第13話 凍える街
皇后教育が始まって十日が過ぎた頃、帝都に初雪が降った。
窓の外を見ると、白い粒が音もなく舞い落ちている。王国では滅多に見られない光景に、私は思わず手を止めた。
「お嬢様、講義の時間でございます」
マルタの声で我に返る。そうだ、今は感傷に浸っている場合ではない。
「ええ、行きましょう」
侍女頭の指導は相変わらず厳しかったが、私も少しずつ慣れてきた。毎晩遅くまで復習と予習を続け、質問には即座に答えられるよう準備を怠らなかった。侍女頭の態度も、初日ほど冷たくはなくなっている。認めてくれたわけではないだろうが、少なくとも露骨な嫌がらせは減った。
その日の午後、予定になかった来客があった。
「陛下がお呼びです。至急、執務室へお越しくださいとのことです」
ヴェルナー侍従長が教育室に現れたのは、宮廷儀礼の実践の最中だった。侍女頭は不満そうな顔をしたが、皇帝の呼び出しには逆らえない。
「失礼いたします」
私は侍女頭に一礼して、侍従長の後に続いた。執務室に向かう廊下を歩きながら、何事かと胸が騒いだ。アレクセイが講義中に呼び出すなど、よほどのことがあったに違いない。
執務室の扉を開けると、アレクセイは窓の前に立っていた。その表情は険しく、手には何かの報告書を握っている。
「来てくれたか。座ってくれ」
「何かあったのですか」
「ああ。君の意見を聞きたいことがある」
アレクセイは報告書を机に置いた。私はそれを手に取り、目を通した。
内容は、帝都の貧民街に関するものだった。今年は例年より寒波が早く、貧民街では暖房用の燃料が不足しているという。既に凍死者が出始めており、このままでは被害が拡大する恐れがあると書かれていた。
「暖房用の魔道具を配布できないのですか」
「それが問題だ」
アレクセイが椅子に座り、深くため息をついた。
「帝国の暖房魔道具は高価で、大量生産に向いていない。貧民街の全世帯に配布するには、莫大な費用と時間がかかる。今年の冬には間に合わない」
「では、燃料の配給を増やすのは」
「それも検討したが、備蓄に限りがある。全てを貧民街に回せば、他の地域に影響が出る」
私は報告書を読み返した。凍死者の数、燃料の不足量、気温の予測。どれも厳しい数字が並んでいる。
「一つ、お聞きしてもいいですか」
「何だ」
「帝国の暖房魔道具は、なぜ高価なのでしょうか」
アレクセイは少し考えてから答えた。
「魔力を熱に変換する際の効率が悪い。大量の魔石を消費するため、製造コストが高くなる」
「魔力の変換効率……」
私は目を閉じ、頭の中で設計図を描いた。王国で作っていた魔道具の中に、似たような問題を抱えていたものがあった。あの時、どうやって解決したか。
「アレクセイ、私に一日だけ時間をください」
「何をする気だ」
「工房で、試作品を作りたいのです。もしかしたら、解決策が見つかるかもしれません」
工房に戻った私は、すぐに設計に取り掛かった。マルタには講義の欠席を侍女頭に伝えてもらい、私は机に向かい続けた。
帝国の暖房魔道具の問題点は、魔力から熱への変換効率の悪さだ。これは王国でも同じ課題を抱えていた。私がL・Rとして最初に作った魔道具の一つは、まさにこの問題を解決するものだった。
「直接変換ではなく、段階的変換……」
私は設計図に線を引いた。魔力をまず光に変換し、その光を熱に変える。二段階の変換は一見無駄に思えるが、実際には効率が大幅に上がる。これは前世の知識から得たヒントだった。
夜が更けても、私は手を止めなかった。設計図を何度も書き直し、計算を繰り返す。マルタが食事を持ってきてくれたが、ほとんど手をつけられなかった。
「お嬢様、少しはお休みになってください」
「もう少しだけ。あと少しで完成するから」
明け方近くになって、ようやく設計図が完成した。私は疲れ切った目をこすりながら、その図面を見つめた。理論上は動くはずだ。あとは実際に作って、試すだけ。
翌日の昼過ぎ、試作品が完成した。手のひらに収まるほどの小さな装置で、見た目は地味だが、中身は私の技術の粋を集めたものだ。
「アレクセイ、できました」
執務室に駆け込んだ私を見て、アレクセイは目を丸くした。
「徹夜したのか。目の下に隈ができている」
「それより、これを見てください」
私は試作品を机に置き、魔力を注いだ。装置が淡く光り、そこからじんわりと熱が広がっていく。
「これは……」
「従来の暖房魔道具の三分の一の魔石で、同じだけの熱を出せます。製造工程も簡略化したので、大量生産も可能です」
アレクセイは試作品に手をかざし、その熱を確かめた。それから、信じられないという顔で私を見た。
「一晩でこれを作ったのか」
「設計の原型は、王国にいた頃に作ったものです。それを帝国の技術に合わせて改良しました」
「君は……本当に……」
アレクセイは言葉を失ったようだった。私は少し照れくさくなって、視線を逸らした。
「まだ試作品ですから、実用化には検証が必要です。でも、今年の冬に間に合わせることは可能だと思います」
その日のうちに、帝国の技術者たちが召集された。私の設計図を見た彼らは、最初は懐疑的だった。外国人の、しかも女性の設計を信用できないという空気があった。
「この変換方式は理論的に不可能だ。光を経由するなど、効率が落ちるだけではないか」
年配の技術者が反論した。私は落ち着いて答えた。
「おっしゃる通り、直感的にはそう思えます。しかし、魔力から熱への直接変換には、必ずロスが生じます。光を経由することで、そのロスを最小限に抑えられるのです」
「証拠はあるのか」
「こちらが試作品です。実際に測定していただければ、効率の差は明らかになります」
私は試作品を差し出した。技術者たちは半信半疑で測定を始めたが、結果を見て沈黙した。
「……三倍以上の効率だと」
「正確には三・二倍です。さらに改良の余地もあります」
会議室が静まり返った。技術者たちは顔を見合わせ、それから私を見た。その目には、先ほどまでの懐疑の色はなかった。
「ローゼンベルク嬢」
年配の技術者が口を開いた。
「失礼な態度を取ったことをお詫びします。この設計は……素晴らしい」
「いいえ、疑問を持つのは当然のことです。重要なのは、これを実用化して、凍えている人々を救うことです」
それから三日間、私は技術者たちと共に工房に籠もった。設計の微調整、製造工程の確立、品質管理の方法。全てを詰めていく作業は大変だったが、充実していた。
皇后教育は一時中断となったが、侍女頭は何も言わなかった。むしろ、彼女の目には複雑な感情が浮かんでいるように見えた。
「お嬢様、侍女頭が様子を見にいらしていましたよ」
マルタが報告してくれた。
「何か言っていた?」
「いいえ。ただ、お嬢様が働いている姿を、しばらく見ておいででした」
私は少し驚いた。あの侍女頭が、わざわざ見に来るとは思わなかった。
一週間後、新型暖房魔道具の量産が始まった。帝国の工房がフル稼働し、毎日数百個の魔道具が生産されていく。それらは次々と貧民街に届けられ、凍えていた家々に温もりをもたらした。
「陛下、貧民街からの報告です」
ヴェルナー侍従長が執務室に入ってきた。私もその場に同席していた。
「凍死者の増加が止まりました。住民からは感謝の声が上がっているとのことです」
アレクセイは報告書を受け取り、目を通した。それから、私の方を向いた。
「君のおかげだ、リーゼ」
「私だけの力ではありません。技術者の方々、製造に携わった方々、届けてくださった方々。皆の力です」
「それでも、君がいなければ始まらなかった」
アレクセイは立ち上がり、窓辺に歩いていった。窓の外では、雪が静かに降り続けている。
「私は皇帝として、民を守る義務がある。しかし、今回は君に助けられた。君がいなければ、もっと多くの命が失われていただろう」
「アレクセイ……」
「君を皇后に迎えることを、改めて誇りに思う」
その言葉に、胸が熱くなった。私は何も言えず、ただアレクセイの背中を見つめていた。
その夜、私たちはあの東屋を訪れた。雪に覆われた庭園は、昼間とは違う静謐な美しさがあった。
「初雪の日には一緒に歩こうと、約束していたな」
「覚えていてくださったのですね」
「もちろんだ」
アレクセイが私の手を取った。冷たい空気の中、その手だけが温かかった。
「リーゼ、君に伝えたいことがある」
「何ですか」
「今回のことで、改めて思った。君は私の隣に立つべき人だと」
アレクセイが私の方を向いた。雪明かりの中、その目が真剣な光を帯びている。
「技術顧問としてではなく、皇后として。君の力を、帝国のために使ってほしい。私と一緒に、この国を良くしていってほしい」
「私に、そんなことができるでしょうか」
「できる。君にしかできないことがある。今回、それを証明しただろう」
私は空を見上げた。雪が降り続いている。冷たいはずなのに、心は温かかった。
「はい。私も、そうなりたいと思います」
アレクセイの顔に、柔らかな笑みが浮かんだ。彼は私の手を握ったまま、一緒に雪の中を歩き始めた。
二人の足跡が、白い庭園に刻まれていく。それは、これから二人で歩んでいく道の、最初の一歩だった。




