桜は凍れど、君の手は温(ぬく)い
季節外れの寒波は、桜をすっかり散らせてしまった。数日前まではあんなにたくさんの花びらをまとっていたのに、身を切るような冷たい風が、そのほとんどすべてを吹き飛ばしたのである。今や、桜は墨色の幹を晒し、寒々しい姿で四月の大地に君臨している。
亜美は枯葉と一緒に花びらを掃いていた。乾いた土の表面をちくちくした竹箒の先端が擦り、ジャリジャリという味気ない音を鳴らしている。学校の裏庭はちょうど影になっており、今日は曇天というのもあって、亜美の周りは息の詰まるような冷気で満ちていた。
(あ~あ。喧嘩しちゃったなぁ)
ほんの些細な出来事だった。友人である理穂と仲違いをしてしまったのだ。亜美は級友を避けて一人、日の当たらない裏庭で掃除をしている。
「ふぅ……。寒いなぁ、もぅ……」
股の間に手を挟んで暖を取る。この寒さではポケットの中まで冷たくて、どうしても肌で温めなければならなかった。自然と、身体の芯の温かいところに意識が向かう。身体の中央の、ちょうど心臓辺りだ。そこで温かい血が圧し出されて、体中を巡っていく。そんな想像をしてみたが、それでも慰めにすらならなかった。それはやはり、ここが日陰だからか、あるいは、今の亜美が一人ぼっちだからか――。
「ハァ……」
亜美は白い息を吐いて、竹箒を握ったまま、桜の木の根元に座る。根と根の間はちょっとした窪みになっていて、水が溜まっていた。水はびしっと凍っている。亜美は氷の中に、一枚の桜の花びらを認めた。ひらりと舞っているところを一時停止したように、桜は氷の中でポーズを取りながら止まっていた。氷に閉ざされた一枚の花びらは、まるで亜美の心を形象したかのようで、美しくも孤独だった。亜美にどっと寂しさが押し寄せてくる。鼻の奥がツンとして、少しだけ唇が震えて来た。
「亜美、お掃除さぼっちゃダメじゃない」
「理穂……」
亜美はすぐに立ち上がり、手を後ろで結んで、ぷいっとよそ見をした。ばつが悪そうである。
「だ、だって、いくら掃いたってしょうがないじゃない。落ち葉なんて無限にあるんだし、一か所にまとめてもすぐ風で散っちゃうし」
「それでもやるの。それに、そんなところでじっとしてても寒いでしょ?身体を動かしなさいよ、まったく」
何よ、偉そうに――。そう思いながらも、亜美は理穂と一緒に箒を動かし始める。
「焼き芋食べたい」
「え?なんで?」
「落ち葉の山、見てたらなんとなく」
「春なのに焼き芋?それっておかしいよ。焼き芋は秋の食べ物じゃないの」
「それでも食べたいのっ。あと、わたあめ」
「今日が曇りだから?亜美ったらご飯のことばっかりだね。二年になっても食いしん坊なのは相変わらず、か……」
理穂は空を見上げた。水分を重く含んだ雲は、なんだか手が届きそうなほど低く飛んでいて、確かに少し美味しそうに見えた。
「亜美?」
食いしん坊だと指摘されて拗ねたのか、それともまだ喧嘩のことを引きずっているのか、亜美は理穂に背中を向けて、何にもないところを掃いていた。小さく、丸い背中が、なんだか物寂しそうで、また寒そうだった。そういえば、亜美は寒がりで、今年の冬は文句ばっかり言っていたなぁと理穂は思った。
(まったく、しょうがないだなぁ……)
理穂は亜美に後ろから抱き着いた。亜美は一瞬びくんと震えたが、その後は石のように固まってしまった。
「なに?まだ怒ってるの?」
「ち、違う。そんなんじゃない。離してよ」
「いや。亜美で暖を取ろうが、私の勝手でしょ?」
小柄な亜美を背後からすっぽりと覆うように抱き着く理穂。彼女は耳元で囁き、亜美の真っ赤になった耳を吐息で撫でる。時折、くすぐったそうに亜美は身をよじった。
「指、赤くなってるね。亜美の手、小さいからすぐに冷えちゃう」
亜美の手を理穂の手が覆う。氷のように冷めたい彼女の手に、理穂の手が触れる。温かい理穂の手に包まれて、亜美はまるで親鳥の抱擁を受けるひな鳥の気分になった。ああ、温い――。
「どう?あったまったでしょ?」
「うん、多少は……」
「……ごめんね」
「なに、急に」
「私も……寂しかったから」
「……」
もうそろそろ次の授業が始まる頃だったので、理穂は腕を緩めて離れようとした。だが、亜美がそれを許さなかった。まるでマフラーみたいに首の周りにまとわりついている友人の腕を、しっかり握っていた。あたかも、『離さないで』と言っているかのように。
二人の間に会話は無かった。でも、お互いの言いたいことがわかった。今、亜美と理穂は心で繋がっていた。桜を閉じ込めていた氷は、ついに溶けたのだ――。
「放課後、たい焼き食べるわよ。駅前のあそこで」
「ええ?なんでまた急に?」
「寒い日はそうするって決めてるの。ほら、理穂。戻るわよ」
「やっぱり亜美は食いしん坊だっ。ふふ」
冷気の中に微かに春が匂っていた。曇天も切れ始め、四月にふさわしい青空が見え始めていた。またやってくる春に期待しつつ、亜美と理穂は駆けて行った。




