夏の憂鬱
ワタシこと雲越緋美華はなぜか、メタリックな銀色がやけに眩しく輝くマイクを握りしめたまま、呆然と立ちつくしていた――
何てことはない、ただのカラオケ用のマイク。だけど、今はそれがずっしりと異様に重たく感じる。
きっとそれは、今のワタシの心情を表わしているのだと思う。
だけどここはカラオケボックスじゃなくて、近所のバイキングレストラン。
たしか、剣道中学総体の市内予選が先日終わって、<高校受験を控えて部を引退する先輩方の壮行と新体制発足のミーティング>――という名目の楽しい食事会だったはず、なんだけど……。
「頼んだぜ、ヒミカ!」
「いや、ワタシに頼られても困るんだけど……」
不意に隣に座るトモっち――大澤友代が、気合いを注入するかのようにワタシの背中をバシッと叩く。
今のはけっこう痛かった……。
トモっちはワタシと同学年だけど身長はワタシよりも10センチ近く高い。やや茶色がかったツインテイルのロングヘアは、ところどころツンツンと跳ね上がり、言葉づかいも男っぽくて野性味にあふれている。
短気なところもあってけっこう恐がって敬遠するコもいるみたいだけど、裏表の無い性格なので――というかウソとかお世辞が苦手なのかな?――このコとは知り合ってわりと早く打ち解けられた。
でも、ムリヤリ作りこんだ笑顔と背中が赤く腫れ上がりそうな容赦の無いはげましが、今はやけに恨めしく感じる。
「そもそも、誰のせいでこんなことになったと思ってんの?」
「そうは言いますけれど」
トモっちに向けた質問に答えたのは、合い向かいの席に座るアッキー――黒須秋乃だった。
「このままあの女侍の言いなりに、貴重な夏休みを得練なんかに潰してしまっても良いのですか?」
「そうそう。お盆休みの1週間以外、毎日練習漬けだぜぇ? ぜったいヤダよな! なっ⁉︎」
メガネの縁をクイッ、と上げてクールをアピールするアッキーに、全身を一杯に使って不満を体現するトモっち。
アッキーは見るからに才女といった風采で、トモっちとは見た目も性格もまるで正反対。だからこの2人はしょっちゅう意見が食い違って口げんかになるコトがあるけど、こういう時だけは妙にウマが合うんだよね。
「まあ、それはわかるんだけどさ。それがイヤで、トモっちが先生にカラオケ勝負で白黒つけようと提案したところまでは、何も異存は無いよ。でもさ……そのカラオケ勝負に何でワタシが出なきゃならないのか、それが納得いかないのッ!」
そう、ワタシがバイキングレストランでマイクを握っているのは、突如勃発したカラオケ勝負にかり出されてしまったからだ。
ジャンケンで負けたから、とかならまだ納得はできたかもしれないけど、そうじゃない。ワタシが昨日の市内予選でただひとり試合出場の機会が無かったから、という理由だけ。たったそれだけのことで選ばれてしまったワケ。
そもそも、なぜバイキングレストランにカラオケの機械があるの? なんてことを今更ツッコんでもしょうがない。あるものはあるのだから。しかも、最新機種搭載の新型らしいし……。
「何をごちゃごちゃ言っておる。カラオケ勝負を持ちかけてきたのはそちらではないか? それとも、この期に及んで臆したか?」
カラオケマシンの前で悠然と仁王立つキャリアウーマン風の女性、緒方菜穂子――まあ、これがワタシたちの顧問なワケなんだけど――今回の元凶である先生は持前の時代劇口調で苛烈に叫び、しまいには不敵に笑う。
それもそのはず、先生の背後にあるモニターには、<98点>というハイスコアが表示されているのだから。まさか先生がプロ並みに歌が上手で、かつて各地ののど自慢大会を荒らしまくって“上州の歌姫”というあだ名を得ていたなんて、誰も知らなかった衝撃の事実。
その先生の美声には剣道部関係者のみならず、他のお客さえも思わず箸を止めて聞き入り、歌い終わった後には拍手喝采が店中から沸いたくらい、それはそれは上手いのひと言。
これじゃあ、この後に歌うワタシはただのピエロ。ううん、哀れな生贄かな? 臆するのもムリはないよ……。
「市内予選では1回戦であえなく敗退。さらには、三年生が引退すれば残る部員はたったの6人。今度こそ結果を残さねば部そのものの存続さえ危惧されると、お前たちも薄々感じておろう?」
威厳あふれる先生のお言葉に、その場がしんと静まり返る。
「かつて強豪校として名を馳せた伊勢崎二中剣道部の復権の為にと用意した特別練習に対し異を唱えるとは、私は情けのうて悲しゅうて腹立たしいのだぞ⁉ それでもお前たちがどうしてもというからこうして機会を与えておるのに、それでもまだ逃げるのかッ⁉︎」
先生の話はさらに熱を帯びてゆく。
ちなみに、ワタシたちが通う伊勢崎第二中学校の剣道部が強かったのは相当昔のことみたい。今じゃ男子部は消滅してしまって女子部員しかいないという散々たる有様なんだけど、それをツッコむと余計にこじれそうなので黙っておこう。
まあ、たしかに先生の言うことは至極真っ当な意見だと思う。
レギュラーであるAチームどころか、野球でいうところの2軍にあたるBチームにすら選ばれなかったワタシには分からないけど、みんなはきっと1回戦敗退という結果を悔しがっているのだと思う。
だけど、何の前触れもなく突然“夏休みに特別練習を行う(しかもお盆休みの週を除いて毎日)”と言われれば、それはさすがに横暴なのではと、納得いかないのも正直な思いだよね。
「マイクを持って立っているということは雲越、お前が歌うのだな? さあ、思う存分歌うがいい」
「あ、はい……」
先生に名前を呼ばれた時、思わず“うげぇ”と口走りそうになってしまう。
「よし、ヒミカ。今こそお前のかくされた実力を見せる時だっ!」
「そんな都合のいいモノがあれば最初から苦労しないって……」
トモっちの全く気持のこもっていない励ましに、思わずため息がこぼれる。
だけどもう、流れ的にやるしかないのかもしれない。実に不本意かつ理不尽極まりないのだけど……。
憂鬱まじりにひとつ呼吸を入れてから、ワタシは意を決してカラオケマシンの方へと足を踏み出す。
――何でこんなことになったんだろ?
そこに着くまでの間、改めて自問してみたけど、もちろん答えなんか出るはずもないよね。
越えられない壁――
目には見えないけどたしかにそこに立ちはだかるそれは、またしてもワタシを苦しめる。
「逃げずに出てきたことはほめてやろう。しかし、この点数を超えるのは難しかろう? なんなら5点、いや、8点のハンディを与えてやってもよいのだぞ?」
席に戻っていく先生はすれ違いざま、そんなことを言ってきた。
明らかな挑発。だけど、今のワタシはそれを腹立たしいとも思わないし、思えない。
「……先生の“天城越え”、超えてみせます」
「ほう、それは楽しみだ……」
ワタシが根拠のない強がりを言うと、先生は手をヒラヒラと振りながら席に戻っていく。きっと、そんなことできるワケないって思ってるに違いない。
そんなの、ワタシにだってわかってる。
ワタシはタブレットで目的の曲を検索し、送信をする。
「今のワタシは<昭和の歌姫>。そう、ワタシは<ひばり>。だから飛べる。空も飛べるはずッ‼︎」
曲が始まるまでの間、ワタシはムチャクチャな自己暗示にいそしんだ。後ろ向きだとかネガティブだとか、そしられようとかまわない。この理不尽な状況を脱せるのならなんだってしてやる。
やがてシンプルなギターリフのイントロが流れ出す。ワタシの好きなパンクロックの曲だ。
大きく息を吸い込み、手にしたマイクに向けて思いきりシャウト。
少なくとも、歌っている間はいろいろな事を忘れられた。さっきまでワタシを苦しめてきたあらゆる理不尽をかき消すように、心の底から<歌う>という行為を楽しめた。
だけど、だからといって良い点数をたたき出せるワケでもなく、結果は……。
<68点>
あぁ……ホントに空を飛んでこの場から逃げ出したいよ~。