真夏の決意②
菊池 ――菊池天佳
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そして迎えた練習試合当日――
ワタシは……まだ制服姿のまま道場のトイレの個室に閉じこもっていた。
用を足すためじゃない。時間が経つにつれてどんどんと膨れ上がっていったプレッシャーに、押しつぶされているのだ。
さっき緒方先生が誰かにあいさつしている声が聞こえたから、たぶん四中のヒトたちが到着したんだと思う。
「はぁ……逃げ出したい」
何度も吐き出されるため息と、後ろ向きな言葉。
そういえば、野球の試合の時もこんな風に緊張してたっけ?
あの時、ワタシはどうしてたんだろ?
たしか、監督が何か言ってたような……。
ううん、思い出せないや。
だけど、いつまでもこうしているワケにもいかない。
ワタシはもう一度ため息をついてから立ち上がり、個室を出る。
「あっ」
その時だった――
ちょうど女子トイレのドアが開いて入って来た人物と目が合い、お互い動きが停止してしまう。
なんという間の悪さ。
それは、ワタシが1番会いたくないと思っていた四中のイヤミ女こと菊池そのヒトだった。
「……ヘンなところでお会いしますね」
菊池はそう言って軽く笑うと洗面台へと向かい、そこで手を洗う。
「先ほど姿が見えなかったので、逃げ出したのかと思いましたよ」
「だ、誰が! 逃げるワケないでしょ‼︎」
菊池の悪態に抗議。さっきまで逃げ出したいとボヤいていたコトは、もちろんナイショだ。
「アンタ、相変わらず余裕そうじゃん」
「ええ。一応全国大会行ってますから」
うわぁ、ホントに余裕こいてる。
まあ、たしかにワタシたちが必死に練習している間に四中は全国大会に出場してベスト16まで進んだんだっけ?
そりゃ、格が違いますよね。
「もしアナタと対戦することになったら、その時はよろしくお願いしますよ」
ニヤリと笑みを浮かべて、菊池はトイレをあとにする。
「ホント、イヤミったらしいヤツ!」
怒りをぶつけるべき対象がいなくなり、ワタシはトイレのドアに向けて悪態をついた。
この日はまず、四中との合同稽古から始まった。
稽古内容自体はいつもやっているのと変わりないけど、はじめて竹刀を交える相手がいるだけでもなんだか新鮮な気分だった。
しかも四中は部員が15人もいる。さすが強豪校は数からしてぜんぜん違うよね。
今日は練習試合が控えているから、掛かり稽古や地稽古といった実戦的な練習は抜きで、ウォーミングアップがてらの基礎練のみで稽古は終了。
さあ、練習試合の時間だ。
「それでは練習試合のメンバーを発表する」
そこに集った6人を見回して、先生が告げる。
「先鋒……中原滋子!」
「ッ‼︎」
これは、いきなり想定外の発表。
シーコは言うまでもなく二中剣道部の中では最強のヒトで、まだ3年生が在籍していたころからこれまでずっと不動の大将を努めてきた。
そのシーコが切り込み隊長的ポジションの先鋒?
「先生。それはどのような意図で決めたのですか?」
「四中に勝てる可能性が1番高いオーダーを組んだ。まあ、端的に言ってしまえば『先行逃げ切り作戦』だな」
アッキーの疑問に先生はそう答える。
たしかに、先鋒にシーコを持ってくれば、ほぼ確実に勝ち星を先取できる。
だけどそれは同時に、その後に続くメンバーの踏ん張りが重要になるというコトでもあった。
「続けるぞ。次鋒……真田紬! 中堅……大澤友代! 副将……黒須秋乃!」
次々と名前が呼ばれていく。あとはひとり。大将を残すのみだ。
そして、残すメンバーはワタシと1年生部員のメイだけなんだけど……
「大将……雲越緋美華!」
「ッ‼︎」
最後に呼ばれたのはワタシの名前。ワタシが……大将?
はじめてレギュラーメンバーに選出されただけでもビックリだけど、いきなり大将というのもこれまたビックリ。
「やったじゃねぇか、ヒミカ! 初レギュラーでしかも大将。しっかりやれよ!」
バシッとワタシの背中をたたいて、トモっちの荒い激励。
「う、うん……」
それでも、ワタシはまだ戸惑いの中にいた。
「ミカ姐、がんばってたもん。わたしもうれしいよ!」
ツムがかけ寄り、祝福してくれる。
「ありがとう、ツム」
ツムのその言葉はワタシの心を少し軽くしてくれた。
そして次にシーコがワタシのところにやって来ると、
「期待しているよ」
一言だけ言い残して、試合の準備へと戻っていく。
その瞬間、ワタシの気持ちは引き締まった。ゼッコウの舞台だ。やれるだけのコトはやってやる。
そして、両チームのメンバーは試合場となるエリアに整列する。
それぞれの対戦相手が向かい合うワケなんだけど、大将であるワタシの相手は――
「雲越緋美華さん。わたくし、アナタとも対戦したいと常日ごろ願っておりましたのよ」
トレードマークの長い金髪をたばねて、四中女子剣道部部長のヒメカミさんがワタシに話しかけてくる。
「それは……光栄です」
強敵を前に、ワタシは言葉少なになってしまう。こうして向き合っているだけでも、その強さというか、オーラみたいなものがひしひしと伝わってくる。
――あれ? でもヒメカミさん、なんでワタシの名前知ってるの?
不意に浮かんだ疑問。
苗字なら腰に巻いている垂と呼ばれる防具についている垂ネームを確認すればわかるけど、彼女はさっきフルネームでワタシの名前を呼んでいた。
「お互いに、礼!」
「「よろしくお願いしますッ‼︎」」
主審を努める四中女子部員のコが号令をかけると、お互いに礼を向ける。
ワタシは疑問を胸にしまったまま、試合場外の二中陣営へと戻って正座する。
竹刀を帯刀した両チームの選手が白線で囲われた試合場の中に2歩ほど進んで止まり、礼をする。
そして再び進み出し、3歩目のところで抜刀する形で竹刀を構えながら蹲踞――膝を折り立てて腰を落とした立膝をつく座法――の姿勢をとる。
そこでお互いの竹刀が交わる地点が、ちょうど試合場の中心位置にあたる。
「始めッ‼︎」
主審の試合開始の号令と同時に両者は立ち上がり、
「キイエェェェェェッ‼︎」
「ヤァァァァァッ‼︎」
それぞれ気合いの声を発し、竹刀の切っ先で相手の竹刀を弾いたり、抑えこんだりといった探り合いが繰り広げられる。
こちらの先鋒はシーコ。
彼女は背中に赤い帯をつけている。
対する四中の先鋒は、さっきもトイレでワタシにイヤミを言ってきたあの菊池だ。
彼女は背中に白い帯をつけている。
この帯は互いを識別するための目印で、シーコが相手に有効打を与えたと判断されれば審判は赤旗を挙げ、菊池が有効打を与えたと判断されれば白旗が挙げられる。
審判は主審以外にも副審が2人いる。審判は右手に赤、左手に白の手旗を持っていて、3人のうち2人以上が同じ色の旗を挙げれば、それは有効打と認められて一本と判断される。
さて、試合の方は両者共に攻めあぐねているのか、はたまた相手が動くのを待っているのか、大きな動きのないまま竹刀の切っ先だけの攻防が続いている。
このままだと消極的と見なされて主審から注意を受ける可能性もある。
と、その時だった――
痺れを切らしたように、菊池がシーコの竹刀を下に弾くと同時に、
「面ーーーーんッ‼︎」
一気に飛びこんで面を目がけて竹刀を振り下ろす。
だけど、振り下ろした先にもうシーコの姿はなかった。
彼女は相手が動き出すのと同時に体を左下に深く沈めながら踏みこみ、
「胴ーーーーうッ‼︎」
ガラ空きとなっている菊池の右胴を一閃。
乾いた打撃音が響くと、シーコはもう菊池の背後までかけ抜け、竹刀を構えたままサッと振り返る。
瞬間、主審と2人の副審、計3本の赤旗が一斉に上がる。シーコの胴打ちが一本と確定したのだ。
それは非の打ちどころのない、芸術的な抜き胴だった。
剣道はただ有効打を与えればイイという単純なものじゃない。
竹刀の先端約4分の1の部分できちんと有効部位――面、胴、小手――を打つコト。
充実した気勢――つまりかけ声とか気合い・気迫を見せるコト。
そして残心――打ち終わった後もしっかりと打ち切り、振り返った後に竹刀を構え直して相手の攻撃に備えるコト。
コレらがすべてそろって、はじめて一本と認められるのだ。




