第65話 世界が歌うとき 沈黙 4分33秒
<ラルゴ>
右殺義はバイオリンをシャープはエレキギターを構えていた。
「あまり、バランスの良くない弦楽二重奏ね」
女言葉の軽口で心に余裕を作ってみる。
「すぐに減らず口をすぐに叩けないようにしてやる」
敵は、バイオリンを構える。
くそっ。後、少しだったのに。3つの短曲を響かせるだけだったのに! 万事休すか。
あれ? おかしい。シャープと右殺義が、弦を必死で弾いているのに音が鳴らない。
僕たちの誰一人として、この部屋に入ってから、PullとFetch以外の魔法効果のある曲を演奏していないはずだ。
「やるわね。テヌート。4分33秒を演奏したのね」とララ。
「!?」
4分33秒。それは、音一つ立てない無音の前衛音楽。一定の空間を音が出ない真空バリアを張ることができるという。右殺義が喋ることができたのは、おそらく、顔より上には空気があるからだろう。
この曲は4分33秒間1秒違わず楽器の前で構えていないといけない体内時計と勝負の難曲だ。
軍隊のキャンプで訓練曲として取り入れられていると聞くが、テヌートもきっと参加したことがあるに違いない。
テヌートったら、ララと会話しながらも鍵盤の上に中腰で十指を置いていたので、変だと思ってたんだ。
右殺義とシャープが、こちらに向かって走ってくる。おそらくこちらに近づけば近づくほど、空気が濃くなる。
「今のうちよ!」
ララがスピーカーの前に立つのに合わせて僕とテヌートもフォーメーションを整える。
「Commit曲行くわよ」
テヌートが指で指揮するので打点に合わせて詠唱すると、ダイオードが光る。
「続いてPush曲」
詠唱が終わると、ララが額を拭う。
「競合ってのが起きたらどうしようかとおもったけど良かった。スムーズに行ってるわ」
「解説は後でいいから急いで!」
「わかった。仕上げのデプロイ曲行くわよ」
3人の魂のリズムが合わさり、和音を奏でる。だが何も起きない。
「やったの?」
「わからない。たぶん、リリース完了までにタイムラグがある。継続的インテグレーションツールのテストとか全部通らないといけないからね」
「そのテストで失敗したら?」
「運命として受け入れるしかないわね」
右殺義が、バイオリンの音色を奏でる。聞いたことのない魔法。何の効果だ?
「う、うわあああああ!」
穴が開き、テヌートが叫び声と共に、異空間へ放り出される。また、救出しないといけないか。
「安心しろ。MPNから放り出して、学校に送り返しただけだ。あいつは一人になったところをあらめてじっくりと料理してやる」
その言葉に安堵すると、全身の力が抜ける。身体から発するほのかな光がじんわりと収まり、元の学校の制服の姿に戻される。
「そう。俺の目的は、コバルトプリンセス解除が目的だ。貴様ら女2人を殺れと命令受けているからな。まずは、無力化させてもらった」
右殺義とシャープ、どちらが単独であっても、テヌート抜きには互角には戦えない。それが2人も同時に戦わなきゃいけないなんて。
今、私が一人ですべきは時間稼ぎだ。デプロイが完了するまで、星詠みの記録器を死守しないといけない。
手元のサックスでベーシックファイアーを演奏すると思ったより小さな火球が、2人に飛んでいく。
「笑止!」
シャープが、パワーコードで奏でた氷魔法で弾く。
それと同時に、右殺義が、死のプレリュードを奏でる。テヌートが居ても対抗できるかどうかわからない曲なのに、直撃したらひとたまりもない。
体が重くなる。このままでは、やられる。
せっかくここまでたどり着いたのにな。どうやら、僕たちの悪あがきもここまでらしい。
ピピピピピ。
そのとき、バイオリンとギターの音色が止まり、無機質な電子音が鳴り響く。マジックフォンだ。
と、同時に、シャープが力なく崩れ落ちたので、慌てて体を支える。
「大丈夫?」
返事はないが、息はしている。肩にひどい傷がある。
ララはハープで心の負荷を軽減する魔法を僕は女声魔法で体の傷をそれぞれ癒す。
シャープ。無茶しすぎだよ。
「モフッ!モフモフッ!」
右殺義は、小さくシャウト魔法を唱えると、ポケットの中から電話が浮遊し、長耳に機械を押し当てる。ひくひくと耳と髭が動いている。
「なに? そうか。わかった。なるほど、エッジシャドウ社もいよいよ終わりだな」
そそくさとモフモフ語で電話を切る。
「どうやら、貴様らの勝ちらしい。星詠みの記録機に何をしたかは、知らんが、カルマアプリが大混乱を起こしている。アプリが示したカルマポイントを最大化する命令が、『クーデターを起こせ』だったそうだ」
「だった? 過去形?」
疑問には答えず右殺義は続けた。
「これから、組織がどうなるかわからんが、新しいリーダーが俺に下した命令は、『逃げたシャドウ3世を葬れ』だ。あくまで、俺の契約相手は、個人ではなく組織だ。組織のトップがすげ変わった瞬間、命令も変わる」
そういうとバイオリンでG線上のアリアの一節を演奏する。
「まじない程度の曲だ。しばらくしたら、シャープは目を覚ますだろう。俺なりの餞別だ。俺は職業的に貴様らを追い詰めていたにすぎん」
そういうと、4本足になり、長い足で部屋を駆け抜け、どこかに立ち去っていった。
全身の力が抜け眠気に襲われる。旅行帰りの時差ぼけだったもんなあ。まだ、緊張感を途切れさせてはいけないと思いつつも、一山越えたことに安堵の気持ちでいっぱいになった。




