第73話 別れの曲 テンポ100
<ラルゴ>
休み時間、音楽雑誌を片手にバンドについて友達と喋っていたら、廊下の方から声がかかる。
「フォルテちゃーん。彼氏が来てるわよー」
目を細めてにやにやとしている。そして、その後ろには、テヌートが立っていた。駆け寄ると一言。
「あのさ。今日、放課後、親睦室に行かないか」
「ちょ、ちょっと! 声が大きい!」
親睦室、そこは学校の公認のカップルが仲良くなるために用意された部屋だ。
一度、少子化で滅びかけたこの世界では、学内結婚が推奨され、産婦人科、保育設備等も完備されている。異世界東アジアのように、未成年でできてしまったカップルを突き放すことはない。
テヌートが去ると口に手を押さえた女子が質問攻めをしてくる。
「大人の関係になったの?」
「そんなわけないじゃん。健全な交際だよ」
「ほんとかなあ? クールな貴公子にドSっぽく迫られてるんじゃないの?」
「もうっ! 勝手なこと言って!」
そんなこんなで放課後になり、親睦室に向かうと、テヌートがふやけた顔で待ち構えていた。
「き、気持ちいい」
「もう、しょうがない人ね」
彼が頭を動かすと、ふとももに彼の髪の毛のさわさわとした感触が。
「いててっ!」
「動くからよ!」
僕は耳かきをしていた。あの日以来、彼は二人きりになると甘えん坊さんであることを隠さなくなっていた。
クールな貴公子様ねえ。こんな崩れた顔、他の子に見せられないし、僕たちだけの秘密にしていたいな。ふふっ。
な、何考えてるんだ僕。男なんだよ。しっかりしないと。
「婚約破棄の連絡が入ってきたんだ」
集中していたのに、思わず手が止まる。軽く震えていた。
「へ、へぇー。そうなんだ」
そりゃ、彼も名家の子だから、婚約者と結婚するよね。動揺なんてしていないはず。
「次の縁談も、入ったけど断った」
僕は、なんて返せばいいだろう。彼の人生が薔薇色になるためには、どういう選択肢を取るべきなのか。
「どうして? 社交界で出世するためでしょ。受ければいいじゃん」
声がうわずってしまった。音の高低をコントロールするためのボイトレを欠かさずしているのにどうしてだろう。
「……」
黙り込んでしまった。ちょっと、冷たく突き放してしまったかな。
その日、お互いの会話もなく、無言のまま、彼は、身支度を整えると部屋を出ていった。
流れるBGMはショパンの別れの曲。追うように部屋を出ても、続きが頭の中に流れ続ける。
胸が痛む。どうしてだろう。僕は、彼の将来のためを思って、的確なアドバイスしたにすぎない。
彼は名家の女の子と結ばれて、安定した地位を得る。そうするべきなのだ。それが彼の幸せなのだ。
心になぜぽっかりと穴が空いているのだろう。嫉妬? まさか。男の僕にそんな醜い感情が芽生えるはずがない。
そうだよ。僕は男なんだ。正体はただの男だ。体の性別に合わせて女の子の仮面を被っているにすぎない。
足取りが重い夜の帰り道、マジックフォンがバイブする。フォルテからだ。声と手が震える。
「なに」
「ねえ。来週の校外学習が終わったら、私たち、元の体、そして、元の性別に戻らない? そろそろ、入れ替わりの呪いから戻っても副作用が出ない時期でしょ」
「わかった」
思ったよりあっさりと会話が終わった。
あれ、涙が止まらない。どうして。ようやく男に戻れるはずなのに。
霧雨が降り始めた。質量の軽い雨は、傘を差しても右から左から、僕の体を濡らして冷やしていく。
この体、冷え性なんだから気をつけないと。シャープと違って生理だって重いし、ケアしないといけないんだ。
女子寮に戻ると、お風呂に入ることにした。普段は、深夜に一人で入るはずなんだけど、体が冷えているから、みんなが入っている時間に仕方なく。
「いらっしゃい。ようやくこの時間帯に入る気になったんだね。君は私たち女子の仲間なんだから、そんなに、びくびく怯えなくていいよ」
ストリデンテが手を差し伸べ、掻き乱された心の中に、少し安堵の色が出る。
「ありがと」
あたたかいお風呂で、トリートメントをし、部屋にお肌にもクリームを塗る。自分の体じゃないんだから、健康なまま、返さないとね。
だけど、暖房をかけた部屋に何時間いても、心の冷えは戻りそうになかった。
生理じゃないのにめまいがする。なんで、僕、傷ついているんだろう。元の体に戻ることを喜ばないといけないのに。僕は男なんだから。




