真夏の休息①
女侍 緒方菜穂子
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夏休みの特別練習がはじまってから2週間が経った――
今年の4月から顧問に就任した女侍こと緒方菜穂子先生が提案した地獄の練習メニューに、はじめのうちはついていくのがやっとだったワタシたち伊勢崎第二中学校女子剣道部員たちも、今では最後までついていけるまでに体力が備わってきたように感じる。
とはいえ、ワタシ自身はこれまでのブランクもあってまだまだへばってばかり。
練習が終わった後も、みんなはケロリとして談笑しているのに、ワタシは相変わらず床に寝そべって青息吐息。
――こんなことなら……1年の時にちゃんと部活出とくんだったなぁ
そう思うけど後の祭り。これまでダラダラと過ごした貴重な時間は二度とは戻らない。
不意に、ワタシの側に誰かが立つ。
「がんばっておるではないか、雲越」
真上からワタシを見下ろしながら、顧問の緒方先生が独特な言葉づかいで声をかける。これは……ねぎらってくれているのかな?
すごく威厳がこもってるし、美人なんだけどどこかキツい印象の顔立ちのせいもあって、あまりそんな気がしなかった。
「まあ、そこそこに……」
ワタシはゆっくりと上半身を起こす。
「正直、お前がここまで1日もサボることなく出続けるとは思わなかったぞ」
「……ワタシも、そう思いますよ」
ホントに不思議だった。
しんどいだけなのに――
こんなコトやってたって、将来何かに役立つワケでもないのに――
それでもワタシはまたここに来ていた。
あんだけ打ちのめされて、心が折れて、完全にやる気を失くしたはずなのに……。
「……先生はイヤじゃないんですか? ワタシみたいなやる気のない中途半端な人間がいて」
ワタシは不意にそんなコトをたずねてみる。
「それでも今、お前はここに来ておるではないか? 私は来た者を追い返すような野暮なことはせぬぞ」
先生はワタシの真横に立つと、淀むコトなく答え、
「ここにいるということは、何かそれだけの理由があるからなのだろう?」
逆にワタシに問いかけてくる。
――理由、か……
理由があるとすれば、未練くらいだと思う。
あれだけ打ちのめされながら、ワタシはまだ心の奥底では諦めきれていないのかもしれない。
それと、この前――
<今田屋>で出会った伊勢崎第四中学校女子剣道部のコ――姫神凛音と菊池、瀧川――にワタシは啖呵を切ってしまった。
あれだけの大見得を切っておきながらしっぽを巻いて逃げ出すなんて、どうしてもガマンできなかった。
弱いクセに負けずギラいなんだな、ワタシ……。
「……先生はズルいです」
ワタシはポツリとつぶやく。
「ん?」
「はじめて会った時もそう。引き留めるワケでもなく、突き放すワケでもなく、すごくフワフワとした言い回し。どっちかハッキリ言ってくれたなら、もっと楽になれるのに……」
「ふむ。そう言われると、たしかにズルいかもしれぬな」
先生はワタシのグチに怒るでもなく、呆れるでもなく、少し笑って言った。
「だが、人から何を言われようとも結局最後に判断を下すのは自分自身だ。私は求められればアドバイスこそすれ、どちらかを選ばせるようなことはせぬ」
「……」
「それに、生徒に楽をさせないのも教師の努めだからな」
そう言って、先生はめずらしく柔らかい笑顔を浮かべる。
「まあ、明日から一週間休みだ。しっかり休息を取って、心身共に健全を保つがよいぞ」
そして、先生はそう言って踵を返す。
「先生は、壁にぶち当たったコトありますか?」
ワタシは不意にたずねる。
「ん?」
「高くて、硬くて……どうあがいても超えられそうにない、そんな壁にぶち当たったコトありますか?」
先生はピタリと足を止めて少し考えこんでから、
「あるぞ」
そう答える。
「私はこの通り剣道一本にすべてを注いできた。しかし、そんな私でもどうしても勝てない相手がいた。何度挑んでもはね返され、手も足も出なかった。くやしかったぞ」
「へぇ……先生でもそんなコトが」
意外だった。
先生は24歳で剣道五段を取得したほどの腕前の持ち主で、女性剣士としてその道では有名なヒトらしい。何でそんなスゴいヒトがウチみたいな弱将校の顧問をやっているのか疑問だけど、それよりもそんなスゴいヒトですら得意分野で壁にぶち当たったコトがあると言う。
「それで……先生はそんな時、どうしました?」
ワタシは体を後ろに向けて、まるですがるような思いでたずねる。
「私は……ここに来た。指導者として後進の育成に努め、その人とは別の道で上を目指すことにしたのだ」
「別の道で……。でも、ソレってやっぱりくやしくないですか? なんかこう……負けたままで逃げ出したみたいで」
我ながら失礼だと思った。だけど、それでも知りたかった。同じような挫折を味わったヒトの経験談を。
「たしかに逃げたと言われても仕方ないかもしれぬ。今でも拭いきれぬくやしさにさいなまれることもある。それでも、今はこの顧問という仕事が――指導者という仕事が楽しいと思えるようになっておる」
「こんなに弱くて、ワタシみたいな問題児もいるのに、ですか?」
「だからこそだ。いつも手を焼かせてくれるお前たちだからこそ、私はやりがいを感じているのだよ」
先生はその時、今まで見たことないような柔和な笑みを浮かべる。
「……」
正直、今のワタシには先生のその気持ちが理由できなかった。年齢も立場も違うんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど……。
「まあ、立ちはだかる壁にどう向き合うかはその者次第だということだ。真正面からぶつかり続けてもよいし、違う道を模索するのもよい。思う存分悩むことだ。悩み迷えるというのは、前に進もうという意思の表れなのだからな」
先生はそう言って手をヒラヒラと振ると、再び歩き出して道場をあとにしていく。
――やっぱりズルい……
結局明確な答えを得られなかったワタシは、不満まじりのため息をついた。
「お〜い、ヒミカ! 早く帰ろうぜ!」
その時、更衣室の前でトモっちが大きな声で呼びかける。
「……うん」
ワタシは小さくうなずいてから立ち上がり、そちらに歩き出す。
明日から1週間のお盆休み。その間に伊勢崎市内で花火大会も開催され、これからみんなでその予定を決めるコトになっている。
とりあえず先生が言っていたとおり、今は休みを楽しむコトに全力を向けよう。