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あなたの為に、ビジュを良くしてる訳じゃない  作者: 櫻木サヱ
誰のためでもない

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5/13

鏡の前で固まる朝

 次の日の朝、桐谷つかさは鏡の前で手を止めていた。


 いつもなら迷わずできるはずのメイクの手順が、今日はどうにも進まない。

 ファンデを薄く伸ばして、眉を整えようとしたところで、ふいに昨夜の場面がよみがえる。


 校門の前、れんが急に腕を掴んできたあの瞬間。

 言い方は強引だったけど、あれは嫉妬……なのだろうか。

 いやいや、れんがそんなわけ──と思いたいのに、心が勝手に騒がしい。


 そして、たいち。

 あの自然な笑顔と言い回しの軽さ。

 褒められることには慣れていても、あんな風に「理由問わず、純粋に好きだと思うところを見つける」と宣言されたのは初めてだった。


「……めんど」


 ぽつりとつぶやいて、もう一度鏡を見る。


 綺麗にしていないと不安だ。

 理由がどうであれ、ビジュ磨きはつかさにとって“お守り”のようなものだ。


 でも、今日はいつもより心が揺れている。

 他人の目が怖い。

 なにより、その目がれんのものだったとしたら──意識してしまう自分がさらに嫌だ。


 深呼吸し、化粧を一つずつ仕上げていく。

 アイシャドウ、リップ、ハイライト。

 こうして工程を積み重ねると、徐々にいつもの「桐谷つかさ」が戻ってくる。


 仕上がる頃には、胸の中のモヤモヤも少し落ち着いていた。


 家を出たのは、いつもより三分遅い。

 だが、つかさにとって“遅れた”というだけで気持ちはざわつく。


 学校に着くと、教室の前で男子モブ二人がまた噂していた。


「今日の桐谷、なんか雰囲気違くね?」

「ちょい大人っぽくね? メイクか?」


 聞き流しながら教室に入ると、れんがすでに席に座っていた。


「つかさ、あれ? ちょい遅かった?」


「三分だけ」


「珍しい」


 れんはそれだけ言って、じっとつかさを見つめた。

 昨日よりも、観察するような目。


「なに」


「……いや、今日のつかさ、なんか色っぽいなって」


「は?」


「違った?」


「別に。そういうの、軽く言わないで」


 れんはわずかに黙ってから、ぽつりと漏らした。


「軽く言ってるつもりないよ」


 その言葉がつかさの胸に刺さる。

 れんは本気で言っているのか。

 それともただの“誰にでも優しいスイッチ”なのか。


 そこへ、まこが駆け込んできた。


「つかさ! 今日なんかあったでしょ!」


「ないってば」


「そのテンションがあるって言ってるようなもんなんだけど?」


 まこがれんをちらっと見て、つかさの耳元でささやいた。


「あの二人、距離感どうしたの……?」


「知らない」


「いや知ってるでしょ絶対!」


 そんな騒ぎの中、たいちが教室に入ってきた。

 つかさを見るなり、小さく手を挙げて微笑む。


「おはよ、桐谷さん」


「おはよ」


「昨日の約束、覚えてる?」


「……え、何の?」


「桐谷さんの“好きなところ”見つけてくるって話」


 れんがピクリと反応するのが分かった。


「でね、さっき見つけた」


「は?」


「歩き方が綺麗。無駄な動きしない感じ。すごい好き」


 その瞬間、教室の空気が一気にざわつく。


「風間、朝からなに言ってんだよ!」

「桐谷に直球すぎ!」

「いいぞもっとやれ」などとモブ男子の声が次々飛んだ。


 つかさは顔が熱くなるのを感じながら、冷静を装った。


「別に……どうでもいいけど」


 ほんとは動揺していた。

 それをれんがどう見ているか気になって仕方ない。


 れんは机の下で拳を握っていた。


 教室にいるだけで、今日のつかさの心は平常より三倍は疲れていた。


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