原点
今のクラスになった時、喜びとか驚きより不安の方が大きかった。
前のクラスよりは断然良いクラスにはなったが、一緒にされて都合の悪い人と一緒になってしまった。しかも、1番一緒にされたくない人と。まあ幸いにも一緒にされたのは1人。前のクラスよりも人数は減ったし、余程の事が無い限り対処できる。うん。きっと。絶対に。
それに友達も前のクラスよりは多い。というか、前のクラスに友達と呼べる程仲の良い人は1人もいなかったし、作れる能力も持ち合わせなかった陰キャだから正直とても助かった。どことなく、2年前...今通っている学校に進学する前の頃のクラスにとても似ていた。
―――まあ、あのクラスに良い想い出は無いのだけれど。
このクラスの雰囲気や景色に少しずつ慣れ始めて、(と云ってもまだ3日目くらいだけれど)委員選出や班決めが始まった。自分は昨年の7月くらいから代表委員に憧れていた。昨年の代表委員は学校行事関係をよく仕切ってくれてたし、代表委員の集まりによる学年集会が面白かった。自分もやってみたいと思った。本当の所、元々の「学級書記」と云う立ち位置があまりにも暇で、役職だというのにバッジの1つも貰えないのがなんか嫌だったからかもしれないけれど。
自分が通っている学校は前期と後期に分かれ委員と班が変わる事になっている。だから自分は昨年後期に委員に立候補したが、前期委員がまた立候補していてとても申し訳なく思って辞退した。自分が介入する余地はないと思って。うん。自分が極度の被害妄想やネガティブ思考を持っているのは解ってる。それでも怖い。もし何かやらかしてしまったらとか、気づかぬうちに反感ばかり買ってしまったらとか。色々考えてしまう。そう感じるならいっその事と思って辞退したのもある。でも、だから今年こそは立候補したいと思った。
十分な自信と覚悟が出来たから。
―――――結果的に落ちた。正直後悔まみれ。更にほんの少しの不満とほんの少しの嫉みも持ってしまった。不満は、代表委員は決意表明をしてしっかり決めたのに、他の委員は人数過多があってもじゃんけんで決まっていた事。嫉みは、代表委員になりたいと言っていた人が他のクラスで無事、委員になっていた事。そんな感情を少しでも抱いてしまった事に更に後悔してしまう。
まあ、委員経験がある人が選ばれるのは必然の事だ。それでも悔しかった。自分1人だけ落ちてしまった。落ちたのが自分だけだったのが悲しかった。人脈もセンスもないやつに委員は向いてなかったなと思った。泣きたいけどまだ泣いてはいけない。負の感情を誰かに覚えさせる訳にはいかない。でも一度堪えたら発散出来ない。だから代わりのもので発散する。それしか手段がない。
もう腕に付いた紅を見ても驚かなくなった。寧ろ紅が付かないと落ち着けなくなっていた。手遅れだった。
知ってるか?自分のクラスは1クラスに40人もいて、班は1班で8人もの人がいるのだが、8人班で40人のうち1人が自分と一緒の班に入る確率は7/39で約18%、2人が自分と一緒の班に入る確率は6/38、7/39×6/38=21/741で約2.8%。確率としては低く感じるかもしれないが、それがそうでもない。何故なら、自分はその2.8%を容易く当ててしまったからだ。
どんなに当たらないでと願っても、祈っても、喜んでも、怒っても、泣いても、いっその事楽になったとしても、中途半端な確率は当たってしまう事が多い。そして世の中は、引き寄せて欲しい確率を離し、離して欲しい確率を引き寄せてしまう事が多く感じる。感覚的にその方が記憶に残るってだけの錯覚に過ぎないのだが、精神に負荷がかかるのは事実である。
一緒にされて欲しくない人2人と見事に一緒になった。誇れる事ではないが、凄いとは思わないか?まあ、そのうち1人は自分しか被害を負わないし自分がただ嫌っているだけだからどうにかなるだろう。後の1人はどうにもならない気がする。実際、自分のせいでその人に被害が出ている。彼の反応を見て、反応を聞いて、本当になんとなくだが感じ取れた様な気がする。全部ただの思い込みだったら良いのにな。
本当、夢なのか現なのか。