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散漫な世界だけど、深くこだわらない  作者: 不透明 白
 3 天才と凡人と嫉妬

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11/12

 【壱】

 良い匂いがした。それはもうとんでもなく。

 折紙先輩に抱きつかれたことは初めてではない。

 ただ、久しぶりに嗅いだ匂いは郷愁を思い起こさせ、僕の心を誘拐した。

 ――融解した。

 礼儀として、僕は先輩の身体に腕を回し、返事代わりに先輩の身体を抱きしめ返した。

 先輩は満足そうに「ふん」と鼻を鳴らし、僕の身体から離れた。

 先輩を挟んだ向こう側で、〝さっきの男〟が屈強な男の先生に引っ張られて連行されていくのが見えた。

 それを見て、僕は思った。

 この事に関して、何一つ状況が分からない。

 ここに至るまでの顛末どころか、全てのあらすじを、僕は知らない。

 多分、それを語ることが出来るのは折紙先輩、ただ一人だけ……なんだろうな。

 と、先輩を知っている僕は思ったのだった。


 ―――………


 僕と先輩は鯨波高校を一緒に出た後、近くのファミレスに立ち寄っていた。

 僕たち二人が過ごした短い時間の中で、一番時間を共有した場所がここだった。

 執筆のいろはやルール、心積もりを教えてもらったのもここ。

 何故部室じゃなかったのかと言われれば、それは、二人共話をしながら作業ができない性格だったから、としか言えない。

 まぁ、そのおかげでここにも思い入れができた。

 ……そうやって、思い入れができたからこそ、先輩が卒業してからは一回もここを訪れなかった。

 悲しくなることが目に見えていたから。

 ただ、先輩が一緒となったら、そりゃあ思い出も相まって、心が躍るというもの。

「先輩、何頼みますか?」

「いつもの」

「……ってなると、ハンバーグセットとドリンクバーですね」

「お、覚えてるねぇ」

「まだ卒業してからちょっとしか経ってませんから」

「……それでも嬉しいものだよ」

 先輩は目を細めて、心の中にある感情を咀嚼するように小さく微笑んだ。

 その表情をされると僕は何とも言えない気持ちになる。

 アンニュイな表情がよく似合っている。

 けれど先輩には、そんなアンニュイさとは程遠い、全然違う一面を持っている。


 それは、こんなほっそりとした見た目なのに、大の健啖家(けんたんか)だということ。


 ここでは決まってハンバーグセットを頼んでいた。

 ――しかも、それを〝おやつ代わり〟という名目で。

 初めの頃はここでの食事を「夕飯代わり」かと思っていたけれど、帰ってから普通に夜ご飯を食べるということを知って、度肝を抜かれたのを覚えている。

 正直……僕はその話を未だに信じていない。

「僕も決まったので注文しちゃってもいいですか?」

「どうぞ」

 許可が出たのでタブレットを操作し、注文を取る。

 今の時代は便利になったと思う。

 だって、僕と先輩が来ていた頃は、まだボタンで店員さんを呼んでいたから。

「積もる話はたくさんあるけれど……後輩君が聞きたいのは多分、さっきのことだよね」

「はい。僕の目線からだと全く全容が把握できなくて、状況が全然掴めてないです」

「まぁ、そうだよねぇ……。うん、じゃあ話そうか――でも、その前に! 一回ドリンクバー行かないかい?」

 先輩が言ったその提案に、僕は曖昧な笑みを浮かべながら頷いて、

「賛成です」

 と言ったのだった。


 席を立った僕たちは、ドリンクバーの前にある専用のコップを手に取って、先輩はホットティーを、僕はアイスティーを入れて席へと戻った。

 それからしばらくして、注文したハンバーグセットが席に運ばれてきた。先輩は嬉しそうにそれらを頬張った。

 先輩がある程度食べるのを待ってから、僕はそれとなく口を開いた。

「先輩は先生からの事情聴取で、なんて聞かれましたか?」

「んー……なんと言ってたかな。怪我はないかーとか、どうして学校に来てたんだーとかそんなだったかな」

 僕は先輩の話を聞きながらズズズッとアイスティーを飲んだ。フローラルな香りが口いっぱいに広がって、その後にスッキリとした喉ごしが訪れる。無難に美味しい。

「それで、先輩はそれに何て返したんですか?」

「怪我はないでーすとか、部活のOBとして訪問しましたーとかだね」

「それは……〝本当〟ですか?」

「前半は本当だけど、後半は嘘だよ」

「後半が嘘なことは知ってます」

 今日の部活動中、ふらっと先輩が訪れたりはしていなかった。先輩ならそうやってやって来るはずだから。

「そもそも卒業生って「在学中の生徒」という身分ではないですが、どうやって学校に入るんです?」

「ん、事務の方に電話で知らせておけば、職員用出入口から入れるよ」

「あ、そうなんですね……参考にします」

「参考?」

「僕にも、後輩が出来ましたので……」

「……」

「先輩?」

「……」

 機嫌を損ねてしまったみたいだ。

「先輩のお話聞きたいなぁ……」

「……」

 目を伏せてマグカップに唇を重ねる折紙先輩。

「えーっと、その――」

「お話が終わったら」

「……はい」

「私の家に来てもらっても、いいかい」

「先輩の家にですか?」

「あぁ」

 そう言い終えると、先輩は再びマグカップへと口づけをした。

 そこには有無を言わさぬ圧があった。

 最近一人暮らしを始めたと噂の先輩の家。

 ……先輩の性格ならとても散らかっているか、とても片付いているかの二択だろうなと想像をする。

 でも、そもそも、その前に。


「いいんですか? 〝売れっ子作家〟の先輩の家にお邪魔しちゃって」


「それは……嫌味?」

「いえいえ、とんでもない。むしろ謙遜と遠慮ですよ。僕みたいな若輩者がおいそれと先輩の家にお邪魔していいのかどうか……真剣に悩んでしまいます」

「じゃあ……来たいってこと?」

「先輩のお家に行きたくない人なんています?」


「……来たいか来たくないかの二択で答えて」


 先輩は弱い目をしてそう言った。

「行きますよ。絶対に。……念を押さなくても先輩だったら分かるでしょ? 何というか、ちよっと恥ずかしいんですよ。素直に『家に行きたい』って言うの」

「そうなんだ……良かった」

「良かった?」

「いや、何でもない」

 先輩は目を逸らしながらまたしても口元にコップをあてがった。

 そして、今度はしばらくそのままにしていたけれど、理由はよく分からなかった。

「それで先輩……そろそろ聞かせてもらっても?」

「あぁ、うん、分かった。話すよ」

 そう言って先輩は、小さくなったハンバーグにフォークを突き刺し、最後の一口を頬張った後、唇にコップを付けてグイっと大きく傾けた。

「汲んできましょうか?」

「……お願いしてもいい?」

「了解です」


 ―――………


 僕がドリンクバーでホットティーのおかわりを汲み、それを持ってテーブルに帰ってきてすぐのこと。

 先輩は神妙な面持ちでこう口にした。


「最初は塚本君からの一報だった」


「……塚本? 先輩、塚本と交友なんてあったんですか?」

「いや、ないよ?」

「……ですよね? では、どうして」

「僕のSNSにダイレクトメッセージが届いたんだよ」

「先輩、SNSやってたんですね」

 これは初耳だった。

「え? 知らなかったの?」

「僕、そういうのから離れてまして……」

 これは誤魔化しとかではなく本当だった。

 SNSがあまりにも人口に膾炙しすぎてしまって、人の不平不満や嫉妬、醜いあげつらいなどが永遠に流れてくるようになり、それで嫌気が差してしまって、消してしまったのだ。もちろん今も入っていない。

「君や塚本君は、時代に左右されない珍しい人間だね。私は君達が羨ましいよ」

「あれ、でも〝塚本からDMが来た〟って言いませんでした?」

「あぁ、わざわざこのために作ったと言っていたよ。それを聞いて私は身構えた。嫌な予感がした――この連絡の内容に緊急性が帯びているということを予期した」

 先輩の語り口には、その当時の緊迫した雰囲気が再現されていた。

「それで、その内容というのは、どういうものだったんですか」


「〝殺害予告の手紙〟を見つけたって」


「……どこでですか」

「部室で」

「部室って、落研と文芸部の部室ですか?」

「そうらしい」

 見覚えが無かった。

 それに、塚本からその事実を聞かされてもいない。

 こんな重要なこと、本人に伝えないでどうするというんだ。

「後輩君が考えていること……多分、分かるけど、それは勘違いだよ」

「えっと、何がですか」

「殺害予告されていたのは――君じゃない」

「……え、僕じゃない?」

「正確には〝本丸の対象〟が君じゃない、かな」

 襲撃されたのは僕なのに対象は僕じゃない……。


「対象は塚本君だよ」


 それを聞かされて……今まで不思議だったあの時の塚本の動揺に、やっと納得がいった。

 そして、落研に新入部員なんか要らないと言っていた理由も分かった。

 ――その気遣いと配慮を今更になって認識した。

 本当に、今更気付いてどうするんだよ、僕は。

「そう、だったんですね……。でも――じゃあ、どうして僕だったの、でしょうか」

「それは、君が塚本君の友達だから」

 そう言われて、僕はその悪質さを一瞬で理解し、最悪な気持ちになった。

「塚本が気に食わないから、塚本の周りにいる人間を標的にした……フィクションの中の悪役がやりそうですね」

 人の心が無い、という感じ。

「そうだね……。「現実は小説より奇なり」って〝僕たち〟が思うのだから、本当に奇妙で頭のおかしいやつだよ」

 その頭のおかしい男を思い返してみると、服装からしても、顔や雰囲気からしても、絶対に学生じゃなかった。

 作業服のようなものを着ていたけど、あいつは一体どこから入ってきたんだ。

「あの男は鯨波高校の用務員だよ」

「用務員……そりゃあ、知らないはずですね。うん、納得。それで、あの、えっと……先輩」

「うん?」

「先輩は何故、用務員の人がこんなことをしたんだと……お考えですか」

 なんとなく、これを聞くのは失礼な気がしてしまう。こんな事に先輩の脳みそを使わせるのは勿体ないというか……。

 だけど僕がそう聞くと、先輩は、

「脅されてたからだろうね」

 とあっけらかんとした口調で答えた。

「脅し、ですか?」

「うん。弱みを握られて、このことをバラされたくなかったら言う通りにしろー! ……ってな感じで」

「その弱みっていうのは……」

「後輩君」

「はい、何でしょうか」

「人間っていうのは皆、度を超えた非情さを抱えている。でも、とりわけ「女の子達を取り巻く環境」というものは、連帯と縄張り意識によって、その非情さが顔を出しやすいんだと私は思うんだ」

 先輩はそう言って僕の目を見た。

 その言い回しでは、〝女の子が犯人だ〟と言っているように聞こえて仕方が無いけれど、実際、犯行に及んだのはどう見ても男だった。

 だから、そのはずはないと思っていた。


「主犯格は〝他校の女子生徒〟だよ」


 先輩はハッキリとそう言った。

 その目で犯行の瞬間を見ているし、なんなら僕を助けた張本人だというのに。

「それは……本当ですか?」

「うん、本当だよ。その女の子はどうやってか、鯨波高校の用務員と体の関係を持った。そして、それを人質にして犯行を肩代わりさせた。その女の子は直接手を下さずに、塚本君の周りにいる人間を脅し、傷つけ、それによって塚本に「精神的な恐怖」を味わわせようとした。〝お前のせいで周りの人間が不幸になっているんだよ〟という呪縛をかけようとした」

 スラスラと口に出していい情報量じゃなかった。

 すぐには咀嚼しきれなかった感情が胸中に蓄積する。

 それを解消しようと思い、僕は質問をした。

「その主犯格の女の子と塚本はどういう関係なんですか?」

「その子も落研らしいけど直接の関係は無い。ただ、塚本君はどの大会に出ても優勝を掻っ攫ってしまう子だから、当然、嫉妬もされやすい。その経験は私にも身に覚えがある。……私も天才、だからね」

 冗談で言っているみたいな口ぶりだが、事実として天才作家なんだから冗談になっていない。そんなんだから嫉妬されるんだろうに。

 と思って、塚本を思い返してみたら……なんというか、似ている気がした。

 類は友を呼ぶ。

 そして、才能は嫉妬を呼ぶ。

 嫉妬は誰だってするだろう。

 でも、塚本を陥れようとしたその女子生徒は、その感情を解消しようとして、それを発生させている塚本の方をどうにかしようとした。

 そんなのは許されることではない。

 それは間違いない。

 では、僕自身はどうだろうか。

 それはつまり。


 この期に及んで〝先輩と塚本に嫉妬している〟僕はどうなんだ、ということだ。


 天才と天才だけが分かり合い、そして助け合う。

 蚊帳の外にいる気がした。

 事実として僕は何も知らなかった。知らされていなかった。

 それでも、この二人に嫉妬するのはお門違いだ。

 被害にあった友人とそれを助けた恩人に向けていい感情ではない。

 これじゃあまるで、あの女子生徒とおんなじだ。

 僕は最低の人間だ――。


「でもね……君が関わっていなかったら、本当はどうでもよかったんだ」


 先輩は伏し目がちにそう呟いた。

「塚本君から連絡を受けて、自分で色々調べたり、方々(ほうぼう)に聞き込みをしたりして、最終的に君を助けたわけだけど、もし君がその被害の「範囲外」だったとしたら……私がこんな全力を尽くして動いていたかは、正直分からない」

 先輩は弱い目をして笑った。

「でも君は誰だって全力で助けるだろう? 優しいからね。でも私は違う。冷酷で残酷な奴だ。……君の先輩でいることを時々悩む程に私は――最低なんだ」

「――違います。最低なのは僕です」

「……それはどうしてだい?」

「それは……僕が先輩と塚本に嫉妬しているのを、自覚したからです」

「……」

 沈黙がしばらく続いた。

 僕を見損なっただろうか。見限られてしまっただろうか。

 そう思ったと同時に、すぐ考えを改めた。

 僕の知っている先輩は、こんなことで見限ったりしないと知っていたから。

 先輩は目を逸らしながら、腕を組み、

「後輩君……我々はその、なんというか――めんどくさいな」

 とため息交じりそう言った。

「……そうですね」

 僕と先輩は自虐的に小さく笑った後、お互いにしばらく黙って、思考と反省の海へと潜っていったのであった。


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