第5話 山の魔王の宮殿 理解度 60%
<ラルゴ>
余韻が静かに消えゆく中、テヌートが穏やかな声で語りかけてきた。
「素晴らしい演奏だったよ」
その声には、深い感銘とほんの少しの遊び心が混じっていた。
「僕と別荘の中でダンスしないかい?」
慣れない女の子扱いに戸惑いつつも、返事をしようと心が焦るが、口を開いても言葉が出ない。声が喉に引っかかり、ただの静寂となってしまう。筆談もできず、ジェスチャーも通じそうにない。だから、僕はサックスを手に取り、音楽で伝えるしかないと決意した。
フォルテが魔女の館に囚われていること、そして、彼女を助けに行きたいという願いを。サックスの音が響くと、テヌートはその意味をすぐに察した。
「なるほど、この曲は、異世界ノルウェーのクラシック曲、『山の魔王の宮殿』か。宮殿のような場所から、あの追っ手がやってきたんだな」
次に選んだ曲は、異世界ロシアの『眠れる森の美女のワルツ』だ。サックスには不向きな曲だが、今は仕方がない。メロディーが響く中、テヌートは静かに頷きながら言葉を紡ぐ。
「チャイコフスキーだったか。そうか、どこか屋敷のような場所に女の子が囚われて眠っていると言いたいんだな」
彼の理解が深まるたび、僕の心は少しずつ安堵に包まれていく。最後に、シューベルトの『軍隊行進曲』を奏でると、テヌートの目が輝きを増した。
「助けるために戦いに行く、というわけだ。いいだろう、僕も退屈していたところだ。君のようなかわいい子兎ちゃんがもう一人いれば、両手に花だ」
僕たちは無言の合意を交わし、テヌートと共に魔女の館へ向かって歩き出した。彼は笑みを浮かべた。
「レディーにこんな山道を歩かせるわけにはいかない」
彼はピアノのホログラムを空中に浮かび上がらせた。そして、難曲『熊蜂の飛行』を軽やかに奏でると、僕たちの体に蜂のような羽根が生え、森の中を舞うように低空飛行で進んでいく。
すごい。異世界クラシック曲を使って魔法を唱えるなんて前代未聞だ。僕は田舎町で育った。都会の最先端では楽器を使った新しい魔法の数々が編み出されているに違いない。感嘆するばかりだ。
木々の間をすり抜ける風の音が、僕たちの耳元をかすめていく。夜の森は、漆黒のベールをまとい、時折、月の光が差し込むだけの暗闇が広がっていた。だが、その闇すらも僕たちの前では無力だった。蜂のように素早く、そして軽やかに、木々の間を縫うように進み、僕たちは森の生き物たちの驚きの視線を背にしながら、魔女の館へと一直線に向かっていった。
「どっちに館があるんだい?」
テヌートが尋ねると、僕は指で方向を示し、森のさらに奥へと進んでいく。魔女の館に到着するまで、そう時間はかからなかった。しかし、館の外からでも禍々しい空気が漂い、その存在感はただならぬものだった。
深呼吸をして、僕はサックスを構えた。風の呪文を奏でると、重厚な扉が音を立てて崩れ、そのまま館の中へと踏み込んだ。そこには、こん睡状態の元の僕の体が、冷たく倒れていた。魔女の姿は見当たらない。留守なのだろうか。
「なんだ、男か」
テヌートはつまらなさそうに肩をすくめると、『ペールギュント組曲』の『朝』を演奏し始めた。「簡単な眠りの呪いであれば、これで解けるはずだ」
なんだかんだ文句いいながらも助けてくれているので感謝のお辞儀をする。やさしい。テヌートの指が鍵盤を滑るたびに、魔法の波動が広がり、眠れる僕の体がわずかに動き始めた。
「さて、レディー。戦いの準備はできたかな。どうやら、敵はこのまま帰してはくれなさそうだよ」
彼の言葉が終わると同時に、紫の禍々しい空気が渦巻き、やがて魔女の姿へと形を変えていった。
「この館での研究を知られたからには生きて帰すわけにはいかない、覚悟しろ!」
魔女は叫び、闇の力を解き放った。