最終回 グフフな君とウフフな私 乙女果汁120%
<ラルゴ>
目が覚めると、水色の壁紙が目に入る。シーツもパジャマも青系。昨日までの赤やピンク系の部屋に囲まれていた世界から別世界にやってきたことを思い知る。
そう。ここは男子寮だ。懐かしの男の汗のむわっとした匂いが立ち込める。そうだねえ。男の世界ってこんなだったねぇと感慨深く周囲を観察する。
女の子の体で過ごして、はや、半年。久々の男の体だ。そう。僕は本当は男の子だったはずだ。男らしく振る舞わないと。
同室の男子は誰なのか知らないが、部屋にはいないようだ。時計は8時半。女子寮と同じシステムなら、まだ、朝食は間に合う。
身支度をして部屋を出ると、元気そうな少年から声をかけられる。
「おっはよ! エロ本博士」
エロ本博士!? 声色を聞いた感じ、バカにした感じではなく親しみをこめて呼ばれていた。なんていうあだ名をつけられてるんだ。フォルテって僕が思っていたよりすけべなのかな。
ううう。男子ってこんなノリだったよね。ちょっと、懐かしいけど、少し居心地悪い。
朝食を済ませて部屋に戻ろうとすると、別の子から何やら雑誌を手渡される。
「これ良かったよ! また、貸してくれよな」
雑誌を見てみると女の人の水着や裸がいっぱい載っている。フォルテったら、こんなもの貸しているから、エロ本博士扱いなのか。
なんだか、僕よりも、男子のノリに馴染むのうまいな。なんだか、男として同性とコミュニケーションする自信を失うなあ。
中学の頃、同級生が集まってお酒を飲んだことで大問題になったことを思い出す。怒られたメンバーを見て僕は心底驚いた。いつも、ゲーム等で遊ぶ仲間が中心だったからだ。
彼らにとって、僕はゲームで遊ぶ仲間であっても、悪友ではなかったのだ。悪いことをしたいわけじゃなかったけど、心が繋がっていないみたいでなんだか寂しかった。
フォルテはそんな僕の過去を軽々と飛び越えて、悪友を作っていく。意気地なしの僕にはかっこよくてまぶしく見えた。
だから、シャープちゃんが、女の子社会から、最初、孤立していた頃の痛みも少し分かるんだよね。僕も、ある意味、仲間になれなかった性別が違うだけの同類だから。
ああ、神様。僕に男同士の友情を育む勇気をください。
部屋に戻って、ベッドの下に違和感があったので調べると、エッチな本がいっぱい。フォルテったらエッチなんだから。
男のひとり遊びか。一度もやったことないんだよね。やっぱり、男として普通の人になるためには、一度は、経験しておかないといけないのかな。フォルテの驚き具合だと16歳でやったことない男ってかなり変みたいだし。
本をペラペラとめくっていく。うーん。自分が最近、女として過ごしてきたのもあるけど、別にそれほど、ドキドキはしないかなあ。みんな、裸で生まれてきたんだし、パンツなんて布だし、何がいいんだろうね。
まあ、こんなもの見て興奮する単純な彼らが小動物のように可愛く見えなくもないけど。
はあ、全然ドキドキしないや。やっぱ諦めようかな。
おや、ちょっと毛色の違う本がある。漫画だ。いや、エッチな漫画も他にもあるけど、その本は、繊細なタッチ。女性作者のような絵柄だった。
内容としては、赤ずきんちゃんを模した女の子が狼を模した男の子においしくいただかれる前編と赤ずきんちゃん少女が狼少年に仕返しをする後編から成っていた。作中の説明文を読むとリバースモノというジャンルらしい。
なんだか、この絵の赤ずきんちゃんが僕で狼がテヌートみたい。こんな関係性、うらやましいな。
むくっ。嘘だ。こんなことあるはずが。
お母さん。僕は恥ずかしい人間です。ごめんなさい。
いたたまれなくなった僕は、寮の外に出ると、電話がかかってきた。
フォルテの番号だった。
「もしもし」
「私、いや、俺、男として生きることに決めたよ。1時間女として過ごすだけで女の体は性に合ってないってわかった。男の方がはるかに自分らしく生きられると思ったよ。可愛い彼女もいるしさ。お前、よく、女の生活なんてつまらないもの今までやってられたなあ。尊敬するよ」
「僕の代わりにラルゴとして生きる覚悟ができたってこと?」
「そうだよ。あとは、君次第だよ。君がラルゴの体で生きたいって言ったら、無理強いはしない。他人の人生を奪うことになるからね。君がラルゴとして生きたいか、フォルテとして生きたいか。全ての決定権は君に委ねられた」
「僕……私……」
あ、フォルテったら切っちゃった。もう。悩んでいるんだから相談に乗ってくれてもいいのに。
男と女。どっちで生きようかねぇ。
日本旅行で、テヌートから熱烈な愛の告白を受けたことを思い出す。どこまで本気なんだろうか。子どもの救出のために即興芝居かもしれないし、彼が好きなのはフォルテの体なのかもしれない。まあ、かわいいルックスだしさ。
僕の人間性や魂がどの程度、彼に好かれているのか未知数だった。僕、彼の期待に答えられるだろうか。昨日までのフォルテの中身が男である僕だということは、彼、ある程度知ってるそぶりだったけど、でも、やっぱり中身男とくっつくのは嫌だろうねえ。
プリンセス指数。あれも、ララによるとただの統計のマジックだそうだ。相関と因果の違い、なーんて難しい言葉を使って説明してたけど、要はあの数字が高いからといって別に心が女だというわけではないらしい。
女子寮のみんなもクラスのみんなも心の性別の数字を信じて、僕を女として受け入れているにすぎない。数字って罪だよね。人をこうも簡単に欺いてしまうのだから。
そう。僕の正体は男なんだ。魂の性別もきっと男。男の体でこのまま生きた方がきっと、魂と体が共鳴し合うはずだ。
このまま、男として生きた方が僕も周囲も幸せになれる。そうに違いないはずだ。うん。そうに決まっている。
ララとの共同生活も終わりかな。せっかくお友達になれたのに寂しい。
そんなこんな悩みながら、日向ぼっこがてら、散歩をしているとテヌートを見かけた。
なんだか、うろたえてるねえ。何があったんだろうか。
「おーい! テヌートくん!」
「おかしい……おかしいんだ!」
「おかしいってなにが?」
「今日のフォルテは、なんで女の子じゃないんだ」
「は?」
何を言っているかわからない。フォルテは女の子だし、何なら、僕の代わりに本物の女の子の魂が今日は入っているはずなのに。
「彼女特有の女の子オーラが急に消えたんだ! 彼女を女の子たらしめている何かが! 大事な何かが今日は欠落しているんだ! 何言ってるかわかんないと思うけど、甘酸っぱいいつもの感情が彼女を見ても湧かないんだ。なぜ、異性として意識できないんだ。魂的な何かが変質してしまったのか。彼女の魂が女の子の形じゃなくなり、女の子の匂いもしなくなった。何が起きてるんだ! なあ、お前も元は女かもしれないけど、半年も男として過ごせばわかるだろう。俺、彼女の女の子オーラを定期的に浴びないと男性機能が不全になりそうだ。俺、どうしたらいいんだ!」
その魂からの叫びに、思わず、体温が上がってのぼせそうになる。ずるい。天然なの? 計算なの? まるで、まるで、今ここにいる僕のこの魂こそが女の子そのものだと言わんばかりじゃないか。
「女の子のフォルテはどこに行ったんだっ!」
と言いながら、うろつき回る。女の子、女の子うるさいっ。
でも、あまりにかわいいから、思わずつま先だちをして、軽く口づけをしてしまう。
しまった。今は男の体だ。感情に流されてやってしまった。これではボーイズラブじゃないか。
「わわっ! 男とキスする趣味は俺にはないっ! 腐女子を喜ばせる気かっ!」
と、テヌートは、狼狽するが、しばらくすると、落ち着く。
「あれ? なんで、男にキスをされたのにときめきが止まらないんだ。まるで、異性にキスされた気分だ。今日は、俺、一体どうしたんだろう。男子のキスを女子のキスだと錯覚するだなんて。俺、疲れているのかな」
まあっ。まあっ。テヌートのバカァァッ!
もおおおおっ! この人、僕が女の子の姿形でそばに居てあげないとダメになっちゃう人だ。
しょうがないわねええええええっ。
ダメになっちゃうのならしょうがない。僕はこの人の魂を救助する特殊任務に就かなければならない。毎朝、この人がおいしそうにご飯食べられているかどうか近くで監視活動をしないと、不幸になる兆候を見逃してしまうかもしれない。
仕方なく、仕方なくだよ? ただの任務。
んふふふっ。んほふほ。じゅるり。いけない。よだれ見せたらはしたない子だと思われちゃう。
嬉しくはない。落ち着くんだ。事務的にね。儀礼的に。職務的に。うん。うふー。わ、笑いを噛み殺し損ねたっ。
男の体って、感情制御しやすいはずなのに、なかなか、嵐のような胸騒ぎが過ぎ去ってくれない。なぜ。なぜ、胸がおどるのっ!
こんなに笑顔を我慢してたらでんじゃらすぱーそんだと思われちゃう。
僕は男……だった。
負けたのだ。敗北したのだ。君にも。そして、自分の本心にも。素直になるか。
君が女の子の僕を求めるから、僕は……ううん、私は女の子として人生を歩んでみることにした。
私を女の子にしてしまった以上は、幸せそうに毎日を過ごさないとぜーったいに許してあげないんだから。覚悟しなさいよ。ふふっ。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「エッチ気持ちよかった。グフフ」
気分転換にとシャープくんから散歩に誘われていた。話したいことがあると言っていたがまさかのこんな話題である。
ミニスカートを揺らすショートヘアーで赤髪な君。
ロングスカートをなびかせるロングヘアーで青髪な私。
互いの性格の違いが外見にも表れ、コントラストをなしていた。
「また、そんなデリカシーのないこと言って。女子たちから、また、怒られても知らないから」
「へいへい。本物の女の子がいうことは違うわ」
「うっ」
以前に同じ会話をしたことがある。そのときは、ただの相槌だったけど、今は明確に元男である私に皮肉の意味を込めていた。
恐れおののく私を見てシャープは舌を出して笑う。
「妊活だよ! 妊活」
そっか。妊活か。
女体化男子は妊娠すると一生、女として生きる運命になるらしい。私もシャープも。かつては、エリーゼさんもそうやって女としての人生を選び取ったとか。
シャープは、元私ことラルゴくんから愛の結晶を受け取って、女として生きる覚悟を決めたようだ。
行動力あるなあ。なんて、眺めていた。
「フォルテ。お前はどうなんだよ」
質問をぶつけられる。まあ、気になるかもしれないけどさ。
「秘密」
「なんだよそれ。俺が白状したんだから、お前も言えよな」
「だめー。恥ずかしいもん」
魔法を足にかけて小走りで逃げる。
「言えよな!」
「言わないもーん」
有名スポーツブランドのロゴが入ったアンクルソックスと陸上競技用の薄いスニーカーな君。
うさぎさんマークの入った白いハイソックスにローファーの私。
足元にもお互いの個性が出ていた。
シャープったらしつこくついてくるなあ。
エリーゼさんから女の子になった記念に買ってもらったアルトサックスで転調があるジャジィなショートトラックを奏でてテレポート魔法でワープする。アルトはテナーと違って、女声魔法の効果がある。
「ずるいぞ!」
シャープくんの叫びを背に、私の体は、次元の穴に吸い込まれ、そして、ふわりと草花をクッションにして大地に着く。
周囲に誰もいないことを確認すると寝転ぶ。ここは、秘密の花園。ジパング村の裏山のなだらかな丘にコスモスが咲いていた。私だけがこの場所の美しさを知っている。花言葉は乙女の純潔らしい。
清々しいまでの快晴だ。
昨晩のテヌートのご尊顔、私をめちゃくちゃにしようか悩んでいる可愛い葛藤の表情を天井を背景に満喫したことを思い出す。
その強張ったお顔は、やがて、最後にはふにゃふにゃに崩れていったのだ。
みんながうらやむ貴公子様の私だけが知っている情けなくとあり愛おしくもある素敵なお顔。彼のどうしようもない劣情に満ちた情けない言動を目の前でリアルタイムで心の中で実況中継することでしか得られない歓び。
私は、どんな表情をしていたかはわからない。でも、あなたの欲望にまみれた表情がある種の鏡となり、君の瞳には私が可愛い乙女の姿かたちで映っていることを浮き彫りにしてくれる。
いつもは、他の女の子に対して紳士な優しい君なのに、私に対してだけ、鼻の下を伸ばしたスケベで救いのないヒヒオヤジに変貌してしまうことによって。
私、女の子として生きてもいいんだ。これから、妻として母親として君と共に苦難の道を歩んでもいいんだ。お腹に命育んでいいんだ。そんな赦しを君は私に与えてくれた。
そして、それは、これからの私にとっていちばん大切なもの。
彼のスケベ顔に魂が救済されてるなんて、誰も分かってはくれないだろう。それは、あなたが知らない私だけの秘密。みんなの笑顔に囲まれていても決してなくならない孤独な魂の領域。
私の愛しい恋盗賊さんは、私の迷宮に潜り込み、お宝の部屋の鍵を見つけてしまった。毎日、土足で踏み荒らしては、酒池肉林の饗宴を開いている。宴に流れるピアノのリズムがあまりに軽快で楽しそうなので、めちゃくちゃ悪くて酷いことをされているのにも関わらず、盗賊さんの足並みに合わせて、私も心の中で、一緒にワルツを踊ってしまう。たとえ、それが、いけないことでも、君が楽しそうならば、私も楽しい。
だけど、マスターキーでしか開かない私だけの真実が隠されている最深部、君のすけべ顔を燃料とした、魂の浄化装置の中に安置されている私の心の中のドロドロな感情の粘液で包まれたラスボス、深淵の闇にはまだ、彼はたどり着いていない。たどり着いたらダメなんだから。
邪悪な第三形態の私とのラストバトルを経て大団円を迎えたら、きっと、私は少年でも少女でもない。大人の女になってしまうから。盗賊さん、あなたに迷宮を踏破する覚悟はあるかしら?
なーんてね。
まだ、自分の心が女だなんて信じられない。
でも、少なくとも彼の生々しい鼻の下を伸ばしたいやらしい顔に気づかないふりをしながら、無垢そうな不思議顔で首をかしげながら、ガードを緩め、無防備になる時間だけは、私は儚い囚われのいばら姫の姿でいられる。おとぎ話の美しいドレスのシルエットをまとっていられる。私のあざとさに我慢できなくなった君が私を押し倒し、驚愕の表情を浮かべたふりをしつつ内心ほくそ笑んている私の手首が細くて冷たいことを温かくて大きな手のひらで教えてくれるから。
その間だけは、自分の魂の正体があなたと同じただのすけべおやじにすぎないという罪悪感を忘れることができる。それは、とても甘美でたとえ、ひとときであっても永遠の時間。
青い空。テヌートとの絆でもある幸せの黄色いリボンを取り出すとキュッと音を立てて結んで髪を秋風にたなびかせる。身も心も縛られ、彼の人生の一部になるという企みが成功した小悪党特有の下卑た笑みをにへりと浮かべる。
次元の穴が空く音がして、赤髪の少女の元気そうな声が背後に響く。
「逃げるなよ。ずるいぞ。返事聞かせろよな」
耳コピ魔法でここを突き止めるなんて、執念すごいな。執念すごいから、私たちはピンチを救われたわけだけど。
そういえば、返事をしていなかったな。シャープのそれの感想は気持ちよくてぐふふということらしい。あけすけな人だ。男子の世界では、珍しいタイプではないので懐かしくて微笑ましい。
こういう男同士の話ができなかったのが、私に悪友ができなかった理由かもしれない。心の古傷が疼いてしまう。
「聞いているのかよ」
「ごめんね。君とは男同士の腹を割った話はできない」
「なんでだよ。俺たち戦友だろ?」
その質問には答えずに髪をいじいじする。
「そんなつまんない話やめようよ。君とは女の子同士の内緒話がしたいんだよねぇ」
私の正体は男のはずなのにそんなことを言ってしまう。
男のはずなのに、髪とスカートを揺らしながら、足をクロスし、後ろ手で右手首を左手で掴むことで結び、声のする方へ振り返ってみた。
シャープのドキッとしたかのような表情が見える。一方の私の顔には羞恥混じり満面の笑みが浮かんでいるはずだ。
これから言おうとしている魔法の言葉。これを言ってしまったら、私小説の大家どころではない恥の多い人生が始まってしまう。全身に高揚感が駆け巡った。
色とりどりの未来の景色が、昨晩の男女の喜劇とオーバーラップして、私の瞳の奥に映し出された。
「エッチ痛かった。うふふっ」
完




