灯が燃え上がるのを感じた。


その夜、アレクセイに報告すると、彼は安堵の表情を浮かべた。


「無事で良かった。君の活躍は、既に私の耳にも届いている」


「アイゼンハルト伯爵夫人が味方になってくれました」


「アイゼンハルト家か。軍部の支持を得られるのは大きい。シュタインベルク公爵夫人も、おいそれとは手を出せなくなるだろう」


アレクセイは私の手を取った。


「君を守ると言いながら、結局何もできなかった。申し訳ない」


「いいえ。あなたが信じて送り出してくれたから、私は戦えました」


「リーゼ……」


「これからも、こういうことはあると思います。でも、私は負けません。あなたの隣に立てる女性になるために」


アレクセイの目に、深い愛情が宿った。


「君は、もう十分に私の隣に立っている」


その言葉が、何よりの褒美だった。

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